無責任賛歌
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2004年05月01日(土) |
東京の夜は更けて(2)/小鹿番さんの死去と、またまたテンパる妻。 |
俳優の小鹿番氏が、4月29日、急性腎不全のため死去。享年71。 ついこの間、『放浪記』で菊田一夫を演じていた番さんを見たばかりだった。20年前に見たときにはまだ「作り」の部分があったものが、先日の舞台では実に自然に、菊田一夫本人といった風情を漂わせていて、年を取ってもなお演技が上達していくその素晴らしさに魅せられた。「至芸」とはこういう演技を見て称するべきものなのである。 朝食の席で新聞を読みながら、グータロウくんが、「小鹿番が死んだって聞いて、悲しむのは俺たちの世代が最後だろうなあ」と嘆息する。さて、それも怪しいものだ、と私は更に悲観的になる。いくら全国を回り、上演回数が記録を打ち立てていても、『放浪記』や『ラ・マンチャの男』の舞台を見た人間は、日本人の人口の数%に過ぎまい。「小鹿番」の名前を今回初めて聞いた、という人も多かろう。 悲しいことに、番さんのような浅草出身で舞台を中心に活躍し、テレビにはあまり出ない役者さんの評価というものは“最近では”どうしても低くなる(全く出ていないわけではないのだが、ちょっとしたゲスト、という役が多いので、その真価はわかりにくい)。しかし一度でもその舞台を見れば、「こんな凄い人がいたのか!」と唸ることは間違いないのだ。なのに、テレビしか見ない、という人間が、それがさも当然といった態度で何の興味もなげに「小鹿番? 誰、それ?」なんてほざいているのを見ていると、こめかみの血管が切れそうになる。そんなヤカラには、そもそも役者や演技を批評すること自体、不可能なのだ。シロウトならともかくも、「批評家」と名乗る人間までそんな自分の「不勉強」を恥とも何とも思っていない発言をしばしばしてしまうのは、いったいどういうことなのだろうか。 ナンシー関が、時代観察者としての目は持っていても、ドラマや役者の演技を批評する目をついに持ちえなかったのはそういうことである。おい、世の中のエセヒョーロンカどもよ、喜劇を語りたいんだったら、年間、舞台の100本くらい見とけよ。せめてテレビ中継だけでも。 しげを無理やり『放浪記』に連れて行って見せていてよかったと思う。今後、誰か別の役者さんが菊田一夫役を引き受けたとしても、番さん以上の演技は絶対に望めまい。これまで一度も『放浪記』を見たことがなかった、と仰る方は、人生で最も素晴らしい瞬間の一つを経験する機会を永遠に失ったのである。それくらいの人が亡くなったのだという“事実”くらいは、番さんに興味がない人であっても知っておいてほしいのである。 森光子さんの悲しみはいかばかりだろう。
テレビのニュースで、昨日行なわれたイラク人質事件の今井、郡山両氏の記者会見の中継を見る。のっけから「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べても「ごめんなさい」とか「申し訳ありません」とかの謝罪のコトバはなし。予測された展開ではあるが、要するに「我々は悪くない」の一点張りである。 何が問題とされているか、について、本人も含めて周囲が全くわかっていないなあと呆れかえったのが、「自己責任論」についての郡山氏の次の発言。「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えるものがある。リスクを背負っているのだから、僕らには当てはまらない」。 あの、そのあんたが言うね、「リスクを背負っている」ということが「自己責任」ということなんであってさ、だからみんな、「イラクに行きたきゃどうぞご勝手に」と止める気もないし、「死のうが生きようが勝手じゃん」と突っ放してんだけどねえ。だから誰もあんたの言ってること否定してないよ? 仮に死んで帰ってきてたとしても「自己責任だからしょうがないよ」って、君らの功績認めてあげるよ? あんたらの言ってることって、それを望んでるとしか思えないんだけど、国民の感情と利害は一致してるよねえ? それを家族が「助けて助けて」「自衛隊撤退」と訴えたから「なんでそんなん助けにゃならんの」って話になったんだってば。 その家族は会見場の隅で「ウチの息子たちはなんて素晴らしいのだろう」って顔で見てるし、本人たちの顔はもう完全にイッちゃってるし、こりゃ、既知外はもうどこまでいっても既知外のままだわなあ。
今日の第一目的は当ホームページの第2回オフ会。 少し早めに待合場所の日暮里駅に着いたので、しげとグータロウ君と連れ立って、谷中の墓地を回る。ここは夏目漱石の『こころ』の舞台になっていることでも有名で、もちろん当時のままというわけではないだろうが、広さとかなんとなくな感じを味わってみたくて前から散策してみたかったのである。 実際に歩いてみると、舗装された道路などは当然、明治の代にはなかったものだろうが、ちょっとした脇に離れた石畳の路などや、生い茂った木々の間で苔むしている墓石などに往時の面影を見出すことは充分可能であった。 幸田露伴の『五重塔』のモデルとなった塔のあとはまだ残っているが、昭和32年に放火によって消失して以来、五十年近い月日が経っているというのに、未だに再建されてはいない。礎の跡はそぞろ寂しいが、案内板に「設計図は残っており、再建は可能である」と未練ありげに書かれているのがますます物悲しい感興をそそる。 徳川慶喜公の墓は、すっかり観光地になっていて、ただっぴろい庭園の中に鉄柵があって、その柵越しに墓が覗けるようになっている。いくつも墓石が並んでいるので、さてどれが慶喜公なのやらと、キョロキョロしてたら、通りがかった地元のお爺さんと思しい方が、「回りのは側室や息子の墓だよ」と教えてくれ、コピーの図面までくれた。こういう人と触れ合えるのも旅の醍醐味である。
オフ会の参加者は、グータロウ君、鍋屋さん、ヨナさん、あやめさん、しげに私の6人。鍋屋さんは足を骨折していて、松葉杖をついての賛歌。全くありがたいことである。 会場は以前も来たことのある日暮里の怪しいトルコ料理店、続いてやっぱりのカラオケ。詳細はコンテンツの方にレポートを書くのでそちらに譲りたい。楽しい数時間を過ごして、もうちょっといろいろみなさんとお話ししていたかった、と名残惜しがりつつお別れ。もう一つ心残りは、ヨナさんにしげの腰を見て貰えたらと思っていたのだが、会場がちと狭かったので、断念したこと。急な会場変更があったので致し方なかったのだが、これでまた次の機会に上京してオフ会、という目標が立てられると思えばガックリするほどのことはないかと気を取りなおす。 みなさんと別れたあと、新宿へ移動。劇団「うわのそら」公演『水の中のホームベース』を見る。唐沢俊一さんが監修されているということで飛び込みで見に行ったのだが、話の骨子の基本は小劇場の伝統と言ってもいい『ゴドーを待ちながら』である。つまりは第三舞台の流れであって、これに三谷幸喜味をふりかけた、という印象で、悪くはないが「唐沢俊一」の名前を期待して見るとちょっと拍子抜けはするかな、という出来。恐らく唐沢さんの監修は「ギャグ監修」のあたりだろう。「不幸自慢」のギャグ部分などはモンティ・パイソンそのまんまであった。これも詳しくはコンテンツに批評を書く予定。 私は概ね満足していたのだが、しげは終始仏頂面で、一度たりとも笑わない。「つまんなくはないけど、嫌い」とニベもない。地元劇団として見ると悪くはないが、プロの芝居だと思って見ると腹が立つ、ということのようだ。けれど、怒りながらもしげ、「でも自分たちが演じてもあんなにうまくできないんだ」と言って落ちこみ、うなだれている。確かに、会話の間の取り方、畳みかけるようなテンポ、その演劇的センスは、ウチのセンスのない役者たちと比べれば雲泥の差である。でもだからって、落ちこまれてもなあ、そこで発奮してやる気出さなきゃ芝居やる意味なんてないじゃん。他人と関わることを拒否している自分を肯定してちゃ、芝居がうまくなることだってありえないんだから、そりゃ自業自得ってものなんである。
グータロウ君ちに帰ったのは、9時過ぎ。 腹をすかしたしげは、早速コンビニで買って来たおにぎりをぱくついている。 私は昼間、いささか食べすぎているので晩は抜くことにする。グータロウくんが「大変だなあ」と気を使ってくれるのだが、もともと食欲はたいしてある方ではない。会席の類で目の前にモノがあって、それになかなか手がつけられていないと、もったいなくて気分が落ち着かなくなり、つい「俺が食べてやるしかないか」と食べてしまうのである。誰もお前にそんなこと頼んでない、と突っ込まれそうだが、「もったいないおばけ」に取り憑かれているオジサンはこういうものなので、普段はあまり宴会に誘ったりしないようにお願いします。「(^^; ) 今日の芝居のことなどお喋りしているうちに、またしげと口論になる。 しげが「街中で大声を出したり、人の通行の邪魔をするな」と私を非難したのがきっかけだったのだが、「大声を出した」というのは、トルコ料理屋からカラオケに移動する途中で、しげが「陽射しが強いのでサングラスを買いたい」と言い出して、我々をあちこち引っ張りまわそうとしたので怒ったのである。普段ならともかく、今回は鍋屋さんが松葉杖なのだ。自分が今どういう状況に置かれているのかなんで気がつかないのか。「人の通行を邪魔した」というのは、芝居の帰りにグータロウ君と連絡を取った時、携帯の電波状況が悪いので、ウロウロしたことを言っているのである。人のいないところに行こうとしても、東京はどこだって人は多い。誰かの通行は結果的に邪魔することになってしまうので、こんなのはまさに難癖である。 つまりはまたまたしげは「いっぱいいっぱい」になっていて、非常識な言動を繰り返しているのだ。全く、人んちに来てまで口喧嘩なんてしたくないんだが、話の流れでそうなっちゃったのでどうにもならないのである。グータロウくんも一緒にいろいろとなだめてくれはするのだが、結局、しげの気が落ち着くまでかなり時間がかかってしまった。こんなにしてもらっても、明日になったらしげは今日反省したことをケロッと忘れて同じことを繰り返してしまうのだ。しげみたいに何でも忘れられて、罪悪感に一切とらわれずにすむ人生が送れたら、どんなに気がラクなことだろうか。
2003年05月01日(木) メモ日記/淡白なメールの夜。 2002年05月01日(水) 疲労度の爪/『コミック伝説マガジン』No.6ほか 2001年05月01日(火) 実は某大学推理研OBです/『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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