tdd diary

2006年01月04日(水) スタンダード

森正洋という人がデザインした陶磁器の作品のほとんどが見れる「セラミック・スタンダード」という本があって、私が去年の自分への誕生日プレゼントに買った何冊かの本の中の1冊がこの本で、とても良い本だった。森正洋という人がデザインした陶磁器は日本中で使われるスタンダードであるだけでなく、小さい子供から老人ホームでまで愛用されていた。その本の中にスティグ・リンドベリとのエピソードがあった。2人が並んでいる写真が本の中にあり、ボサッとした髪が向いている方向も、メガネのかたちも、笑い方まで同じでとても微笑ましい写真だった。それを通してその年の、これまた自分へのクリスマスプレゼント(の、第1弾)にリンドベリのお皿を買った。

先日会ったuも「セラミック・スタンダード」という本を手に入れていて、森正洋の話になった。私たちが会った日の、一月ほど前に森正洋さんは亡くなっており、そのことをuはその時に初めて知った。私は亡くなった森正洋さんについての追悼記事を2つ切り抜いていたので、年末にuに送るcdrと一緒に記事のコピーを同封すると約束した。それから何日か経った頃、森正洋さんのホームページを見たら、私がコピーした朝日新聞の追悼記事には誤解をまねく部分があるということで、記事に名前が出た小田寛孝さん本人によって補足がされていた。uには今度会った時にその補足の話をした上でコピーをあげた方がいいような気がしたので、cdrには記事のコピーは同封しなかった。

この追悼記事を書いた人には悪気がないどころか、森正洋という人に対する思い入れが文章から感じられるような記事だったりもした。別にこのことで何か教訓めいたことをいいたいわけではないんだけど、亡くなった人についての追悼記事であれば尚更、限られた字数でまとめねばならない状況であれ、なるべくなら誤解をまねかない文章をと関係者なら願うのはもっともなことだなあと思う。私の日記には自分が本当に好きなものや興味のあることを書きたいものだと常日頃思っていたりしますが、思い入れがあればこそ、第三者には違った感じに伝わっているものもあるかもと思ったりします。なるべくなら偏りのない日記にしたいと思ってはいても。ネット上で日記を書くということは独り言じゃないです。独り言の文章が書きたいなら家で日記帳に書いて鍵をかけておけばいいわけで、読む人が1人でもいる以上は独り言というのは有り得ないわけです。小さい子供からお年寄りまで通用するものを、とまでは思いませんが、読みたくない人は読まなきゃいいっていう言い訳が始めからされている文章は私自身も読みたくないので、日記なんて書き捨てだよとか言うのはもうやめて、もう少し頭を使いたいと思います。


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hatori [mail]