無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年11月23日(火) ヒミツのハカセちゃん/映画『父、帰る』

 記憶が既にさだかではないが、確か『オバケのQ太郎』かなんかのエピソードで、正ちゃんが「今日は『勤労感謝の日』だから、ママのお手伝いもしなくていいんだ」とか言って、サボろうとして叱れる、って話があった気がする。
 もともとこの祝日は戦前の「新嘗祭」を引き継いだもので、つまりは五穀豊穣を神に感謝するわけだから、別に働かなくていいという日ではないわけだ。
 労働も特にしてないガキンチョどもは、今、こうして毎日メシが食える喜びを感謝して、今日くらいはお父さんお母さんの代わりに家事を手伝ってやるくらいのことはしてもいいと思うんだけど、昔はいくらでもいたそういう健気な子供って、現代じゃもう絶滅してないかね。
 ウチの仕事に家事にサボりまくりの被保護者は今日が何の日かも全然知らんと思う。期待したところで仕方がないと思いながらも、奇跡が起こって「あなた、今日のおかずは○○よ♪」とか言って、料理運んできてくれたらなあとか夢想したりもするのだが、まあ、夢想どころか妄想だろう。ううう(T∇T)。


 休日でゆっくり出来るかと思っていたら、昼からしげがハカセ(穂稀嬢)を連れて来た。
 芝居の小道具の製作の手伝いをさせるためなのだが、だから人を家に呼ぶ前に部屋は片付けておけよって(-_-;)。居間いっぱいに模造紙広げたりするもんだから、脇を通ることも至難の技、あまつさえトイレの前にシーツを広げてその上に絵の具塗ったくって、「踏むと付くよ」って、おまえらはトイレに全然行かんつもりか(+_+)。こっちは最近また血糖値が上がって来て、頻尿になりつつあるってのによう。
 それでも3時くらいには作業もひと区切りついて、穂稀嬢を車で送っていく。
 今度の芝居には「黒子」が多数登場するのだが、その衣裳用の端ギレを買いに布屋に寄る。もっとも私は眼が悪いので見立てはできない。ただ付き添ってるだけなので、ちと寂しい。
 そのあと、用事があるという穂稀嬢を某所まで送る。
 「今日はこれから○○○○○○○んだね」とからかったら、穂稀嬢、「いえ、あの、その」としどろもどろになった。うら若いムスメを冷やかして喜ぶとは、中年オヤジはこれだからいけない。でも、困ったことに穂稀嬢って、非常識を寒天で固めて脳ミソとすげ替えたような天然キャラなので、いくらイジッても全然罪悪感を覚えないのである。そうかー、ここが穂稀嬢の○○○が○○○○○○○○○かあ。なんと○○○○○○○○○○○○○○○○○じゃん!
 まあねー、別に悪いことしてる訳じゃなし、どこで誰と会うのか、別に隠さんでもよかろうとは思うのだが、こういうことは温かく見守るのがよろしかろうと思うので、あえてヒトと場所は秘するのである。……ってバレバレやがな(#^_^#)。


 そのあと天神に回って、KBCシネマで映画『父、帰る』。
 しげがやたら見たがっていたけれども、一日一回の上映で、しかも早朝興行が多かったので、これまで見る機会を逸していた。それが今週になって夕方5時からの上映に切り替わったので、ようやく見に行けるようになったのである。
 ロシア映画を見ることはそうそうないので(これまで見た映画の中でパッと思いつくのは『戦艦ポチョムキン』『イワン雷帝』『惑星ソラリス』くらいのものである)、日本映画などとはかなり肌触りが違うだろうなあ、もしかしたらすごくつまんないんじゃないかなあ、と心配していたのだが、それは杞憂であった。それどころかこれ、脳天をぶん殴られたと感じるくらいにトンデモナイ映画であったのである。
 描写は実にリアルであり、凝ったアングルもなければコケオドシのモンタージュやフラッシュバックもない。もちろんCGなんかも一切使っていない。カメラは淡々と出来事を追いかけていくだけである。しかし、映画を見終わって気付くことは、物語が何も語ってはいないという衝撃の事実なのだ。
 母子家庭の兄弟のところに、ある日突然、父が帰ってくる。父は兄弟を旅に連れだし、ある無人島へ渡る。兄弟は突然の闖入者である父の存在をどう受け入れてよいか分らず困惑するが、父は島で事故にあって死んでしまう。
 ……で。物語は終わりである。「呆気に取られる」とはこういうことを言うのだろう。父は失踪していた間、どこで何をしてきたのか、今、家族のもとに帰ってきたのには何か訳があるのか、いや、そもそもこの男は本当に兄弟の父だったのか、全て説明されないまま映画は終わる。そこに「出来事」はあるが、「意味」や「説明」は一切ない。普通そういう映画は「不条理劇」と呼ばれるものだが、描写がリアルなだけに、監督が観客を翻弄するためにそんなことをしたとは感じられないのだ。おかげで、我々はこの映画をどう受けとっていいか、困惑の中に置かれたまま、映画館の外に放り出されてしまうことになるのである。
 けれど、やたら過剰な説明ばかり語られて「この映画はこう受けとってください、それ以外の解釈は困ります!」と言った類の押しつけがましい映画が多い中で、この「潔さ」はむしろ小気味よい。「なんじゃこりゃ?」と腹を立てるお客さんもいるだろうが、私やしげはこういう映画の方が好きである。
 ……だからなんだろうなあ、自分たちで作る芝居がやたら説明不足になるのは(役者が文句つけるんで、改稿するとすぐ説明的になっちゃうんだけど)。


 帰りに「ヤマダ電器」に寄ってパソコンコーナーに。
 私もそろそろノートパソコンを買わないと、仕事にかなり支障を来たしつつある。一応、職場にもパソコン置いてあるんだけど、これが方が古いのかメンテまるでやってないのか、ともかくやたらフリーズしまくってるのだ。けれど、デジタルテレビ買っちゃったこともあって、今すぐには買えない。つか、ヘタすりゃ来年の夏まで買えない。DVDボックスとか買うの、少し控えりゃなんとかなるんだけど、今見とかないとなあというのが最近やたら出まくってるし。『風と共に去りぬ』ボックスとか、『ザッツ・エンタテインメント』ボックスとか、私に死ねと言ってるようなものである。


 昨22日、『華氏911』のマイケル・ムーア監督が、オンライン映画雑誌 “Film Threat. Com”の「Frigid 50(寒い50人)」でトップに選ばれたというニュース。
 もともとこのサイトは、エンターテインメント業界に対して批判的なところだそうだが、この「Frigid 50」の主旨は、「面白みに欠け、興ざめの著名人」を挙げることにあるという。だとすると、ムーア監督がワーストに選ばれた理由は、政治的な批判というより、その「人間的な態度」にありそうだ。選考理由が「あまりに巨大なエゴ」というのも、納得できることである。
 おそらくは、お上品な映画を作ったって世間の注目は浴びない、とにもかくにも自分の主張を聞いてもらうためには「宣伝」が先だとムーアは判断しているのだろう。そのこと自体は必ずしも間違いとは言いきれない。しかし、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のチャールトン・ヘストンへの失礼極まりないアポなし取材や、『華氏』での我田引水かつ恣意的な情報操作はあまりに度を越している。こうなると世間の見方は「反発」の方が強くなってしまう。選挙後のムーアの奇異かつ余裕のない発言を聞くだにつけ、からかいの対象になっているのはブッシュよりもむしろムーアの方になりつつあるようにすら思える。ムーアはさらに『華氏911・2』を企画しているそうだけれども、ひとり、山のてっぺんでヒステリックにアジ演説ぶつような、お寒い映画になっちまわないだろうか。ミシマかい(-_-;)。ギャグって「高踏派」じゃなきゃ作れないものだと思うんだけどね。
 ちなみに第2位は、ハル・ベリー。アカデミー賞女優だってのに、『ゴシカ』『キャットウーマン』がなんだかなあ、な出来だったからだそうだが、それと『Xメン3』のストーム役を蹴ったことも理由になってるんじゃないかな。ステイタスが上がったと思って天狗になってんじゃねえ。それで出た映画があれかよ、という反発。いまからでもおそくないから、『3』にもちゃんと出ます、ギャラ低くてもいいから、とはっきり表明したらどうかねえ。それだけでも「株」はかなり上がると思うけど。

2002年11月23日(土) 江川卓>○○○/CD『ちょんまげ天国』/DVD『ハレのちグゥ』4巻/『ほしのこえ』/『オトナ帝国の逆襲』
2001年11月23日(金) 純情エロさん/オタクアミーゴス前夜祭
2000年11月23日(木) 勤労感謝の日スペシャル/『超オタク』(岡田斗司夫)ほか



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