セルフライナーノーツ。

2005年02月21日(月) オペラ座の主演女優。【オペラ座ネタバレ?】


いきなり仕事が忙しくなって参りました。
まあ…もうすぐ3月だしね、そろそろ覚悟を決めなくては!(;>ω<)/
そんな訳で先週は、土日も23時くらいまで会社で仕事してた訳です。
SEEの特典ディスクで、最終〆切近くのWETA現場の混乱ぶりが見られたけど…そう、まさにあんなカンジだ。納期前夜は(汗)
もー、マウス握ってる手とディスプレイと己の頭が分離しちゃってるんだよねー。
それで神業スピードが出ることもあるけど、凄く単純な操作にものすごく戸惑ってる時もある(^-^;
あと、大体マシンも疲れてきちゃってしょっちゅう固まるし(笑)
仕事が山に入る前に、『オペラ座〜』観に行っといてよかった!( *´∀`)





つー訳でワタクシ的『オペラ座の怪人』レビューですが。
うーん、何とも言い難い…というか、何故、映画化する必要があったのか?
その一言に尽きる。



主演3名は見目麗しく演技も素晴らしく、(俳優としては)歌も素晴らしかったと思う。
だけど、ミュージカルとして捉えるには歌で伝えられるものが絶対的に足りない。
映画として観るには、人物の書き込みが足りないしストーリーにもほころびがある。
(ラウルとクリスティーヌは屋上まで逃げた割にはのんびりと愛の歌を交わし、さらに何事も無かったかのように下へ戻って行ってるんですが…あんた達、何しに登ったのよ?!Σ(゚д゚;))
そもそも、この「オペラ座の怪人」て戯曲としてはちょっと出来がマズいんだと思うのよね。
ホラーでありミステリーである原作から、無理矢理恋愛要素を押し出して固め上げた、その結果の矛盾。底の浅さ。
それを抱えながらも、音楽劇という形を取り、歌の力を借りることで強引に押し切って成功したのが「オペラ座の怪人」というミュージカルだと思うのです。
敢えて映画化するなら、どうしてもっと人物の内面を掘り下げなかったんだろう。
それを楽しみに観に行ったんだけどなー…。
要の「マスカレード」のシーンも、思ってたより見栄えしてなかったし。
あれなら、狭い階段にぎっしりダンサーが並んでる舞台版の方がよほど迫力あったような…





バトラーの怪人は、なんか、無意味なほど自信に満ちあふれてましたな(笑)好きだけど(笑)
このファントムにとってのクリスティーヌは、”自分に与えられる筈だが得られなかったもの”の象徴なんだな。
もちろんそこには彼女への愛はあるんだけど、他にも、己の才能に対する評価、栄光、称讃、表舞台にいれば与えられるだろう(と勝手に思ってる)すべてが、彼女のかたちに集約されてるのだ。
この人は間違っても、”この顔が醜くさえなければ、人並みの幸せが…”なんて思ってないよな。人並みの評価なんて我慢できなさそうだ(笑)
これまでのファントムは、他に縋るものも希望もなく、ただ最後にクリスティーヌの愛を求めた哀れな男ってイメージだったので、ちょこっと新鮮でした。
お歌に関しては……何も言うまい(^-^;
ていうか、ミュージカルにしなきゃよかったのにな。メジャーな曲2、3曲歌うだけにしとけば…
下手、とは言いませんが、見せ場であるデュエットでエミー・ロッサムと根本的に声質が合わないのが残念。
(↑これはミュージカルでの配役なんかでもよくあることだけど)





クリスティーヌは相変わらず、二人の男の間でフラフラするばかりの”都合のいい女”だった。
ラウルと共にありながらも、ファントムを想う感情を同時に少しでも見せていれば、あそこまで尻軽にも見えないだろうに。
エミーはとても良かったと思うのですよ。少なくとも、彼女に求められていた若さとか純真さとか、それは十分に出ていたと思う。声も可愛らしかったし。
でも、クリスティーヌってそれだけの役じゃないでしょ。
監督は映画化に際し、ミュージカルでは使えない若手女優をクリスティーヌにと希望し、彼女を選んだそうだけど、それが終盤に進むに連れ、仇となっている。
別れ際のファントムへの母性を感じさせるには、せめてあと5歳くらいは上の女優を捜した方がよかったんじゃないかなぁ…(^-^;
そんな訳で今回もやっぱり、指輪のシーンではムカムカしていた私でした(笑)
(余談だが、「ハンニバル」での衣装がエリザベートを彷彿とさせて嬉しかったな〜vvv)






ラウルは…ミュージカルでの印象より、映画でだいぶ株を上げたかも。
でもやっぱり”アンタ何しに出てきたの…(;・∀・)”的キャラであることに変わりはない(笑)
が、しかし。
前回の日記でも書きましたが……パトリック・ウィルソン、やっぱり脱いでくれましたな!ちまっと、だけど。(笑)
怪人とクリスティーヌを追って地下への階段を降りる彼、ぴらっとヒラヒラブラウス(?)を…
てゆーか、その1枚くらい、脱いでも着てても変わりないじゃん!(笑)厚手のコートとか、ジャケットなんかだったらともかくさぁ…(笑)
墓場のシーンでは頑張ってアクションしてましたね。ラウルの見せ場だもんね…
でもあのシーン、不必要に長くないか?私、ミュージカルでもあの辺でいつも睡魔に襲われるんですが…(汗)
映画一緒に観た友達も、墓場でちょっと寝たって言ってたし(笑)
……あれ?
でも、ミュージカルの決闘シーンって、剣で闘ってたっけ?ピストルじゃなく?
(私、ウトウトしてて銃声で目覚めたような記憶があるんだけど…気のせいかな(^-^;)

あーでも、ダメだ、この人『エンジェルス・イン・アメリカ』のイメージが強すぎて…
ダメだよクリスティーヌ!結婚してもこのひと2度しかエチしてくれないヨ!しかも終いにゃ男に走っちゃうヨ!とか、余計な助言したくなっちゃう(笑)






そんでもって唯一(?)この映画で拾いモンだったと思うのはマダム・ジリーとメグ親子ですな。( *´∀`)
子供の頃からファントムの存在を護り続けて来たマダム、そして、天賦の才を持つクリスティーヌを親友としてきたメグ。
ひょっとして彼女たちは、ファントムを恐れつつも、彼に選ばれたかったんじゃないか。
ファントムさえそれに気づけば、彼はクリスティーヌに以外にも拠を見つけられたんじゃないか。
またしてもサリエリを引き合いに出してきて申し訳ないが(笑)、どうしてもサリエリ的キャラに肩入れしてしまうのですよワタクシ(^-^;
だって好きなんだもーん♪(笑)





ファントムに限らず…かも知れないけど、外見だ何だで己を判断されていると嘆く主人公ってのは、往々にして自分も同じことやってる訳です。
たとえばここでメグがファントムの苦悩を理解し、彼の側にいたいと望んだとしても、彼はたぶんクリスティーヌ以外の腕は取らない。
結局は自分も外見であったり才能であったり、そういうもんで独りよがりに選り好みしてる訳だ。
映画のバトラーファントムが人生悲観するほどじゃなさそうなルックス(笑)だったので尚更そう思うのかも知れないけど、やはりこの作品、どのキャラにも感情移入しにくいんだなあ…。
その辺の改善を映画化では期待してたんだけどね。
でも、ロイド・ウェバー氏が”この作品を映像として遺しておきたい”という想いから実現させた映画化だと知って、じゃあ何一つ変化がないのも仕方ないか、と納得(^-^;
おじいちゃんの記念ポートレート、じゃ仕方ないよね!(笑)



この作品のワタクシ的主演女優賞は……マダム・ジリーに決定!!
地下洞窟へラウルを案内しながら、トラップ直前で自分だけ引き返す………あの駆け引きはお見事です!(*゚∀゚)=3(だから”主演”じゃないって(笑))











さて、次に時間が取れたら、今度こそ『ボーン・スプレマシー』を…!(>ω<)
カールだけでも見に行こうかと思ってたのに、マートンまで出てるなんて知らなかったよママン!あぁんv
胸毛出てるかしら胸毛…v(←指輪役者中、私的最愛胸毛(笑))










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