無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年09月21日(火) マーシーって愛称もなんか好きになれなかったが/DVD『Re:キューティーハニー』天の巻

 三連休が明けて、まだややからだの調子が戻らない状態で出勤。
 こないだ相当な口論をしたので、トンガリさんはどんな顔して仕事しているやらと覗いてみたらまたまた欠勤だった。てことは四連休か。明日も休めばその次の日も休みだから一気に六連休、さらに二日休んだら十連休まで行っちゃうけど、いっそのことそのまま出て来なけりゃいいのになあ。そうすりゃさすがにおエライさんたちも、「代わりの人を」って判断してくれるだろうから。


 明日は父の69歳の誕生日なので、プレゼントを買いに仕事帰りにしげと博多駅に。
 プレゼントの選択はしげに任せて、私は紀伊國屋を回って、仕事関係の資料を探す。まあついでにDVDやら本やらも買ったけれど。
 DVDは、予約していた『イノセンス』のリミテッドエディション2、『鉄人28号』3巻、『Re:キューティハニー』1巻。他にもほしいものはたんとあるのだが、今月はお出かけの予定が多いので、泣く泣く諦めたものも多い。ああ、ビリー・ワイルダーボックス、冬のボーナスが出るまで売り切れてませんように(T.T)。
 しげ、最初はお風呂用品を何か買うと言っていたのだが、適当な品がなかったとかで、ダヤンの携帯ストラップとボーチを買ったとか。70歳目前のジジイが付けるものとも思えんが。

 七時過ぎ、父の店へ行く。信号にいくつか引っかかって、5分で行ける距離が10分ほどかかってしまったが、父は店の前で待っていた。中にいてもよかろうに、トシ取るたびにせっかちになっているようである。プレゼントを渡して、夕食に誘う。あいにく目当ての店は駐車場が満杯で、仕方なく近所の焼肉屋へ回る。
 父は牛刺しにビールに焼酎、私としげは焼き肉を適当に見繕う。誰もダイエットなんて考えてないんじゃないかってメニューだ。できるだけ肉はつままないで野菜ばっか食うようにはしたけど。
 父、酔いが回るにつれてこないだの電話の件でまたまたクダを巻く。
 内容は同じことの繰り返しで、父は幼馴染の友人に対して、「なんでしげさんの育ちが悪いとか、そんな理由でお前たちを別れさせようなんて言わないかんか。おれは差別するやつが一番好かん」と立腹しているのである。
 当のしげは「育ちの悪いのは事実らしいんで」と苦笑しているが、酔っぱらった父はどうにも止まらない。「あの人も、子どものころ、人から差別されたことがあるったい。自分も差別されとって、なんで自分も他人ば差別するか? おれにはそれが分からん」と、どうにも腹の虫が収まらない、というふうである。
 「自分が差別されとうから、他人ば差別するようになるんよ。仕返しみたいなもんやろ」
 身もふたもない言い方だが、傷つけられた人間が痛みを知るが故に他人を傷つけないようになる、なんてのは理想、と言うよりはただの幻想である。たいていの人間は傷つけられればただの人間不信に陥る。そして時には“意図的に”他人を攻撃することすら厭わなくなる。で、殆どのオトナがそれまでの人生の中で一度も傷つけられなかったことなんてないから、他人を平気で攻撃し傷つけるようになるのである。それが現実だ。
 だから、「自分は昔、傷つけられたことがあるから、他人を傷つけないようにしている」などと堂々と言ってのける人間は、ウソを平気でつくことのできる詐欺師か、そうでなければ無意識のうちに他人を傷つけまくっている最も迷惑な“善人”である。この「善人」が実に始末に悪くて、過去に「傷ついた」経験が、他人に対して何か説教できる資格を与えたかのように本人を錯覚させてしまっているのである。心が「自分は正しいことを言っているのだ」という確信に支えられているから、もう他人の言葉は全く届かない。具体例はあえて挙げないが、多いよな、こういう手合い。
 まあ、父も実はその「手合い」とやらの一人なんで、脳天気に「差別された人間は他人に差別しなくなるものではないのか」なんて理想論を言ってしまえるわけなのだが。私だって差別は嫌いだが、差別をすることでしか人は自己の精神を安定させられない、ということも知っている。そこに例外はない。単純に「差別反対」なんて言えるものではないのだ。
 まあ、父の憤懣も所詮は酔っぱらいのクダマキであるから、マトモに聞く必要はない。父とそのご友人、端から見てると今にも取っ組み合いのケンカでもし始めるんじゃないかってくらい、怒鳴りあったことも何度となくあるのだが、小学校時代からの腐れ縁なので、大ゲンカしたあともケロッとまた仲良くなってしまっているのである。お互いの欠点も知った上で好きなだけ言いあってるのだから、夫婦ゲンカみたいなものだ。犬も食わないもんに茶々入れたりするものではないわな。
 父、食事を終えたころにはやたら機嫌がよくなっている。「今日はありがとうね」を繰り返して少しばかり千鳥足。父のマンションまで送るが、玄関で別れると廊下で蹴躓きそうなので、裏庭の近くまで車を寄せる。鍵を開けるのに少し手間取っていたようだが、なんとか部屋の中に入るのを確認して、その場を離れる。
 父ももともと酒に強い方ではなかったが、年を取ってかなり弱くなってきたようだ。けれどどうせこのあとも飲みなおすのに決まっているのである。全く、糖尿はどうしたんだ。
 帰り道、スーパーに寄って食材を買い込む。と言っても今、ウチでは「親子丼」がハヤリなので、買うものと言ったら鶏肉とか鶏肉とか鶏肉とか卵である。私自身ももう少しレパートリー、増やしたいのだけれども。


 帰宅して、DVD『Re:キューティーハニー』天の巻を見る。
 トワーニが解散ってことは、このアニメシリーズも3話で終わるのかなあ。いや、そりゃあまりにももったいないってくらいの快作。実写劇場版の3倍は面白い……と言い切っちゃったら四代目ハニーを熱演していたサトエリには悪いけれども、どうしたってアニメのキレのある動きとテンポには実写は敵わない。
 特に1話の監督を務めた今石洋之監督は、止め絵にコマ落としを効果的に使ったマンガチックな演出で、いかにも“永井豪らしい”ギャグを連発してくれる。いやあ、万年係長が実は『廃人二十メンチョ』のイボ痔小五郎だったとは! 下半身ケツ丸出し(噴血もちゃんとあるでよ)の係長なんてセクハラじゃないのか(^_^;)。ということは、実写版の万年役の松尾スズキも実はイボ痔か(^o^)。
 当然、社員の寺田リンコと高橋真弓は、イボ痔の助手の手寅あけびと割目モモ美が演じているのだけれど、もともと原作『ハニー』(新作)に寺田リンコというキャラクターが登場しているし、高橋真弓はもちろん『けっこう仮面』のキャラクター、だけど真弓のビジュアルはなぜか女子アナに流用されていて、なんかすごくややこしいことになっているのである。ってそんな細かいこと、永井豪ファンじゃなきゃ分からんわ。いや、ちょっとだけ登場のキャラクターを挙げていけば、不動明や牧村美樹を初めとしてキリがない。快ケツ婦警さんまで出るとはいったい誰が想像したろうか。まさに豪ちゃんファン必見のアニメになってるんである。
 極め付けは、なんとへんちんポコイダーとへんきんタマイダーの初のアニメ化! ゲスト出演とは言え、声もちゃんと付いているぞ! ポコイダーフリークのいしかわひでおくんにのだじゅん。ちゃんだ! そのあたりの事情は特典映像で確かめよう(^O^)。
 実写版では見せ場のなかったゴールドクローもアニメ版ではちゃんと捲土重来、ハニーをギリギリまで追いつめてくれる(この「ギリギリ」ってのは当然“露出度”のことね)。実写版での「もう一歩」感がこのアニメ版でスッキリ解消された気分である。やっぱ実写版でもシタチチくらいまでは見せるべきだったんじゃないのかね。それがハニーなんだから。
 それと、ハニーもいいけど、アニメ版ではつるぺたくーるびゅーてーな夏ちゃんがすんごくイイぞ! 原作から離れて女警部という設定にしたことは、実写版でも効果を上げていたことだけれども、天衣無縫なハニーとの対比で、お互いのキャラクターをよりいっそう魅力的に見せることに成功している。女はやっぱり強くてカッコよくなきゃイケナイのである。うん。


 読んだマンガ、島本和彦『炎の転校生』(文庫版)7巻。
 巻末にデビュー作『必殺の転校生』を分載したのは、「全巻買わないと最後まで読めませんよ」という卑怯なワザなのか、「稚拙過ぎて、とても一気読みはさせられない」という羞恥心ゆえなのか。成長した滝沢を描いた続編も収録されているけれど、尻切れトンボで終わってるので、まだこれが最終形ではないのかも。確かに続きを読みたい気もするけれど、冷静に考えればどうしたってデビュー当時の勢いは再現できないものである。1巻のころの描き足しも違和感あったし(島本さん自身、恥ずかしくなったのか、途中でやめてしまった)、やめといた方がいいよなあ。


 さて、またまたアカラサマな有料サイトへの勧誘メール。

> 差出人: amaryllis@***.famille.ne.jp
> 題名: チャリ盗まれたぁー!!?
> もぅ最悪だよぉ〜o(>_<)o
> 先週買ったばっかりなのにぃ!!!
> チャリ2コもってたよね??1コかしてぇ〜o(>_<)o

 こんな下品な口調のメールを送ってくるやつなんて、私の知り合いにはいません(~_~;)。しかも人の自転車を勝手に「チャリ」なんて呼んでやがるし、貸せとかくれとか気安いぞ。こんなヤツにものを貸したら二度と戻ってこないことは確実だ。
 さらに言えば、自転車の数え方は「1台、2台」で、「個」じゃないぞ。何でも「個」で代用できるなんて考えてんじゃねえ、この無知蒙昧な大馬鹿野郎めが。若いもんどうしはこういう一般常識もない下品な会話してるのかもしれないが、私を非常識の世界に巻きこむな。
 なんか、ニフティの迷惑メールフィルター、あまり役に立ってないよなあ。アドレスや題名に出てくるキーワードで分別してるんだろうけれど、ハッキリ「未承諾広告」ってタイトルにあるのに、すり抜けてくることもあるんだもんなあ、いったいどうなってんだよ。一応9割はカットできてはいるようだけどさ。
 スパムメールは、結局、相手への呼びかけができないから、一発で勧誘メールってことがバレる。「間違いメール」のフリをするなら、かえってアキラでも、ユージローでもなんでもいいから呼びかけりゃいい。その方が「宛先、間違ってますよ」と返事を送る人の数はグッと増えるだろう。それをしないってことは、送り手は自分の手口が中途半端だってことにも気付いてないのである。ばーか。
 こんな見え透いたメールなんて、いくら送ってもムダなんじゃないかって思うんだけれど、どういうわけだかこういう単純な手口にも簡単に引っかかってしまうピュアな方は、この広い世の中にはやっぱりたくさんいらっしゃるようなのである。なぜって、いつまで経ってもこの手のメールがなくなる気配がない。雑踏に石投げりゃ、必ず馬鹿に当たるってなもんである。新興宗教と同じで、引っかかるやつは心底馬鹿だから、騙すほうも罪悪感、感じないでいられるんだろうなあ。
 こういうのを減らすことって、なかなかできるとは思えない。一回引っかかった人はそうそう引っかからなくなるだろうけれど、どうせまた新参者がネギ背負って来るから。地道な努力だけれど、できるだけ多くの人が、迷惑メールを極力目に触れるようにネット上に晒していって、ピュアな方々を「啓発」してかなきゃなんないんだろうね。
 ネット上をあちこち検索してみると、迷惑メールをコレクションしているサイトもあったりする。「こういうのに気をつけましょうね」と注意を喚起してくれるのはいいことなのだけれども、中には「手口が巧妙になってきた」とか寸評してるところもあって、思わず「どこがや」と失笑して、そのあと落胆してしまう。最近のスパムメールは、手口はむしろどんどん形式化、定型化していて、稚拙になっていると言ってもいい。それを「巧妙」なんて誉めそやすから、この手のメールが一向に減らないのじゃないのかな。


 「おいおい、またかよ」の田代まさしの逮捕。ネットをあちこち覗いてみても、話題にしてる人多いなあ。隠れ田代まさし“ファン”って、そんなにいたのか。芸人としてもお笑いタレントとしても三流で、私はとてもファンにはなれないのだけれども。でもこうして事件そのものに興味を持ってしまうってのは、やっぱり心のどこかで田代まさしに「惹かれる」ものを感じているのか? やだなあ。
 20日夜、中野区新井の路上に乗用車を停めていたところを、警官から職務質問を受けた田代まさし、初めは「バタフライナイフの不法所持」が発覚しての、銃刀法違反の現行犯逮捕であった。
 それが、同乗していた女性のリュックサックから覚醒剤約2グラムと大麻樹脂約4グラムが発見されたため、女も覚醒剤取締法違反容疑で逮捕、そこで田代容疑者が「自分のものだ」と証言したために、同じく覚醒剤取締法違反ほかの容疑で再逮捕された、という経緯である。
 以前のスカート盗撮事件に続いて、覚醒剤所持もこれが二度目で執行猶予中だったから、もう実刑は免れまい。まあいかにも「懲りてない」感じだから、軽くても4、5年はくらいこんでたらいいんじゃないかと思うが、それでもちゃんと更生できるものかどうか。なんだか第2の清水健太郎になりそうだなあ。出所したらコンビ組んだらどうだ。一応「ケンちゃんとマーシー」だし。まあシミケンにバカ殿はできないだろうけど。
 「一度クスリに手を染めた者は、そこから抜け出せることはない」と言うけれども、実際にはそこから更生した人もたくさんいる。芸能人で、好奇の目に晒されているから一般人に比べて更生しにくい、という説もあるが、これもちゃんと抜け出せた芸能人もいるからウソである。結局は田代まさし自身に全ての責はあるのであって、同情の余地はない。批判、嘲笑を受けても仕方がないのである。
 お笑い芸人は、自分はお客さんを笑わせてるつもりでも、実は「笑われている」タイプと「嘲笑われている」タイプとに分かれている。田代容疑者は自分が後者であることに、いつまで経っても気付かなかったのだろう。

 ニュースでは田代容疑者のことを「元タレントで会社員」と説明していたが、ということはもうタレント業から完全に引退してカタギになっていたのか。でもそれなら覚醒剤はどこからどう入手していたのか。やはりどこかでそのスジに“つながり”があったのか、それとも今の「会社」とやらがやっぱり“そのスジ”だったのか。執行猶予がつくためには、更生のための環境が整っていることが必要条件だから、後者の可能性は少ないのだけれども、どっちにしろ前の逮捕のときに裁判所をうまいことだまくらかした事実に違いはないのである。
 いったん、人間としての評価が地に落ちているわけだから、そこから這い上がることが容易でないことは分かる。世間の白眼視に対して抗弁のしようがない状態で“どこかに”救いを求めたくなる気持ちも分かる。だが、人間の「更生」はそこで「救いを求めない」ことでしか得られるものではないのだ。そのことに人は往々にして気付かない。いや、そうだと理解している人もいないわけではないが、実践は極めて困難である。それを実行できるほどに人間の精神は“勤勉ではない”のである。それは人間の最大の“愚かさ”ではあるのだが、その愚かさがなければまた、人は自らの精神の重さに耐えられなくなる。従って、全ての人間は“堕落する人生”しか歩むことはできない。単にその人生という名のスロープを、ボーゲンでヨタヨタと降りて行くか、直滑降で一直線に滑り降りていくかの違いがあるだけだ。自分にとって「救い」と見えるものの正体は、実は目の前に広がるアイスバーンなのである。

 田代容疑者が求めた「救い」が「クスリ」だったのか「女」だったのか、そこはどちらとも断定しがたい。本気で田代容疑者を「救おう」と思う人がいるなら、逆説的な言い回しにはなるが、一切の救いの手を差し伸べないことである。ほんの少しでも誰かが救いの言葉をかけようものなら、彼は自らの罪すらも「肯定されたもの」と無意識のうちにすり返るだろう。愚かな人間への救いの手はその愚かさを助長させる効果しかない。その結果がどうなるかは容易に想像がつくだろう。「再犯」とはそのようにして行われるものなのだ。
 ……なんか、「救い」がどうのこうのって、結局私の意見としては、田代まさしに復帰してほしいのかほしくないのか、いったいどっちなんだ、と仰る方もおられるかもしれないが、別に人間一人の運命をどうこう言おうなんて大それたことは考えていない。どんな極悪非道の犯罪を起こそうと、もし「世間」がその存在を認知しようと動けば、その存在を否定することなど、誰にもできることではないのである。「禊」があるかどうかは時の運ってね。

2003年09月21日(日) 劇団の激談/『美女で野獣』3巻(イダタツヒコ)/『バジリスク 甲賀忍法帖』2巻(山田風太郎・せがわまさき)
2002年09月21日(土) 世界の王/『パラケルススの魔剣 アトランティスの遺産』(安田均・山本弘)/『パンゲアの娘 KUNIE』5巻(ゆうきまさみ)
2001年09月21日(金) 子供のころは本屋さんになりたかったのさ/『多重人格探偵サイコ』7巻(大塚英志・田島昭宇)ほか
2000年09月21日(木) 笑顔とブレゼントとオタアミと



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