| 2006年04月03日(月) |
rescue yourself |
地下鉄のホームを、改札を、日本橋から八重洲へのオフィス街を、ネクタイの今一つ決まらない男子らが、履き慣れない靴から足をかばいながら歩く女子らが右往左往。フレッシュ、フレッシャー、フレッシュイスト。春、です。
人生の中で恩師と呼べる人を1人あげるとすれば、社会に出て働き出した時の最初の上司だった人だ。学校で学ぶことの楽しさや、好奇心を持って自分の世界を広げる術を教えてくれた先生はいても、社会に出た時に、大袈裟に言えば生き方に影響を与えるほどのインパクトと、生活してゆく上での自分の中のルールの中核のようなものを形作ったものは、その人と一緒に働いた2年間で出来たものだと今でも思う。北斗晶のような千葉の元ヤンだった。趣味は酒とパチンコ、みたいな人だった。酔っぱらうとすぐ絡んでくるし、さみしがりやな人だった気もする。それらは仕事が終わってからの顔で、仕事中はとにかく厳しかった。こんな時にはこうしろ、ああしろと具体的な事を先回りして教えてくれるような上司ではなく、自分の中のルールがとてもハッキリしていた人だったので、仕事をする上でその人の判断する基準、優先する順位を、2年間横で見ていて1度も納得のいかないことがなかった。学校だったら無視してれば良かったような嫌な事、人と渡り合う術も教わった。出来る範囲で出来る限りを、迅速にしかも着実に臨機応変にこなし、ほぼどんな事態にも動じる事なく、それでも力が足りなかった時には釈明せずに結果を受け入れる懐の深さのある人だった。 たぶんあの人と出会っていなければ、自分は今よりもっとどうしようもない大人になっていた気がする。こう書いてみると熱血教師に出会った不良のようですが、そういうのでなく、毎日がつまらないとか、つまらないけど何をする気もないとか、そういう端から見て一見真っ当な社会人のようでいて、意外とどうしようもないところにいつまでも滞っている人というのはいるもので、そういうところから少し、風通りの良いところに動こうとする気力とか、やりたい事を自分の思うように自由にやってみようとする力とか、大きな事を言えば、世界をちゃんと自分の目で見るという最初の視点を与えられた気がします。ふと考えると今の自分が、あの時の上司と同じ歳になっているのです。右も左も分からず、にもかかわらず何でも分かってるような気でいる、話も通じないような若者を、いっぱしの大人にするような器にはなれていませんけど、元気にしているし、毎日ささやかであれどなんとか風通しのよい心持ちで暮しています、頑張っています、と、あの人に言えたらなあと思いながら夕方のオフィス街を歩いていたら、wilcoの「comment」が。わわわ!と思って泣きそうに。

働くことの大切さの象徴、ハクのおにぎりフィギュア。
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