ほんしつ[本質]:物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。
前の日記では「一番」という言葉を使用していたが、あまりしっくりこないので、 これ以降は本質という言葉を使用する。 単に自分自身の中で「本質」という言葉がブームであるということも原因としてあるけど。
僕達はどんな時に「一番の喜び」即ち「喜びの本質」に触れることができるだろうか。 それは「この世界に存在する事を実感できた時である」と僕は思う。
この「この世界に存在する事を実感する」とは、「他者に認められること」だと僕は考える。 自分以外の他者から、「君が必要なのです。僕にとって君は不可欠なんです」 という気持ちを感じられれば、「自分はこの世界にいる事に意味はある」と思えるからです。 逆に、そのような気持ちを少しも感じる事ができなければ、 自分が存在する意味が解らなくなります。 即ち、そのような気持ちを感じないという事は、みんなは自分を必要としてなくて、 自分が居ても居なくても他人にはそんなに影響せずに首尾よく世界は回るからです。
だから「喜びの本質」は、「他者から認められることに」あるようです。
しかしながら、この他者は誰でもいいのかというとそうではありません。 日本中の1億という人々に認められようと、 自分の周りにいて自分が認めて欲しい人が認めてくれなければ、全く意味を成さないのです。 でも他人の考えは他人の考えなので、自分が努力していても認めてくれないことも多々です。 だから、もしその自分の認めて欲しい他者が自分を認めてくれるなら、 そこには必然と思いたい偶然があり、「喜び」が生まれるのです。
まとめると「喜びの本質」は、「一番に認めて欲しい人々に認められる事」であります。 言い換えれば「相思相愛」。むろんですが、異性同姓含めてです。
「相思相愛」これが一番の「喜びの本質」です。
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