WELLA DiaryINDEX|past|will
夫が自分の学生さんと忘年会をしたのだが、その場で、今年研究室に配属になった3年女子が「私、卒業してすぐ結婚して子供も生まれると思うので、今やってる勉強を役に立てる機会がないんです」というようなことを言ったらしく、イマドキそんなことをいう人がいるなんてと目を丸くして帰ってきた。夫の勤務先は世間では難関と言われる私大の工学系で、同じ専攻の中でも夫の研究室は勉強が厳しいという噂もあるところである。この手の話は畏友マルコさんも国立大学の教育学部生の会話を例に挙げて日記で言及していらっしゃるが、ここにもいたのか、という感じである。 確かに世の中の男性には、配偶者には外で仕事をさせず、俺が女房子供を養っているんだという誇りをばねに仕事に打ち込むタイプの人もいる。そういう人と知り合って無事結婚できればよいが、いくら双方そのつもりでいても生活のために働かなくてはいけなくなる人も多いと言うご時世である。どうやってそのような生涯養ってくれるような*甲斐性のある*男性を探すつもりなのだろうかとか、すぐ子供が生まれるからといって生まれなかったらどうするつもりだろうかとか、世間に出る前のたわ言とひとしきりその考えを茶化した後、二人で考え込んでしまう。 私が就職した頃はまだまだ「女は腰掛」という風潮が根強く残っていて、それに反発するように働き続けることにこだわっていたような気もする。彼のほうには、すぐ結婚して家庭に入るぐらいならもっと楽なところに行けばいいのに、という驚きもあるようだ。善意に解釈すれば、就職に有利だからという理由で専攻を選ぶ学生に比べれば、職に結びつけない彼女の学問の動機はより純粋だということになるだろうか。実際、高度な教育を受けた専門職の象徴のような女医であっても結婚退職する人は意外と多いらしい。が、専門性の高い人間を養成するためには、一人当たりに多くの時間と費用が投資されているわけで、これらの投資結果を社会に還元せずに家庭内に埋もれさせてしまうのは、あまりにもったいない。ある意味社会への裏切りのようにも思える。 もちろん職に就かないという選択も職業選択の自由の一つであるし、専門性が高いからといって外で働き続けることを強要するのもナンセンスである。逆に専門性を身につけていればこそ、一時期家に入って充電をして、世の中をキャッチアップしてまた社会にでることも可能だろう。しかし初めから使い古された「永久就職」のような選択を狙っているのはやはりどうかと思う。あるいは結婚したら家に入るというのは時代遅れに見えて、実は現代っこらしい彼女達のしなやかさなのだろうか。仮にそうであっても、家を守り子供を育て自ら外的刺激を求めない毎日の生活で、配偶者を飽きさせずつなぎとめておくというのは、実は結構テクニックや素養が必要なのではないか、などとも考える。外では仕事をすることによって適度に刺激を享受し、内では「仕事してるから」という理由で家事の手抜きをしまくっているパートタイムワーカーとしては、他人事ながら行く末を心配してしまう。
|