久しぶりの友人と再会する予定で汐留に。久しぶりといっても、私たちがこれまでに会ったのは1度か2度なのだ。私はそれが1度だったのか2度だったかが今でも思い出せない。それが最初だったとしても2度目だったとしても、どちらにしても私たちが最後に会ってから、自分でも驚くけど6年という歳月が過ぎていたのだった。ひょんなことで人と人は出会うもので、私は最初に会ったその日のことはとてもよく覚えている。別れ際、お互いの連絡先を渋谷のハチ公口のとこで紙の切れ端に書いたのも覚えている。とにもかくにも私たちは6年の間、携帯電話を変えれば連絡をし、手紙やメールでお互いの近況を何となく知らせあったりしていた。私は自分のサイトを作ってアドレスを教えたので、Mさんには私の徒然は伝わっているようだったり(そういう近しくない人に近況を知らせられるという意味でもこのサイトは自分にとって存在してる意義があるようにも思えたりした)。考えてみれば不思議なものだと思うけど、私たちはそうしていた。自分の理解を越えた現象はみんな運命だとして脳内で合点させる単細胞な私は、6年後の今日、ひょんなことから会うことになったのも、何かの縁と思えばとても自然なことのようにも思えたものでした。
待ち合わせていたとこにMさんが現れた時は、会うのは前もって分かっていたのに本気でビックリしました。会う少し前に電話で話した私の声を聞いて、「声を覚えてたよ。」って。6年経っても覚えてる声ってやっぱりすごい変わってるってことか。それにしても6年。生まれたての子供が小学生くらいになってしまう年月だ。私、22歳だった。6年も経つと色々だ。自分の考え方はだいたい正しいはずだという根拠のない自信も程良く失ったし、どうしても諦めたくないと強く思ってきたことを諦める術も知ったり、好きなものや好きな人への向きあい方も変わったりしているはずの2人だった。でもまあ、そんなことはまたこれからひょんな機会に話したりするもので、またきっとそうあるべきなのだった。私の徒然をMさんはかいつまんで知っているので、Mさんの話を色々。ポルトガルやモロッコで見たという景色のことや、フランスの出来事などなど。こういう人の面白い話を聞くのがとても好きなので、いいなあと思う。ご飯食べてコーヒー飲んだりしてる間に地震があったのも気づかなかった。お互いに最近読んでいた「東京タワー」の話とかも。たぶんちょっとした事の考え方や好みが近いのかなあと、私は勝手に思う。また、今度は近々ねと言って別れる。

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