無責任賛歌
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2003年09月14日(日) |
タイトルを付ける元気もね〜や(;´_`;)。 |
樋口真嗣監督の次回作が『終戦のローレライ』になるそうな。「モー娘。映画」で実写監督の実績があるとは言え、随分と大作を依頼されたなあという印象で、喜ばしいことである。 もっとも原作の福井晴敏作品は未読で、どんな内容だかはよく知らないんだが。『亡国のイージス』も途中まで読んで放り出してるからなあ。さっさと日記の更新片付けて、溜まってる本や映画を見なきゃな。 『ローレライ』の単行本の装丁をやってるのも実は樋口さんなのだが、デザインに凝り過ぎて大きなポカをやっちゃってるのが気になっている。背表紙のタイトル、普通は上の位置にあるのを奇を衒ってか一番下に三行分けにして書いてるんだけど、これ、図書館なんかだとラベルに隠れて見えなくなるんだよね。ラベルを貼る位置は規則で定められてるから、ズラして貼る訳にはいかない。 まあ、自分が装丁した本が図書館に並ぶ可能性、ケロッと忘れてたんだろうなあ。こういうことしたの、樋口さんが初めてじゃなかったと思うから、出版社の編集者とかおエライさんとか先例を覚えてたら注意してあげときゃよかったのに。図書館によっては、「タイトルが分らないから」その上に「手書きで」タイトル書いたりすることがあるんだぞ。 ちなみに私は古本屋で『世界ミステリ全集』及び『世界SF全集』を手に入れているのだが、これの背表紙には全部ワープロでタイトルと作家名のシールが“歪んで”貼られている。嗚呼(T∇T)。
午前中は炎天下でお仕事、そのあとバスと地下鉄を乗り継いで天神のアクロスへ。一応名前だけ代表の自分の劇団の撮影班に駆り出されてるのである。
演劇集団 P.P.Produceの公演もこれで五回目になるが(番外公演を入れれば六回目)、シロウトながら少しは進歩してるかというと、まあ、あまり進歩はしてないのである。 劇団のみんな、回数を重ねるのは構いはしないんだけど、いったい何をやりたいんだかが全然見えてこない。いやね、実際、何だって構わないのよ。単純に「いろんな役柄になれるのが嬉しい」とか、「お客さんを笑わせたい」「泣かせたい」とかでもいいし、「スポットライト浴びたいの!」ってだけでもいい。私の好みではないが、ガッチガチの思想劇やって、メッセージを発したいってんでも構わないのだ。「オレたちが芝居やってるのはこのためだ!」ってのがなきゃあなあ。 それがまあ、毎回面白いくらいに誰かが阿呆なトラブルを起こしてくれるんだよなあ。具体的なことは書けないけど、「何のためにここにいるんだ、芝居作る気ないなら出てけ」と怒鳴りたくなるような、こっちの胃がキリキリ痛むようなマネばかりさらしてくれるもんで、いい加減、こりゃこのまま付き合ってても自分のカラダが持ちゃしねえと思い切って、何回か前から、「やる気のないやつと組んだって仕方ねえ、もうオレは脚本でしか参加はしねえぞ」と宣言してケツをまくったのだ。 いや、今回は「脚本も自分たちで作れよ」と、最初はそう言ったのである。ところが脚本書こうってやつが全然出て来ない。結局、依頼がこちらに来る。しかもやっぱり何がやりたいか、各人の意見がまとまらないまま、ネタだけがバラバラで提供された。しょうがないから、そのネタを全てぶちこんで、初稿だけは書いた。 各メンバーの考えたネタを思い付くままに適当に繋げただけのシロモノで、まあ、そのまま舞台にかけられるものでは全然ない。無駄なセリフは多いわ、口調が変わっちまってる部分はあるわ、誰が誰のセリフなんだか、混乱して間違えている部分まである。何より話そのものに整合性がなく、ドラマツルギーを無視している。いつもはそこから推敲して、完成稿に仕上げていくのだが、今回は「あとは自分たちでなんとかせえ」と投げ渡した。少しは自分たちでアタマ使わないと、このままだとトンデモナイものになるぞ、ちゃんと使える脚本に仕立てなおせよと伝えて、手に余るようなら脚本差し戻せ、推敲するからとも言っておいた。 私はそこで「期待」はしていたのだ。ここまで適当なモノを出しておけば、少しはみんなでアタマを捻ってなんとかするだろうと。 一応、一度だけ手なおしは頼まれた。「意味がよく分らないから説明を加えてほしい」と。芝居は説明じゃない。それを加えたら更に台本が壊れるとは思ったが、それが総意ならば仕方がない。話をムリヤリ繋げてみれば、いくらなんでもかえってそれがジャマになることにみんな気が付くだろうと思ったのだ。ともかく「頼まれたこと以上の口出しはしない」と決めていたので、あとはみんなを信頼したのだ。 ……まさか、まんまやるたあ思わなかった。 なぜあのまま小屋にかけられると思ったのだ。舞台を撮影しながら、私は背中に5トンの重りが乗っかってるような気になってきた。 脚本の解釈を間違えてるところがやたらあるのは仕方がない。脚本自体に乱れがあるのだから、まんまやれば解釈に乱れが出るのは当然だ。だけど、なぜキャラクターが「みな同じ」なのだ。なぜみんな同じセリフを喋り、同じ演技をするのだ。芝居をすることを「放棄」しなければそれはできないことだぞ。 「期待」をしたことが間違っていたのだ。追いつめられれば、いくらなんでもみんな「出来る」と思っていたのはとんだ見込み違いだったのだ。 今日聞いたが、頼まれた台本の手なおしも、みんなの「総意」などではなかったのである。誰かの言った意見を何の検証もせず、私にそのまま伝えただけだったのだ。その時点での演出は(今回のトラブルの最大のモノは、演出が3回変わったことだろう)、「何も考えていなかった」のである。 お客さんのアンケートをあとで見たけど、あれでも誉めてくださった方のほうが多いのは不思議なくらいである。同情票なのだろうか。しかしあそこまでひどいものをお客さんに見せてしまった以上、いくら形だけの代表とは言え、責任を感じないではいられない。私の名前が「脚本」としてクレジットされている以上、出来あがったものに対するそれは、どうあろうと引き受けざるをえない。 正直な話、私はもう彼らとの演劇作りに関わりたくはない。役者がどんなにヘタだって、私は怒りはしないのだ。私が大嫌いなのは、芝居を好きでもないくせに好きなフリをしている連中である。 なあ、芝居で表現したいものなんて、ホントはないんだろう? 「自分」があるフリをしているだけだろう? もしあるというならそれを表現してみろよ。少なくとも私にはみんなが全く同じ顔にしか見えなかったぞ。
もう一度だけ、連中につきあってみようと思う。ただし、彼らに「期待」しているからではない。「見切り」を付けてもなお、「演劇」というものが成立するものなのかどうか、試してみるためだ。少なくとも彼らは「やる気はある」と口では言っているのだ。だとしたら、私がどんな罵詈雑言を浴びせようと、「逃げ」はしないはずである。
本日の公演情報を以下に記しておく。
『rainbow flyer』 日時・2003年 9月14日(日) 開場 13:30 開演 14:00 開場 17:30 開演 18:00 場所・アクロス福岡円形ホール 料金・入場無料(完全カンパ制)
キャスト 荒巻和子………勘 よしひと 門倉美佐子……桜 穂稀 森奈奈絵………嶋田 悠 祖父江達朗……ラクーンドッグ(エコロジーな缶詰ワールド)
スタッフ 脚 本…………藤原敬之 演 出…………円谷きざし・鈴邑郁人・鴉丸 誠 舞台監督………鴉丸 誠 照 明…………其ノ他大勢・加藤八十六 音 響…………其ノ他大勢・桜雅 充 道 具…………鴉丸 誠 衣 装…………鴉丸 誠 メイク…………鴉丸 誠 制 作…………嶋田 悠 チラシ…………勘 よしひと あと、お手伝い人が3人。一人はラクーンさんの、あと二人は鴉丸嬢のお友達である。
みんなはそのまま打ち上げ宴会に雪崩れて行ったが、私は明日の仕事があるので一足先に帰宅。就寝。
2001年09月14日(金) カリメンしげ/『モーツァルトは子守唄を歌わない』1巻(森雅裕・有栖川るい) 2000年09月14日(木) 通院と残暑と誕生日プレゼントと/『世紀末アニメ熱論』(氷川竜介)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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