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2004年11月16日(火) メディアの変化で失われるもの。

最近、デジタルアーカイブなるものが脚光を浴びていて、貴重書や古文書や絵本とかさまざまなものがデジタル化されている。その技術もここ数年で目を見張るほど進化していて、そういう意味ではまだまだ発展途上であるともいえる。この間仲間内のMLで、デジタル化するとどんなに高精細な画像であっても、その手触りとか匂いとか空間の雰囲気とか、失われるものはあるよね、という話をしたのだが、電子媒体に限らず、口伝から文書、石から紙、手書きから印刷とメディアが変わるたびに、今までもそれは起きてきたのだろうと思う。一方で、万年筆じゃないと真に心のこもった文章はかけないとか、論文は原稿用紙に縦書きじゃないと学究の徒とはいえないとか言う人がいるが、これは一見ばかばかしいようだが何かそれでないと失われてしまう微妙なエッセンスというものがあるのかもしれない(しかし、PCではだめでワープロでないとダメだという作家の人には賛同できない)。いずれにしてもメディアが変遷していくにつれて、何かの情報表現は後世に引き継がれないまま廃れていき、その分新しいメディアに適した表現方法が発達してきたはずではある。
世の中にはオンラインで小説を読めるサイトがいくつかあって、先日学生さんにこれの一つである「青空文庫」を使って課題をしてもらった。課題そのものはこちらの指示通りに作業すれば出来てしまうのだが、それではこちらがつまらないので、こうしたオンラインサイトに関する考察を書いてもらった。「やはり文芸作品は本の装丁から活字の組み方まで作者のこだわりがあるので、紙の本でないといけない」とか「デジタル文書は持ち運べないし、しおりが挟めないので不便だ」というような保守的な意見が多かった。彼らの中には紙媒体が電子媒体に落ちたとという考えもあるらしい。日々携帯メールにまみれ、携帯で俳句をひねったり小説を投稿したりしている世代である彼らにしては、意外な反応だった。
一方この人たちが2chをどのくらい利用しているかと思って聞いてみると「フツーに使ってます」という話で(^^;、いったいそのフツーがどのくらいフツーなのかはよくわからないが、「嗜む程度に」利用しているらしい。嗜まないという人は必要がない、なんだか怖い、便所の落書きである、という理由から利用していないらしいが、「電車男」の話ぐらいは知っているという話だった。ところで、この「電車男」がついに書籍として出版された(しかも天下の新○社である。タカモク本といい、電車男といい、こんなんでいいのか○潮社)。ブラウザで縦にスクロールして読むものがそのまんま紙媒体になってしまったのだ。アスキーアートや2ch用語満載のページを横方向に指でページをめくりながら追っていくのだ。確かに自由持ち運んで、しおりを挟みこめるように「進化」したが、電子媒体で発達した2ch特有の表現を紙上に再現することには違和感が大きい。
紙媒体の文芸作品が電子媒体になることによって、なんらか情報表現が落ちていったように、電子情報が紙媒体になることによって落ちるものもあるということだ(考えてみれば当たり前)。このあたり学生さんはどう考えているのだろう。何も考えていないかも。


青空文庫 http://www.aozora.gr.jp
電車男(ログ)  http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/7075/trainman.html
電車男(書籍)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104715018/250-9252051-8137054


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