妄想更新日記
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2007年02月23日(金) ぜいたくすぎる!

本 文
去年はいったうちのパートさん。もと幼稚園で主任クラスまでいった方だけあり使える使える!今や私の大事なお友達(でもひとつ先輩)です。

その人がみせてくれた前に勤めていた幼稚園のHP


いや、びっくりした、うちみたいな小さな貧乏な園、行事もとりくみも少なくのほほーーんとしてるところに来たら実力がもったいないんじゃないか?


サッカー教室あり、陶芸教室あり(自分の所の大きな窯まである!)温水プールに絵本4000册という図書館。


それらのものすごい規模の施設全てが

そこの園児のためだけ

に、用意されているのだ。

他には卒園生以外使用してはナラナイ。

....ちょっと話し変わるケド長男の中学のベスト10に入ってる男の子のうち数人は「塾に入ってるやつなんかには負けない!」って勉強してるんだって。

やる気でやってるだけあって圏外におちないのよ。

お金かけて時間かけてできるのはアタリマエ。問題集もプリントも講座もどんどんお金だけでやればできて当然。


私の友達のおかあさんがその子の母親なんだけど「なにもかも準備されて『さぁどうぞ』とだされた中で勉強したり問題をといても意味がない」というの。もっともだよね。

でもかたや厳しい塾にはいってるママ友の中には「現実こんなにきぼしいのにそんな呑気な事いっててはいけません!」と叱られて補習をうけさせられたおかあさんもいる。

こどもをみれば一目瞭然。

工夫して考えて楽しみながら自分をもって勉強するにこした事ないよね。


でも全員が全員そんな夢みたいな子育てできるわけないから私も塾いれてる。

どっちかというと私は勉強がきっかけではあったんだけど母親としてできそこないな私のたりない所を塾に補ってもらってるという意味合いがつよい。


おかげで私は勉強についてしのごのはいっさい言わなくなって「生活をきちんとしよう」って言う事を今教えられる。

小さい時にやっておかなかったツケを今払ってる。お金かけて。

私の言う事なんか聞かなくなった息子だけど塾のセンセイが大好きで言う事を聞く(同じ事いってるのに)


「親をもうひとり得たようなものだ」と思ってる。お金で雇ってる。申し訳ない。

もっと私が深く考える人間できちんと丁寧に生活できてたらこんな事には成らなかったんだろう。

私も働いていてほんとに身体がえらくて「楽」をお金で買っていた。「楽しみ」をお金で買っていた。

そういう姿勢が子供にもでていてあいつら本当に深く物事考えない。


元にもどってその幼稚園の子供はきっと私達世代より多くの知識をえてるだろう。色んな体験をして学ぶ事も多いだろう。


でも実際その後育てて行くのは親なのだ。

「お金」で「買った」親にその後教えていける事ってなんだろう。

ほんとうにこの時期にこんなものが必要なのか?

私ははなはだ疑問。

「できる」こどものお母さんはやっぱり「できる」

そしてお金のかけ所をわかった慎ましやかな人が多いように思う。

そのパートさんは「本当にココは暖かくてほっとする」という。

うちの園も無駄もやりきれないことも多いけど

そのパートさんはこれだけの取り組みを成すために自分の労働力をフルでつかってレベルをあげていた。

個人個人の保育者の努力でかろうじて成り立っていた「素晴らしい」保育。

「いいところにいれたい」おかあさんの親心はもっともだけど

本当は親も園も福祉も協力して「いい子供像」に近付けるべきで


こんあふうに一人の保育士が過労で倒れて(...で、いろいろあってやめたらしい)なんとか保つ保育ってどうか?

もちろん今度はそのヒトのかわりの「倒れるまで働く」か「前より使えないなと言われつつ勤め上げられる」人が支えるわけだ。


もっと子供の力をひきだせるのは


「お金」

じゃなくて

「時間」



「何もない状況」だと思う。


今はもうその時代には帰れないけど


私達が「意識」する事はできるかなぁと

そんなことを思った。



....まずは私の生活改善!



これが中々難しい仕事なんだからこどもだって大変だよね!






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