疑惑と告白,映画『真珠の耳飾りの少女』

 例えば友人に人や物やお店を紹介してもらって、私も気に入ったら有難いと感謝する。期待したほどのものでなかったり、何かトラブルがあったりすれば「なんだよ、もう」と思う。
私が紹介する立場であれば、喜ばれたら私もうれしいし、トラブルがあれば申し訳なかったと思う。
直接の責任はなくても「よかった」とか「申し訳ないことをした」と思い、大抵の場合は相手に言う。

回りくどい言い方をしているけれど、彼→私→友人で、友人が少々面倒なことになった。
3人のうち誰にも悪意はないし、落ち度といえるほどのこともない。
私は友人に謝ったが、彼は「ひどいね」だけ。

謝ってほしいとは思わないし、そういえば「ありがとう」って言うのもあまり聞かないなぁと思う程度だが。
この件で彼に対して「謝らない人なんだ」と思うのは、お門違いか?
これも自己責任ってか?

 この話とは別件で、私と、別の友人と、彼の3人で会った。
友人は彼にお礼のメールを書いた。それは友人から聞いていた。
どんなやりとりをしているかなど、気にしていなかった。

前の些細な一件に関連して、モヤモヤしたものが浮かんだ。
はっきり彼に不信感を抱いたわけではない。
常識的に考えれば彼から友人への返信は普通のものであると予想していた。

残念ながら、私の予想は外れて、彼は友人を誘っていた。
3人で会う前に私は彼に「友人と仲良くなったりしたら嫌だ」と言った。
「そんな面倒くさいことしないよ!嫌な思いをさせたりしない」という言葉を信じた私。

誘われたことを友人は言ってくれなかった。
今回「つかぬことを」と聞いたら実は誘われていた、口止めされていた、悪かった、と。

言いにくいことなのはわかるし、誘いは断っているし、友人のことは責めない。
だけど、やっぱり彼は問題じゃないだろうか。
私と友人が気まずくなっても彼は「なんで?気にするようなことじゃないよ」ぐらいなもんなのか。

彼と私はわかっててつきあうのだが、友達も巻き込むからには、友達と私の関係が変わったら私の責任だと考える。

3人で会うのは彼の希望だった。
しかしセッティングをしたのは私で、私も予想するべきだったか。
友人は魅力的だから、誘いたくなるのは何の不思議もない。
彼の「誘ったり面倒なことはしない」という言葉を信じたのが間違いか。

私とはなかなか会えなくて、課題についてはプレッシャーをかけ続け、友人を誘うって何かの作戦か?嫌がらせ?無意識?病気?屈折した愛?なわけないよな。

 毎月29日は池袋の映画館が1,000円均一になる「bukuの日割引」で『真珠の耳飾りの少女』。いい映画だ。
少女の境遇は悲惨だが、あの名画のモデルになることは、少女はいつまでも生きているということだ。
少女はフェルメールを雇い主として慕ったのでもなく、男として愛したのでもなく、芸術家としてパートナーになって彼の作品作りを手伝わずにはいられなかった。
それほど大きくない絵であっても画家1人が自分の力だけで描くのではないというのが面白かった。
貧しい少女がお金に詰まった芸術家に利用されたという結果に見えたとしても、羨ましい。

この映画を今日見たのは良かった。この映画を自分に引き寄せるのはかなり図々しいが、私は彼に利用されるなら、それもいいと思う。利用価値があるってことだ。
彼が芸術家で、私を利用して素晴らしい作品ができるならなんと幸せなことかと思うが、現実とはかけ離れているね。とほほ。
2004年04月29日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

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