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2005年02月11日(金) NYの街角:MoMA再訪(2)



(前回からの続き。)薀蓄を語りすぎて、喉が痛くなったので、カフェで一休み。今度は前回とは別のチョコを試してみる。Chocolat Moderneのセットを頼み、Spiceを試す。一口齧って、むせてしまう。驚くべきことに、このチョコレートは辛いのだ。レッドペッパーを含めた様々なスパイスで練ったチョコが中に入っている。実に複雑だが、総じて辛い。チョコを食べて喉が熱くなるという体験を初めてした。彼女にも試させる。しばらくして、ウェイターがいたずらっぽく、「あのハート型のチョコ、食べたかい?」と話しかけてくる。彼は、先刻ご承知なのだ。

まあ、とにかく元気が出たので、散策を再開。

シュルレアリストでは、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、そしてサルバドール・ダリ。それぞれわずか3点ずつほど。やはり数が少ない気がする。これも原点回帰というポリシーがあるのかもしれない。ダリのものでは、フランスパンを頭の上に乗せた女性の頭部の彫刻作品があった。これを見て、彼のニューヨーク来訪時の逸話を思い出した。

ヨーロッパで既に名を成した彼が、初めてアメリカに上陸する際、以前にパリでスキャンダルを巻き起こした6メートルものフランスパンを持ち歩くパフォーマンスを、ここNYCでも再現しようとして、船のコックに2メートルのパンを焼かせたという話。彼は、ダリのNYC初上陸という「歴史的偉業」にふさわしい待遇を得るため、ニューヨーカーたちの度肝を抜こうとしたのだ。そして、上陸後、多くの記者を集めて記者会見が開かれた。当然、記者会見の場で、彼はその2メートルのパン(木の心棒入り)を杖の代わりにしていたのだが、度肝を抜かれたのは、彼の方だった。群がる記者達は、彼のその不思議な杖について質問しなかったのだ。誰一人として。彼はその杖を立てたり、横にしたり、色々試してみたが、ついに諦めた。たしか、レム・コールハースの「錯乱のニューヨーク」で読んだエピソードであったかもしれない。こういった面白い話なら、英語でも伝えやすい。

他の階も面白い。デザインのフロアは満員だ。日本のデザインが多数永久展示になっているのが凄い。私も好きな無印良品(MUJI)の文具が置いてある。あれはパリでも大人気だった。ニューヨークでは、ここMoMAのショップでないとMUJIの文具は買えない。

さらに下の階に行く。モネのWater Lilyのある階は、とりわけ実験的で前衛的なコンテンポラリーアートのフロアである。サイ・トゥオンブリのやたらに大きなドローイングがたくさんある。あれはいつ見ても理解できない。というか理解を拒否している。ロバート・モリス、そのプロセスと芸術の死亡証明書。それに、最近の若手では、ダミアン・ハースト。彼は、私と年齢も余り違わないのに、既に高額落札ランキングの仲間入りを果たしている。作品を見ると、一瞬なるほど、と思うけれども、何だか解せない。

床の上に、ポスターと思しき作品が重ねて置いてある。



壁には、ご自由にお持ち帰りください、とある。周りの観客達は、みな先を争うようにして、それを手に取り、丸めて運ぼうとして苦心している。絶好のお土産なのだ。内容を確かめることもせず、持ち去って、隣の部屋でくるくる丸めようとしている人、壁に当てて丸めようと苦心している人、諦めて折り目を付けて折ってしまう人、二人がかりで何とか持ち帰れるようにまとめた人々。私達も、混んでいる人ごみを掻き分けて、お目当てを手にする。

見てみると、小さな白黒の顔写真が多数コメント入りで記載されたポスターである。コメントは非常に細かいので、バーゲン会場のようなあの場所では、普通はそこに書かれた文章にまで目がいかないだろう。しかし、丁寧に読んでみると、"XXXX, shot by gun in the front of his house on March 21, 1966"とか、"murdered by gun crime in PA, 1973"とか書いてある。要は、銃による犯罪でなくなった人々の顔写真のポスターなのだ。これをお土産と思って苦心のすえ持ち帰った人々は、自分の部屋やリビングに張る段になって、かつがれたことに気が付くという算段。そして、先を争って躍起になってこのポスターを奪い合うようにしていた自分の姿を思い出して悔しがるやら脱力するやら苦笑するやらしたりするのだ。


で、こうなる。持って帰る前に気づいた場合の話。

現代の、というか同時代のアーティスト達の作品を見ていると、作品の生み出される時代を生きているという実感が湧く。それは、魅惑的で、危険な体験だ。彼らは正面から立ち向かっている。勇気や覚悟の一片さえ持ち合わせない、私のような偽善者は、普通は、射程距離圏外の安全な場所で、こうやってのうのうと生きている。しかし、迂闊に彼らの戦場に踏み込むと、流れ弾を浴びて致命傷を負いかねない。平凡なサラリーマンが、いつも乗る7時55発の列車とは逆方向の電車に乗ってそのまま彼の生きていた小さな社会から姿を消してしまうようなことが、あるいは起きてしまうかもしれない。

***

そういえば、とフィラデルフィアに残してきた「妹」の誕生日が近いことをふと思い出して口にする。すると、彼女いわく、それが今回NYCに来た目的のひとつだという。私が日本に帰る前に、フィラデルフィアに連れて行く段取りをつけるためである、と。しかし、残念ながら、その機会は持てそうにない。ここでフィラデルフィアに行かないと、後悔するかもしれない。それは判っていたが、こればかりはどうしようもない。まして、どうしても外せない用事が入っていたのだ。

彼女をPenn Stationに送り届け、Amtrakに乗せる。Penn Station。何度通ったことだろう。フィラデルフィアに住んでいたころは、ここがNYCの入り口だった。ブラジルから来た友人をNew Arkまで送ったときも、ここだった。もう、しばらくここに来ることもないだろう。アナウンスと同時に、走り出す人々の波にもまれながら、私は彼女にBye.と言った。







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