無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
昨日の日記の書き忘れ。 で、ここからが今日の分。 なんだか最近、しょっちゅう「美少女大股開きDVD」とか、「アワビが大漁で困っています」(^_^;)とか、そんなメールが送られてきている。実害はないんだけれど、塾女系は全くなくて、ただひたすら美少女・ロリータのみである。 なんでかなあ、私はそっち方面には全く興味がないんだが。もしかして、この日記読んで、「こいつアニメ好きみたいだから、ロリータにも興味があるかも」とか思われたのかな。 確かに私が好きなアニメにはたいてい美少女が出てくるが、それはアニメ全般がそうだからであって、熟女が主人公のアニメなんてほとんどない。『ルパン三世』の峰不二子だってクラリスだって、『カウボーイビバップ』のフェイだって、カラダはナイスバディでも顔は童顔だ。この「カラダはエロ、でも顔は童顔」のイメージは、80年代以降の巨乳アイドルブームとも重なってて、古くは榊原郁恵、河合奈保子、そして現在のイエローキャブのアイドルたちに至るまで、連綿と続いているのである。昔ながらのアニメファンはどっちかというとそっちの方が好みなやつ、多くないかなあ。 だいたい、ロリコンキャラを生み出した元祖とも言うべき吾妻ひでお自身、好きだったアイドルは巨乳のアグネス・チャンだったのである(林寛子はちょっと違うが)。妄想と実際の趣味とは別、ということだね まあ、やっぱり、「顔もカラダもココロもコドモ」じゃ、私ゃ興味は湧きません。 ……とかこんなこと書いたら、今度は巨乳関係のメールが来るようになるかな(^o^)。けど、だからって私ゃ巨乳一筋ってわけでもない。その人を好きになったらその人の体が好きになるものなんで、からだの好みは特にないのである。 私がかつて入れこんだスターやアイドルと言えば、アグネス・チャン、石野真子、夏目雅子、薬師丸ひろ子、原田知世、そして最近は加藤夏希とか鈴木杏とかだけれど、顔や体形に共通項はあまりないと思うな。 やっぱり、出てる映画が面白そうじゃなきゃ見にいくものではない。石野真子の『九月の空』も、薬師丸ひろ子の『野蛮人のように』、原田知世の『黒いドレスの女』も、結局劇場には見に行かなかった。「アイドル映画」というものが機能しなくなって、私も自然とアイドルのファンであることからも離れていったのである。 そうだなあ、「アイドル映画が機能しなくなった」ってのは、『花のあすか組』『桜の園』のつみきみほがイマイチ売れなかったってのと、宮沢りえが結局『ぼくらの七日間戦争』だけで終わっちゃった(その後の出演映画はカスである)ってのが大きいように思うがどうだろうか。 話が逸れたけど、だから、ただの巨乳エロビデオにだって興味はないんだってば。 今日は朝からワーナーマイカルシネマズ福岡東に。 いよいよ『仮面ライダー龍騎』の上映も明日までなので、滑りこみの観劇である。道がそう混雑してなくて、10時前に着いたので、近所をウロチョロ、映画館の隣の「サティ」のロッテリアでハンバーガーを買って映画館へ。 しげは「持ちこみ禁止じゃないかな」とか心配してたが、昔のKBCシネマとかはそんなだったけど、今時のシネコンで飲食禁止ってとこ、あるのかな。 「そうじゃなくて、『そこで売ってるポップコーンとかじゃなきゃダメ』って言う」 それにしたって、サティと提携して映画館おっ建ててるのに、「ハンバーガー持ちこみ禁止」なんてことはないと思うぞ。 映画館に入ったら、「300円安くなりますよ〜」という売り子のねーちゃんに誘われたので、カードを作るハメに。割引に惹かれたのであって、決して、ねーちゃんの色香にではない(^o^)。レイト割引をやらない映画もあるので、これはラッキーだったけれど、さて、ガス止められた経験もあるのに、カードの審査が通るかどうか(^_^;)。 映画『忍風戦隊ハリケンジャー ジュシュッとTHE MOVIE』。 いかにも添え物映画って感じの短編映画。 無意味無内容、ただただひたすらくだらなくてバカバカしいけれど、説教臭い芸術作品よりよっぽど楽しいわ。だから、設定がどうのストーリーがどうのって批評は意味がない。ポイントは「どこまで開きなおってバカやれてるか」ってとこだろうね。 アストラム第四惑星の王女、ライーナ姫(吉野紗香)を追って地球に飛来する宇宙忍猿ヒザール(声・古田新太)とブリザール。ジャカンジャすら宇宙忍法「猿回し」(^_^;)で操る彼らの力に、ハリケンジャーはおろかゴウライジャーも翻弄されるが……ってのが筋のはずなんだが、見た感じほとんど『ジャジャ馬娘を救い出せ!』。ヒロインの吉野紗香のために作られた映画って感じだ。 実際、彼女のファンじゃなきゃ、あの小娘のワガママ、ナマイキ、バカっぷりは鼻につくんじゃなかろうか。いくらお付きロボットのナックル(声・宮村優子)が「でもホントは寂しいんです」ってかばってあげても説得力がない。ええい、吉野紗耶香のヘソだのフトモモだの見せてる時間があったらフラビージョとウェンディーヌをもっと出せ! ってそっちが好みかよ(*^。^*)。それに宇宙人のくせにVサインとか出すのはどんなもんだか(^_^;)。 ラストバトルはもちろん合体巨大化なんだけれども、今回はライーナ姫のトライコンドルの力によって、旋風神・轟雷神・天空神が更に天雷旋風神に「銀河超越・三神合体」。ライーナ姫が「どうして地球にカラクリシステムが!?」と驚くと、日向無限斎(西田健。今回ライーナ姫の力でハムスターから人間に戻ってます)も「どうして宇宙にカラクリシステムが!?」と驚くところが笑える。でもそんな疑問はすっ飛ばして、ハリケンレッドが「リクツはわからねえけど、行くぜ!」。いいなあ、このバカな乗り。結局この謎は解かれずじまいだったけれど、テレビシリーズでは明かされるのかな。かえって説明なんかしないほうが楽しいと思うけれど。 エンディングは懐かしの原田知世版『時をかける少女』を思い出させる「みんなで唄おうテーマソング」。っつーか、『ブルース・ブラザース』でもやってたんだけど、全く、こんなアホなエンディングを最初に思いついたのはいったい誰なんだろう。ともかく肩肘張らずに見られたんで、これで『龍騎』がつまんなくても1500円損した気にはならなくてすんだな、と覚悟はできた(^^)。 一応の本命、映画『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』。 『クウガ』も『アギト』も、散々「仮面ライダーじゃないじゃん」と叩かれて来たけれど、『龍騎』を見たらまだしも前2作はまだまだ「仮面ライダーであった」と言えるんじゃないかな。「13人のライダー同士の戦い」という設定、真の敵が誰なのかもわからず、登場人物の一人一人が追いつめられて行く全く開放感のないストーリー展開、どれをとっても往年のシリーズのファンなら、噴飯ものとしか見えないだろう。 しかし「仮面ライダーじゃないから」と否定するのは簡単なんだけれど、そうなると『カリオストロの城』も「あれはルパンじゃないから」、『ビューティフルドリーマー』も「あれはうる星じゃないから」と否定しなけりゃならなくなる。とりあえず「ライダー」という枠は気にせずに見ないと、バイアスがかかり過ぎてて、面白い部分を見逃すことになりかねない。要は「映画」として面白いかどうかだ。テレビシリーズ前に映画公開、というスタッフの勇気を称えて、今回は全てネタバレで感想を書くのでご注意。 新登場の霧島美穂=仮面ライダーファム。演ずるはオタクアイドルの道を着実に進んでいる加藤夏希(さあ、次はウルトラマンとゴジラに出演だ!)。 本映画のヒロインとして、充分な登場シーン、それなりの見せ場も与えられているのだが、もともと本作には既に何人かのヒロインがいる。それらのキャラクターとのドラマ上のバランスが難しい。群像劇として展開させるには、1時間半の上映時間はどうにも短く、どうしても駆け足的な展開にならざるをえない。しかもテレビと違ってせっかくのフィルム撮影だと言うのに、カメラも照明も、加藤夏希をどうしたら美しく撮れるかに全くと言っていいほど腐心していない。 詐欺師の娘と、主人公・城戸真司(須賀貴匡)との恋を描くのに充分なエピソードもなく、ただ何も言わずに心が通い合うような泉鏡花の『外科室』的演出も演技もない。脚本、演技、演出、全てにおいて力足らず。いや、もちろん、スタッフは充分加藤夏希を、仮面ライダーファムを魅力的に描こうとは思っていたのだろう。リュウガに倒され、ビルの谷間の植込みで眠るように息を引き取り、道行く人は酔っ払いの行き倒れかと気にもせずに通り過ぎる。そういうシーンを見れば、ああ、スタッフはちゃんと彼女に「孤独」という名の幸せを与えてやりたかったんだなあ、と「気持ち」は伝わる。しかし、その画面に観客に訴えかける「力」がないのだ。演出の爪の甘さっていうかね、やっぱあれは表通りじゃなくて、誰も気づかない路地裏で死なせなきゃウソでしょ。ホームレスの爺さんならともかく、加藤夏希が倒れてりゃ、誰かが声をかけるって。描かなきゃならんのは「都会人の冷たさ」じゃなくて、「美穂の孤独」、引いては「ライダーたちの孤独」なんだから、焦点のズレた演出しちゃいかんよ。 ……いや、別に加藤夏希だけじゃなくて、全体的な撮影の仕方自体、問題があるんだけどさ。それはもう、レイアウト、カメラアングル、カメラワーク、カット割り、その他もろもろの「技術の未熟さ」に起因するものなのであり、それらをいちいち挙げてったらキリがない。判断が難しいのはこれが手抜きや思いあがりの演出だったら私も「ふざけんな」と怒鳴りたいところだけど、「努力してるけど届かない」、要するに「実力不足」だから困るんである。えいくそ、オレに加藤夏希の出演シーンだけ脚本書きなおさせろ(←コレは思いあがり)。 結局、後半神崎優衣(杉山彩乃)にヒロインの座を譲る(というか戻す)ために、途中退場させられる美穂がワリを食っちゃった感じなのだけれど、ほとんどチョイ役扱いになっちゃった桃井令子(久遠さやか)よりはマシか。 加藤夏希の話ばかりしてても仕方ないので(ホントはまだ言い足りないが)、全体の流れを見ると、やはり脚本の力不足が目立つ。 テレビシリーズで「謎」だった設定は一応「説明」されてるんだけれど、さて、それで納得した観客がどれだけいるものか。 全ての始まりは優衣の妄想からだったってのは、SFの定番だし、脚本の好みでもあるんだろうから、あまり突っ込んでもなあ、とは思うが、それにしても整合性を著しく欠いているというのは問題だろう。 鏡の中のもう一人の優衣が、現実の優衣から命を奪い、20歳の期限付きで与える、という設定は、一つの寓意と取ってもいい。結局優衣は、自分の孤独が生み出した妄想に自ら命を食われることになるのだ。 しかし、そうなると、鏡の中のもう一人の城戸真司(須賀貴匡二役)である仮面ライダーリュウガの目的はなにか? 彼がいつの時点で生まれたか、というのはやはり幼少時、実は優衣とも鏡の中の優衣とも出会っていたとき、と考えるのが妥当だろう。真司こそが、選ばれるべくして選ばれた仮面ライダーであったのだ。……って、『キャンディ・キャンディ』のアンソニーじゃん(^_^;)。 彼もまた優衣の妄想が作り出したものであるなら、望むものは鏡の中の優衣同様、現実の優衣の死であるはずだ。だとしたら、そのアナザー真司に「最強のライダー・リュウガ」のカードディスクを与えた、優衣の兄、士郎(菊地謙三郎)の「現実の優衣を生かすために」と矛盾する。それとも士郎は、最強のライダーをもコントロールできる自信があったのだろうか。 結局、現実の優衣は、ライダーたちの命が奪われ、街の人々がモンスターに襲われ、その命で自分を永らえるよりは、と、自ら死を選ぶ。 ……あのー、妄想作った本人が死んだのに、まだモンスターたくさん出て来てるんですけど。ライダーたちもちゃんと変身できるんですけど。それとも、「人は死んでも魂は残る」ってことなんでしょうか。もしかして今回の『龍騎』って、トンデモ映画?(^o^) そう言えば、脚本の井上敏樹、『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』でも夢から覚めても「夢のカケラが現実に残る」って脚本書いてたなあ。20年前からから一歩も進歩してねえのか(-_-;)。一般常識では納得しにくい設定作るんだったら、それを観客に納得させるための「映像」(「説明」ではない)が必要になるんだけれど、その作り方がよく判ってないんじゃないか。 ラストに残ったのはやっぱり真司と蓮(松田悟志)。もはや戦う意味すらなくなったし、生き残った者の望みをかなえさせるはずだった士郎も消えたのに、蓮がどうして真司に戦いを求めるのか意味不明。で、オチはやっぱり『明日に向かって撃て!』だしさあ。これが井上敏樹の才能の限界、ということなのかねえ。 チョイ役でゲスト出演で、沢向要士・蛭子能収・ベンガル、更には『仮面ライダーアギト』から賀集利樹・要潤・友井雄亮・秋山莉奈・藤田瞳子・山崎潤・柴田明良も。これもゲスト出演としての使い方がヘタ。一応の役がらが与えられてる沢向・蛭子・友井の三人はともかく、あとはみんなほとんどワンカットのみの顔見せで、ドラマの流れをかえって阻害してる。チョイ役なのにベンガルをアップで撮ったりしたら、なにか重要な役なのかと勘違いするじゃんか。 全く、このスタッフ、平成『ゴジラ』シリーズのチョイ役出演がどれだけ評判悪かったかわかってないのか(斉藤由貴とかデーモン小暮とかな)。 鏡の中に少女のころの優衣(この子がごっつかわいいんだけど、パンフにキャスト名が載ってない。誰か知らない?)が映るシーンなど、結構怖いシーンも多かったので、しげが怯える。 見終わって「なんで『仮面ライダー』で怖いんだよ!」と怒ってるが、もともと初期の『ライダー』って、恐怖ドラマの要素って強かったんだけどな。しげもあのラストには納得してないらしく、「二人が生き残って戦って、そのあとどうなるの。それ見せなきゃ意味ないじゃん!」と憤慨。もちろん描かれちゃいないが、圧倒的なモンスターの前に、二人のライダーは死ぬのである。だから二人の対決は描く必要なし。『明日へ向かって撃て!』も、テレビアニメ版『デビルマン』も実はそういうオチなのだね。 そのオチを狙ったこと自体、安易なんだって怒んなきゃなあ。 しげ、昨夜は寝つけなくて、今にも落ちそう、ということなので、本当はそれから天神を回って買いものをする予定だったが、比恵で落とされる。居眠り運転されるよりは一人で行動した方がいいから、これは仕方がない。 地下鉄で天神まで、まずはアクロス福岡に向かう。 週末に見に行く予定のオペレッタ『マリツァ伯爵夫人』の解説書を貰いに行くのである。何しろホンマモンのウィーンの森バーデン市立劇場の公演なので、全編ドイツ語、解説書を事前に読んでおかないと、公演中ただただ呆気にとられることになる。 チケットを見せて解説書を貰う手筈になっていたのだが、事務所を覗いた時点で、肝心のチケットをしげから預かってないことに気づいて慌てる。なんとか事情を説明して手に入れた解説書、シナリオ、楽譜付きの120ページもある大部のもの。こりゃ読み通すのに骨が折れそう、と思ったら、そんな私のような観客を想定してか、巻末にはストーリーをダイジェストした宮脇要子さんのマンガが17ページも(^o^)。こういうのが至れり尽せりってことなんですかね。電光版に字幕流してもらった方がずっと助かるんだけど。 しかし、マンガ読んだ限りじゃ、ストーリー、全く日本の学園少女ドラマなんだな(^_^;)。細かい話は実際に観劇したあとで、ということでサワリのセリフをヒトコト紹介。 「妹だったの!?」……面白いといいと思う。 ベスト電器のLIMBで注文していたDVD、天神コアの福家書店で新刊本を物色。やっぱりここまで足を運ばないと手に入らない本も多い。週にいっぺんは天神に出たいもんだけど。なかなかそうもいきません。 コンビニで幕の内弁当を買って帰宅。 アニメ『サイボーグ009』地下帝国「ヨミ」編最終回直前スペシャル「黄泉の群像」。 「ヨミ編」総集編とは言っても、描かれるのは地底に潜ってから。 先週、背景画だけでゴマかしたヘレン、ビーナたちの惨殺シーンはちゃんと放映。ただ、やたら使い回しが多かったシーンは全部カットされてたから。まだまだ作画の修正は続くんだろうな。 来襲の予告編「地上(ここ)より永遠に」、セリフが一切入ってなかったのはどうやら先週の「僕はここにいるよ」というジョーのセリフから察するに、本来先週のが今週のナレーションだった可能性が高い。まあ、一切セリフがないのもそれはそれでいい雰囲気出してたけれども。 作画も悪くなさそうだし、素直に実質的「最終回」に期待しよう。 で、できれば1年後に第2シリーズが始まり、残りのエピソードも描かれんことを願って。完結編は無理強いしないよ、もう(^_^;)。 字数オーバーしたので、続きは明日の分に。 2001年09月22日(土) 気がついたら食ってばかり/映画『カウボーイビバップ 天国の扉』
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |