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とあるシンポジウムに参加。 古今東西の文学における艶や笑いについて、研究者たちが大真面目に論議しようというものである。お堅いものの中にふと挟まれる笑い、不真面目さの中に仕組まれた高等なレトリック、それらを学術的に論じること自体が笑いでもあり、まじめに語れば語るほど聴衆の大爆笑を誘う場面もたびたびあって、面白い午後のひと時だった。 ところで、壇上の一人はしばしばテレビにも登場する美貌の女性研究者。彼女の専門から学術的に分析してもそれなりに聴衆は聞き入るだろうに(というかそれを期待しているのに)、ここぞとばかりに下ネタや駄洒落を連発する。しかも間合いが取れてないので全然面白くない。場の空気が読めていないのか、確信犯なのか、本人はしゃれているつもりの悪ふざけがことごとくすべる。周囲も聴衆も半ばあきれていて、まさにグーで殴りたい衝動に駆られるのだが、この人、この姿かたちの美しさゆえに今まで許されちゃってここまで来ちゃったんだろうなぁと思わせる。こうなると「美人だから許される」というのは、不幸なことだよなぁと思う。年の頃は40代後半、ファッションも決まっているし、まさに絵に描いたような才色兼備でありながら、「色」が際立ちすぎて「才」を邪魔している印象を受けるのだ。 器量よく生まれついた人はある時期ある場面で間違いなく得をしているだろうし、自らの美を売りにする職業ならばいくら美しくても美しすぎることはない。しかし、本業とは関係ないところでその「美人だから得」の切り札を使い続けてしまうと、そうではなくなった時やまったくそれが通用しない場面で、その反動で思った以上のしっぺ返しもくるのではないか。 もちろん彼女が著名人となるまでには天賦の才に加えて、人一倍努力があっただろう。にもかかわらずそうして手に入れた数々のものであっても「美人だから得…云々」の一言で片付けられたこともあったのではないだろうか。逆にちょっとまずいことをすると、今回のように「美人だからと思って…云々」と実際以上に悪く言われることもある。本質でないところでその人の評価が左右されてしまうというのも邪魔臭い話であるが、美しく生まれついてしまったがゆえに他者の雑念に惑わされ、もっと磨いたり探求できたりしたものをみすみす逃してしまったかも知れないと思うと、得した以上に損しているような気もする。
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