同窓会に行って来ました。 - 2005年05月23日(月) だから何だというのだ。 というタッチで文を書く劇作家のエッセイを同窓会に行く前に たまたま読んでいたので、引用してみる。 「(電話にて) 『元気か、おれだよ』 大学時代の友人は当時と同じような声で話しかけてきた。『どうしてる、最近?』と会話がはじまるが、挨拶が一通りすみ、いま何をしているかという報告が終われば、もう何も話すことがない。 『大変だよ、ガルーダ・インドネシア航空』 だからといって、十数年ぶりに話をする友人に、いきなり航空機事故の話をしてもしょうがないのではないか。いけないことではないが、何かちがうような気がする。 『燃えてたな』 『ああ、燃えてた』 『煙も上がってさあ』 『もくもくな』 『ああ、もくもくだ』 まるで会話が会話が弾まないのである。 何年も会っていない彼とは、現在を同じ空気の中で生きている感覚が希薄で、たとえガルーダ・インドネシア航空の事故が惨事であってもそのことについて語るのはどこか奇妙だ。 (中略) つい過去に関わる話題になってしまう。 いまあいつは何をしているかといった種類の噂話だ。この、「関係」もまた奇妙だった。たしかに、彼は私の、「友人」だし、彼からしてみれば、私は彼の「友人」だろう。だが、十数年という時間によって、それがどういった「関係」を意味するのかよくわからないことになっている。 (「よくわからないねじ」宮沢章夫 新潮文庫より) これを読んだ時は、たしかに、と思った。 会いたい、と思う人間は元クラスメイトのほんのひとにぎりだったし 「友人」と「クラスメイト」というのは また違うものであるし。 実際、会場に着き、席に着き、そう思った。 何を話す? そしてどうなる? ちびちびと話を、つまらない話をしたのだけれど 先へとつながる話はない。 僕がそんな話をするつもりがないからなのかもしれないけれど。 この日は忙しくて、伏見のホテル(会場)から春日井へDJしに行って とんぼ帰りで本当に親しい同級生にもう一度会った。 ドナ・リーというなじみのお店で。 酒。 酒は話を弾ませる。 ま、今度は大学生当時から密なつきあいだったひとたちだったこともあったし 話も弾むわ。 酒は話の内容を忘れさせる。 あいつと何しゃべってたんだろう。 どうしたらいいんだ。 後はおもしろかったので、さっきの続きを引用。 「では、『同じ釜の飯を食った仲』はどうなるのか。 私ははっきりいって、この言葉がよく理解できないのだ。だから何だという気にもさせる。「同じ釜の飯を食う」ことで。そこになにか濃密な関係が生まれるのだろうか。 そういえば、電話をしてきた大学時代の友人とは、学食で同じ釜の飯をかなりの長期にわたって、食べてきた。 「俺とおまえは、同じ釜の飯を食った仲だ。だってそうだろ、あの大学の学食で、いつも昼飯を食ってたじゃないか」 「たしかにそうだけど、だとしたら、学食のおやじはどうなんだ?」 「あ」 「学食のおやじも、同じ釜の飯を食ってたんじゃないのか?」 「ちきしょう。俺は学食のおやじとも、同じ釜の飯を食った仲なのか」 (以下略) -
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