| 2002年08月09日(金) |
共通認識なんて妄想かもしれない |
僕はとても自分を主張したがる。 他人にもっと詳しく自分のことを認めて欲しいのだろう。 それだけ自分の存在が不安っていうことだろう。
でも、不安だからといって自分だけ一方的に主張し、 他人を認めるという努めを怠れば、他人も自分を認めてくれないものかもしれない。
だれだって不安なのだ。たぶん。
ある1人の他人が自分の存在を認めるというのは、単なる一個人の見解だろうけど、 それだけで救われる気がする。
そりゃあ認めて欲しい人に、認められるのが最高でこのうえないことは間違いない。
でも、自分が認めて欲しいと思っていた人が、 自分のまったくの勘違い、間違い、と気づいたりすると、 それは無意味、不毛となるのであろうか。
そんなことを考えると、何が正解か解らなくなる。 この現実世界はとってもかっちりした有か無か、ゼロかイチか、の世界かと思っていたら、 掴むところも、寄りかかるところも何も無い、全て電気を消した闇の世界だったということだろうか。
手探りで進んで何かに触れたにしろ、それが何かが解らないそんな世界のような気がする。 「これはAだ」と信じて進むしか道は無い。
認識が、初めて存在を産み、世界を創る。 世界は目の前のあるのでは無く、僕達の心の中に存在している。
そして僕の世界では地球上に63億人が存在するから、63億人の種類の世界がある。 ただ僕の世界に限って言えばの話だが。
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