無責任賛歌
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2002年01月28日(月) |
多分、しょっちゅう見ている夢/『おせん』其之三(きくち正太)/『END ZONE』1巻(えんどコイチ)ほか |
夜中の3時、ちょっと催してトイレに行く。 いきなりしげが「起きたん?」と聞いてくる。 体が起きてるだけで、覚醒しているわけではない。気分的には、トイレから帰ってきたら、また寝たいのだ。 「なんだよ、オレ、トイレだよ」 「帰ってきてからでいいから、背中押して? 痛いとよ」 「しらねーよ、帰って来たら寝るよ。眠いんだよ」 「お願い、約束したよ」 「返事してねーだろ、勝手に約束するな!」 なんか知らんがしげの背中のホネはしょっちゅうズレるんである。 整体に行っても完治しない。いったんは元に戻ってもすぐにずれる。 しょうがなく、時々私がしげの背中に乗って、平手で押して戻してやってるのだ。 右の手首と左の手首を合わせ、掌を蓮の葉のように広げて、背骨の両側に広がるように当てて、グイと押す。 そうすると、パキ、と音がして、ホネが元に戻るのである。 「ああ、背中が軽くなった!」 と、しげは喜ぶのだが、たいてい、私への報酬はない。 常日頃、自分が何か頼まれたときにはお駄賃求めたり求めなくても勝手に取っていったりしてるのに、理不尽だ不公平だと思っていたのだ。 その上、今日の私は寝惚けている。 「早く早くぅ、上に乗って?」 聞きようによってはすげースケベなセリフだが、もうこちらは乗れと言われりゃ乗ってやろうじゃないか、このクソ野郎ってな気分である。 いつもは体重を乗せて押すようなことはもちろんしない。 しかし、今日は思いきり、両掌にチカラをこめ、波動拳を放つがごとく。 「破ッ!」 「うっ!」 なんか私の下で動かなくなった生き物がいるがよく知らん。 あとはまた寝た。 多分、今まで書いたことも全部夢だろう。
こんな夢を見た。 マンションの屋上に長屋があって、そこの真ん中の部屋に住んでいる。 しかし、ベランダの向こうはずっと砂浜だ。 屋上じゃなかったのか、ここは、と夢の中の私も疑問に思っている。 どこぞのジジイがしょっちゅう、洗濯物を干しに砂浜に来ている。 部屋の中を覗かれちゃ困るので、カーテンはいつも締めっぱなしだ。 夢を見ながら、こんな夢を見ているとは、いったい私はどんな精神状態にあるんだろうと訝んでいる。 あとでこの夢を誰かに分析してもらうために、ちゃんと忘れないようにしておかなければいけないと、部屋の隅に膝を抱いてうずくまって、一生懸命、呪文のように唱え始める。 「砂浜にジジイ、砂浜にジジイ、砂浜にジジイ」
こうまでして、夢を記憶したのだ。誰か分析してくれ。
朝になって目覚めると、しげ、ぐっすり寝ている。 「ほら、職場まで送っていってくれ」 とつついても蹴飛ばしてもピクリとも動かない。 夕べ、何か疲れることでもあったのだろうか。 仕方なく、タクシーを拾って出かける。 夕方までにはいくらなんでも目覚めるだろう。
児童文学者・作家の上野瞭さん、27日に胆管がんで死去。73歳。 記憶喪失の猫、ヨゴロウザと仲間たちの、野良犬たちとの攻防戦。 理想の家族を演じることに堪えられずにホームレスになっていったお父さん。 前者は『ひげよ、さらば』。NHKで連続人形劇にもなった。 後者は『砂の上のロビンソン』。ドラマ化、映画化されて、そのお父さんの役を、テレビでは田中邦衛が、映画では大地康雄が演じていた。 多分、上野瞭さんをご存知の方はこの二作と思い出が直結している人が多いのではないかと思う。 もちろんこの二作を称賛するに言を待つものではないが、私が上野さんを知ったのはこの二作が発表される以前のことだった。 あれからもう、20数年。
『上野瞭ってひとの本、読んだんだけど、おもしろいね』 『先輩も、読んだんですか? 面白かったでしょう!!』
彼女とは、偶然同じ本を読み、同じようにおもしろがるということがままあった。それが何となく二人の仲を運命づけているように感じていたのも若さゆえのこと。 『ちょんまげ手まり歌』『目こぼし歌こぼし』、何しろどの話もハッピーエンドを拒む。 ちょうど、児童文学はこのままでいいのか、という議論が活発なころだった。 子供向けだからということで、現実の社会をいささかも投影しない絵空事ばかり描いていていてもいいものか。 上野さん自身、評論と実作の両面からその議論のウズの中に身を投じていた。 結果、上野さんの作品はいずれもが、たとえ猫の世界を舞台にしたものであっても、「現実」を色濃く映しだしたものになっていたのである。
私は、彼女と一緒に上野さんにお会いしたことがある。 1984年、夏。 講演会の後だったが、児童文学を研究している者です、と自己紹介したら、30分以上も時間を割いてお話をしてくださった。 「現実とファンタジーとは必ずしも融合しないのではないか、現実を取り入れたら、おもしろさは半減するのではないか」、そんなことを質問したと思う。これも若気の至りで、上野さんの作品自体を揶揄しているようなつもりでいた。『ひげよ、さらば』の淋しいラストが、当時の私にはよっぽど腹立たしく思えていたのだろう。それとも、彼女の前でエエカッコしいでいたかったのか。 上野さんは、そんな私の挑戦的な態度に、怒りを示そうともしなかった。「物語の力はそんな弱いものではない」。そんな意味のことを仰っていたが、その口調はあくまで優しく、しかも元気に満ち溢れていた。 五十歳を越されてはいたが、身振り手振りも大仰で、作家にありがちなえらぶったところが微塵もなく、年に似合わず飄軽な印象すらあった。勢いに乗っている新進作家、そんな感じだった。 「次はもっとおもしろいのを書くよ。まだ全然考えてないけど」 そう言って上野さんは笑った。
『砂の上のロビンソン』が上梓されたのは、その後、1987年。 遺作、『アリスの穴の中で』は1989年。男が妊娠する話だ。映画『ツインズ』は前年に公開されていたが、連載執筆は『ロビンソン』の直後から始まっているので、アイデアとしては上野さんの方が早い。 何より、今、男の妊娠を一つの寓意として語ることで、男の社会的脆弱さを暴いて見せた点で、上野さんの小説の方が一等おもしろかった。
上野さん、あの時は、貴重なお話、ありがとうございました。 あの時の彼女とはもう別れてしまいましたが(^_^;)。 安らかにお休み下さい。
眠田直さんのホームページ『MINDY POWER』で、「第一回日本オタク大賞」の受賞結果が紹介されている。 受賞結果は以下の通り。
◎大賞 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(製作シンエイ動画・ASATSU-DK・テレビ朝日/原作臼井儀人/監督脚本原恵一) ◎話題賞 株式会社セガ ◎DVD賞 『ウルトラQ』 ◎国際貢献賞 秋葉いつき ◎血糖値賞 チョコエッグ ◎佳作 『こみっくパーティー』 ◎佳作 スタジオジブリ ◎唐沢俊一賞 『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』 ◎岡田斗司夫賞 ちゆ12歳 ◎眠田直賞 『パワーパフガールズ』 ◎切通理作賞 『あずまんが大王』 ◎氷川竜介賞 食玩「超人ヒーロー伝説」
もう、選考の仕方自体が超オタク(^^)。つーか「スタジオジブリ」なんてのは意地悪以外のなにものでもないな。 大賞は当然、これだよなあ、という結果か。 今後、なんたら映画賞とかかんとかアニメ賞とか、あちこちのメディアでいろんなトップ作が発表されていくだろうが、『クレヨンしんちゃん』を見てもいない映画人や評論家気取りの連中のタワゴトなど、全部無視してよろしい。『GO』なんぞに票を入れたキネ旬御用達の評論家など、クズの集まりだ(と、見てもない映画をクズ呼ばわり)。 ああ、これだけメジャーで、しかもオタク受けする映画が生まれた2001年の奇跡よ。 あと、細かい解説してたらキリないので、一言二言だけ。 秋葉いつきってのは日本人じゃありません。ロシアのコスプレ娘です。私はそれほど好みじゃねぇっす。 『ちゆ12歳』、日記の筆致を見る限り正体は多分、男。 でもそんなことはどうでもいいな。ともかく今一番、熱く、速く、オタク情報が手に入るサイトです。人格は疑われるかもしれんが。当然、私も「お気に入り」に入れとります(^^)。
マンガ、きくち正太『おせん』其之三(講談社・580円)。 料理マンガ……もとい、純然たる「和食マンガ」も3巻目。 『美味しんぼ』も散々叩かれてたけど、和食オンリー、和食・アズ・ナンバーワンって感じのこのマンガ、結構叩かれてるんじゃないかなあ、憶測だけど。 けど、私だって、和食と洋食、どっちが好きかと聞かれたらためらわずに和食と答える。ハンバーガーが食えなくても諦めはつくが、吸い物、味噌汁がもう飲めないということになれば、こりゃ本気で断腸の思いを味わわねばならなくなるからだ。 やっぱり、和食のうまさって忘れてる人多いんじゃないかなあ? ほんのひとつまみの塩で味がガラリと変わっちゃうって話、『包丁人味平』でもやってたけど、実際、調味料が塩しかない貧乏生活を経験したことがある身には実感できる話だぞ。 でもなあ、現実には大味な食生活を余儀なくされてるんだよあ。食卓に和食が並ぶことなんてないもの。とゆーか、味バカのしげと一緒じゃ、毎日がファーストフードかファミレスで、和食の玄妙な味わいなんぞ、どうしたって味わえやしないのよ。
私はこのマンガで、親子丼って、三十分待って食うもんだっての、初めて知った。川波周五郎ってキャラが登場してきてそのことを語るんだけど、池波正太郎にそんなこと書いたエッセイでもあるんだろうか。いや、池波さんの食通ぶりは有名だけど、エッセイに直に当たったことはないもんで。
マンガ、えんどコイチ『END ZONE』1巻(集英社・410円)。 わあ、ホントに懐かしい、ひっさびさのえんどコイチワールド。 とりあえず『少年チャンピオン』時代の『アノアノとんがらし』以来のファンなもので、つい買っちゃうんだよね。 ギャグはともかく、この人のシリアスものはイマイチなんだけど。
中身はもう、もろ『ミステリーゾーン』っつーか、『アウターリミッツ』っつーか、『週刊ストーリーランド』っつーか(^^)、要するにオムニバス不思議物語って感じなんだけど、テーマや展開はどこかで見たありきたりなものばかりなんで、コアな幻想小説、怪奇小説ファンにはクソおもしろくもないだろう。 例えば、『マッチ売りの少女』。 海水浴に来ている仲間の中で、ふと、『マッチ売りの少女』の話が出る。 「あの話は実話でね、今も少女は幽霊になってさ迷ってるの。その少女は死ぬ直前の人間の前に現れて、一本のマッチに火をともして、その人の願いごとをかなえてあげるんだって」 それを聞いた仲間の一人が、「やめろ!」と叫ぶ。 ……はい、オチは読めましたね。 これも、もとネタはアンブローズ・ビアスの『アウル・クリーク(ふくろうの河)』です。誰でも一回はネタにしたくなるのか『アウル・クリーク』。 これを「ふくろうの呪い」と呼ぼう(^o^)。『シックス・センス』のオチにビックリするのは、恥ずかしいことなんだぞ。
でも、なんとゆーかねー、えんどファンってのは、この「30年も前の子供向けマンガのテイスト」を持ち続けるえんどさんのこの「うまくならなさ加減」をとことん愛してたりもするのよ。工夫のないのが持ち味っつーか。 そしてそれはえんどさんのデッサン狂いまくりの独特の絵柄だからこそ楽しめるのだと言っていいのだ。『ついでにとんちんかん』のアニメは、かえってデッサンが修正されて、フツーの絵になっちまってたんだよなあ。 蛭子能収や渡辺和博をクリーンナップするようなもんじゃん。わかってないやつって、ホント多いよ。
マンガ、つのだじろう『マンガ日本の古典32 怪談』(中公文庫・620円)。 原作はもちろん、日本を愛し、日本の変貌を嘆いたジョージ・チャキリス……じゃなくて、ラフカディオ・ハーン(すんません、ベタなギャグで)。 しかし、『怪談』の漫画化だから、つのだじろうにって企画は安易だよなあ。もっともこの『日本の古典』シリーズ、長谷川法世に『源氏物語』を描かせるというとんでもない組み合わせもやってのけてるが。 もともとつのださんは、早くから自分一人で絵を描かず、アシストさんに主要人物まで任せちゃうということをやっていたので、今巻もエピソードごとに日々きゆうぞう氏や秦龍生氏のマンガが混じってくるというバラエティぶりなのだが、やはりつのだ氏自身が描いたマンガの方がずっと味がある。 つのださんは、実は『ブラック団』のころのようなギャグマンガ時代のほうが好きだったので、『亡霊学級』『恐怖新聞』『うしろの百太郎』以降のマンガは、あの角ばった絵柄と、動きのないポーズだけが不規則に連続するコマ割りに閉口して、これだったら『虹を呼ぶ拳』のほうがまだマシ、と、あまりのめり込めなかった。 オカルトものにはああいうケレンのある絵も効果的なんだなあ、見方によってはギャグとしても読めるし、とココロを広くして読めるようになったのは、後年のことである。
さて、『雪おんな』『むじな』『ろくろ首』『耳なし芳一のはなし』あたりは定番だが、珍しいのは『生霊』。 なんとつのださん、ここで安藤広重と合作している(^o^)。 背景に広重の絵を使うだけでなく、コマによっては、広重キャラと自分のキャラを対話させたりもしているのだ。いや、これは珍品。幽霊の錦絵にフキダシを乗せて、「心の中では昼も夜も……憎み続けておりました」って、まんまやんけ(^_^;)。まさしく笑いと恐怖は紙一重だね。
それにしてもこのシリーズ、藤子・F・不二雄氏の『落窪物語』が描かれずじまいだったのは、惜しみても余りある。わが国のシンデレラストーリーであるこの『落窪』、きっと藤子さんのニューヒロインが誕生したに違いないんだけどなあ。
2001年01月28日(日) 宴のあと
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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