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2004年10月21日(木) 尊敬と感謝

ノーベル化学者N氏の講演を聴く機会があった。ノーベル賞学者の講演を聴くのは、F氏、E氏について3回目。この2氏の講演は学生向けの記念講演だったせいか、あまり印象に残っていない。E氏は「ノーベル賞を受賞すると講演することが多くて、あちこちで同じ講演をする。何度も同じような話をするので、かつて講演に飽きてしまって運転手に代わりを話させた人がいた…」というような話ぐらいしか覚えていない。で、運転手に話をさせていたところ、会場から質問があり、もちろん運転手では答えられないので「では私の代わりに運転手に答えさせましょう。彼はいつでも私といるのでよくある質問には答えられるのです」といって会場にいる本人を指名して答えさせたとかいう笑い話(笑えないけど)である。F氏の講演は晩年のものだったが、ほとんど記憶にない。多分レベルが高すぎたのだろう。N氏の話は語り口も内容も面白く、久々に講演で興奮するという体験をした。
今回のN氏の講演は、シンポジウムの目玉として行われ、ノーベル賞受賞が云々という過去の話ではなく、現在超一流の研究者として牽引する立場として、わが国の科学技術の将来を憂い、あるべき姿の提言するという内容だった。かつての報道などで見るN氏からは、かみそりのように鋭い、他を寄せ付けないきびしさを感じていたのだが、実際は骨太な職人気質で情熱を持ち、かつ情に厚いという印象を持った。語り口はテンポよくはぎれよく、そしてあらかじめ暴言があるかもしれませんなどと、とぼけたりもして飽きさせない。
話は科学技術の国外流失を憂うところから始まり、日本にもNature誌やScience誌に匹敵するような科学研究発表の場と専従の編集委員(大学教員などが本業の傍らに行うボランティア的なものではなく)をおくべきだと提言する。そして、被引用数によって論文の重要度を示すというアイディアに基づいて、インパクトファクター(ガーフィールドが提唱)という指標が用いられるが、提唱者自身が警告しているように論文数や被引用数で研究者の業績を数値で測り、それで順番付け(格付けではなく)をして研究費をだすようなことは愚の骨頂であると断罪する。インパクトファクターの指標としての解釈や使い方が間違っていることを、実例を挙げて説明してくれるのだが、本人が高インパクト者ランクの上位に常に入っているのだけに説得力があり、痛快である。本当の格とは、その人の研究態度や内容、人格などあらゆる要因から醸成されるものであって、それらをただ、論文数などのただ一つの要因だけを取り出して、機械的にそれを測ろうというのは、アメリカ的な大衆文化であるといってはばからない。このようなシステムのもとではいずれ研究者たちはやせ衰えて滅んでしまうだろうというのである。
格と順位を混同してはいけない(たとえば国立大学のランク付けで東大と東京芸大のように専門分野が異なる大学を同じ軸上に並べられるだろうか?)、社会でも家庭でも各自がそれぞれの機能を担う、かけがえのない人であるべきである、私にとってかけがえのない人は、まず秘書そしてN大時代にさまざまな実験器具を作ってくれたガラス職人であり、その人たちには常に感謝の気持ちで手厚く遇しなければならないなど、なるほどと思う刺激的な発言が続いた。会場では感動して涙している人もいたようだ。
講演の最後に会場から質問を受け付けたのだが、図書館員だという人が「欧米の図書館に比べて、日本の図書館員は専門職であるという実感を持ちにくいが、どうすれば専門性を持つことができるだろうか」という一種禅問答のような質問をした。それに対してN氏の答えは以下のようである(うろ覚え)。

「私は図書館のことは良くわかりません。が、多分すごく感謝されるお仕事だと思うんです。人間というのは尊敬されるか感謝されるというのが大切だと考えるわけですが、しかし、尊敬されるというのはなかなか難しい。ならばせめて感謝されるというのはできそうに思えます。感謝されるというのは、人の役に立つこと。そのためにはその人のニーズをしっかり汲み取ることが必要です。私は図書のことはわかりませんが、あなたも人に感謝されるように、そういう気持ちをもってお仕事に取り組まれていかれるといいのではないでしょうか。」


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