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2005年02月15日(火) NYの街角:フリックコレクション



アッパーイーストサイドのFrick Collectionに行く。MoMAやMetほど有名ではないが、その洗練されたセレクションは名高い。率直に言うと、事務所のパラリーガルからその存在を聞くまでは、私も知らなかった。

フリックコレクションは、財を成したフリック氏が、死後に私邸を美術館として公開したものだ。氏の生涯を通じて蒐集した美術品や愛好した芸術家には、既に評価を得ていたものもあるが、後年有名になったものも多い。氏の審美眼が確かなものであったことを示す好例であろう。

セントラルパークに近い、アッパーイーストサイドにある美術館に足を向ける。平日とあって、さほど混雑していない。私邸は、最初から美術館とすることを想定していたかのようなつくりになっている。Van Dyckやレンブラントが多かったり、一定の時代の一定の作家を中心に蒐集していったことをうかがわせる。

これは、と思ったのは、ホイッスラーの2枚の絵画。黒を背景とした黒の礼服を着た男性と女性の絵である。画面の上部に向かうに連れ、闇は濃くなり、人物の輪郭がその闇に溶け込んでいるかのような印象を与えている。ホイッスラーは印象派の先駆とも言われているが、実際にはむしろ印象派よりも抽象表現絵画の先駆といっても過言ではない。男性の方は、プルーストの「失われた時を求めて」に登場する重要人物、スワン氏のモデルになった人物のポートレートである。

ちょうど先日、香水の専門誌にエッセイを書くことになったという友人と、プルーストについて話をしていたときに話題に出たラスキン=ホイッスラー論争を思い出した。これは、1877年、ロンドンのグローヴナー画廊での展覧会にホイッスラーが出展した絵(Noctuneシリーズの「花火」)をラスキンが口を極めて非難したことに端を発する論争、というか紛争である。現物を昨年の夏、トロントの美術館で見る機会があった。

その作品、「花火」は無形の闇を表現した黒い画面の中に、花火の一瞬の輝きを留めた前衛的な作品であり、これをラスキンは「洒落者が絵具をキャンバスにぶちまけただけの作品で金を要求するとは笑止」と非難した。その結果、単なる論争の域を越え、名誉毀損による損害賠償を求める裁判となった。結果はホイッスラーの勝訴であったが、その賠償額は1ファージング(1銭くらいの価値しかない)であり、ホイッスラーは大損したといわれている。海野弘「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む(上)によれば、この裁判では、ホイッスラーは「花火」を「眺め」の写実ではなく「芸術的構成」であると述べたとある。まさに、抽象絵画の登場を予感させる主張である。

面白いのは、彼自身はラスキンと仲が好く、一方ホイッスラーとは1度しか会ったことがないようだが、「失われた時を求めて」に描かれる有名な画家、エルスチールは明らかにホイッスラーをモデルにしていることだ。これは、作品中の人物造形に関する部分だけでなく、その名前(Elstir)からも判る。WhistlerからWとHを除きアナグラムをすると、Elstirになるということは有名な話だ。

話が脱線したが、フリックコレクションは、実に一見の価値のある私的美術館である。フリック氏の館の内装は、生活の場としては、やや度が過ぎたヨーロッパ趣味ではあるが、こじんまりした美術館としてはなかなか趣がある。あまり名は知られていないが、平日の午後を全て使って、私邸の美術館を訪れるのも優雅なものではないか。

追記:
前述の友人からはリレーエッセイのバトンを渡された。「匂いについて」のエッセイで、もう130回も続いているという。かなり高名な美術評論家やその道の教授なども書いている。友人は、プルーストのマドレーヌの記憶について書いた。匂いについてであれば、間違いなくユイスマンスのさかしまの話も誰かが書いているだろうと思ったが、やはり既にテーマにした人がいたらしい。弁護士がこういったものに書くのは初めてであろうから、一風変わった視点でものを書いてみようと思う。公刊物にこういった柔らかい文章を載せるのは、初めての経験だ。面白いものが書ければよいのだが。

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