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2004年11月30日(火) 「すぱにや」

朝刊に昨日のスポーツ新聞の見出しを思い出させる記事。天皇家の「次男坊」の誕生日会見である。先だっての「長男坊」の一連の発言に対してやや批判的な意見。その中で「公務とは受身的なもので、自分がしたいことをやるというものではない」というような主旨の発言があった。一見控えめで協力的な発言であるが、裏を返せば「言われたからやる」「(改革も含めて)自ら積極的に取り組まない」という無責任な姿勢ともいえる。さすが気楽な立場の「次男坊」。この人は一時期皇籍離脱したいと騒いだことがあったが、それはやめて今は生活のために皇族をやっているかもしれない。それにつけても痛ましいのは「長男坊」夫妻である。

昨夜作ったシチューのできは最高。実は昨夜遅く帰ってきた夫にも見せて、しばし悶絶していた。朝食にする。うちのシチューは祖母の代から伝わる秘伝の味で、市販のルーは使わない。明治生まれの祖母はハイカラな人で、祖父が勤務していた秋田の病院のコックさんから洋食を習っていたのである。このコックさんはもとをたどれば、東京の一流の洋食屋さんで腕を振るっていたのが、関東大震災の時に包丁一本だったか鍋を片手にだったかをもって命からがら秋田まで逃げてきた人だった。思えば遠くへきたものである。
すね肉を長時間煮込み、小麦粉とヘッドをいためて「すぱにや」をつくり、それを肉の煮汁で溶いてとろみをつける。作り方からするとブラウンルーである。「すぱにや」というのは、ソース・エスパニョル(sauce à l'espagnole)のことらしい。味付けはほぼ塩コショウだけ。シチューといえば、作り出してから口に入るまで超長時間煮込むものと思っていたので、よその家に呼ばれてその場で「今日はシチューにしよう」といって市販のルーで作り出すのを見て「ほー。」と驚いた記憶がある。
祖母がいくつか習ったという洋食のうち、牛タンシチューは、亡き伯父がタンの正体を知って泣いてから作らなくなったので母には伝わらず、カレーとオムレツ(卵を薄く焼いていためたたまねぎのみじん切りとひき肉を包む)は、特に私が必要としなかったので私には伝わらず、残っているのはコーンスープとこのシチューだけ。シチューは結婚してから作り方を教えてもらったものだ。すべて目分量。

塩コショウした牛すね肉の周りを強火で焼く。炒めたたまねぎとローリエやセロリなどの香味野菜と肉を、水からあくを取りながら煮る。途中で煮汁を1カップほど別に取りおいて冷ましておく。ヘッドと小麦粉(ヘッドがなければバター)を焦がし気味に炒めて「すぱにや」を作り、荒熱を取る。肉が柔らかくなったら、一口大に切ったジャガイモ、にんじん、たまねぎ、などを加えて野菜が柔らかくなるまで煮る。冷ましておいた煮汁で「すぱにや」をのばしてソース(ソース・エスパニョル)にし、牛乳とともに加える。塩コショウで味を調える。さらに煮込む。うちは保温調理鍋を使うので、加熱したら放っておけば出来上がり。塩コショウだけとは思えない深い味わいなのだ。えらいぞ牛肉。えらいぞ野菜。


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