無責任賛歌
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2001年05月20日(日) |
念の入った話/DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生Ⅰ』ほか |
今朝の体重は86.4キロ、昨日より200グラム増ではあるが、この辺はまだ誤差のうち、実質体重は現状維持と言ったところだろう。 ふと思ったが、もしかして、運動しているために筋肉が付いて重くなっているんじゃないのか? 動物の世界でもそうだが、鈍重なもののほうが実際にはエネルギー消費が少なく、長生きなのである。 たしか唐沢俊一さんもどこかで「動かないでただひたすら寝ているのが一番健康」と(疑問符付きで)書いてたが、人に会わなくてもものさびしくない人にとってはその通りかも知れない。
DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生Ⅰ』見る。 リアルタイムで見ていた1975年、色気づいていた中学一年生であった(つまりこのドラマの主人公たちとほぼ同年代)私の目当ては、ヒロインの香川みどりを演じていた伊豆田依子であり、大谷先生役の岡田可愛であった。 SFマインドもセンス・オブ・ワンダーもなかったのである。 中年になった今のほうが、よっぽどドラマとしてのこの作品の価値が見えているのかもしれない。 主演は、『超人バロム・1』の白鳥健太郎と『田園に死す』の少年時代の寺山修司という両極端な代表作を持つ高野浩幸。 そして「次元ジプシー」という、結構いろんな人が書いていそうで意外に例の少ない設定の、タイトルロールの転校生を演じるのが星野利晴。この人はあと『幕末未来人』に出演してたことしか私は知らない。 もちろん、二人とも演技は大根である。でも何とも言えない新鮮さがあるんだよなあ。 1972年のオイルショック以来、高度経済成長は終わったのだと誰もが実感していた時代だった。ただのオカルトであるノストラダムスの大予言が、公害による環境破壊を予知していたのだと、信憑性を持って受け入れられていた時代だった。 そういう時代だったからこそ、次元ジプシーたちの核戦争に対する恐怖を、星野利晴は明らかに「本気で」演じていたのだ。「ジェット機の爆音に怯える子」というモチーフは小松左京の短編にもある。しかしあれは太平洋戦争中からタイムスリップしてきた子という設定だった。ノスタルジックでセンチメンタルではあっても、現代における切実感をもって迫ってくるものはなかった。 しかし、「核戦争は必ず起こる」という転校生のセリフは、あのころの私たちは「そんなバカな」と否定できるものではなかったのだ。 1970年代というのは、戦後の日本人が、戦争の恐怖を実感的に演じることのできた最後の時代ではないかという気がする。今や我々はSFという意匠をもってしても、そういう「切実感」を表現できなくなってしまった。 DVDで見返しながら、原作も読んでみたくなって、文庫本をひっくり返してみたが、驚いたのは解説をしているのが手塚治虫である。結構雑な文で、ヨイショ記事にしかなってないし、本作のモチーフについて、「『ダンウィッチの怪』(映画化されて『呪われた村』という邦題で封切られた)」と説明しているのは、「ジョン・ウィンダム原作『ミドウィッジの怪』(邦訳されて『呪われた村』、更に映画化されて邦題は『光る眼』)」の間違いだろう。『ダンウィッチの怪』はH.P.ラブクラフトのクトゥルーものである。でも、同じ関西系の付き合いで、『漫画少年』投稿時代から手塚氏と眉村氏に投稿仲間として親交があった.というのは意外だった。
先週から劇団の練習に参加しているので、朝、テレビがまともに見られない。『アギト』と『どれみ』はなんとか見られたが、『デジモン』と『コメット』はビデオに録画するしかない。しかし丁度空いているテープがないので諦める。来週からはビデオに仕掛けて出かけることにしようかなあ。
今日は比較的メンバーが集まる。 よしひと嬢、鴉丸嬢、桜雅嬢、穂希嬢、しげに私である。 ようやくよしひと嬢に、東京土産の『ラ・ハッスルきのこショー』のパンフレットを渡せたが、実はホワイトデーのお返しはまだしていないのである。いいのが見つからなくってねえ。ごめんなさい。 桜雅嬢はバイトで午後からの参加だというので、来るまでの間、散々、噂話のサカナにする。 実は桜雅嬢は社長令嬢であるのでお金持ちである。多分メンバー中、一番なのではないか。これはもう、サカナにしてくれと自ら言ってるようなものだ。今は某専門学校に通っているのだが、なんでもつい先日まで、そこの修学旅行みたいなものに参加してきたらしい。 「どこ行ってきたって?」と穂希嬢に聞くと、 「USJだって」 「なにそれ?」 「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」 「ああ、なるほど、贅沢だな」 「入学金が○○○○円ですから。パパに『専門学校行くから出して♪』って、ねだったって」 「……なんか許せんな」 「で、桜雅、私に電話したときにどこに行って来るって言ったと思います?」 「え? だから、ユニバーサル……」 「『USA』に行ってくるって」
……桜雅さんだなあ。 因みに今、桜雅嬢が目指している職業は、「カウンセラー」である。鴉丸嬢が誰しも思っているツッコミを言うが、当たり前過ぎるのでここには書くまい.
前半三時間は肉練。腹筋も今や2、30回が限度。開脚もまるで三角定規程度にしか開かない(もちろん45度部分ではない)。ダイエットもそうだが、この硬くなった体が今更ほぐせるのだろうか。 それにしても、未だに足が180度開くしげの野郎はなんだってんだ。こっそり毎日、酢でも飲んでんじゃないのか。
昼過ぎて、桜雅嬢も到着。 US“J”土産のクランチチョコは美味しかった。 穂希嬢が、「なんでそんなとこに行けるんだよう」と文句をつけると、桜雅嬢、一言で答える。「船で」。 だから誰も手段は聞いてないって。
後半は台本の討ち合わせなど。 鴉丸嬢、自分の役名が「織姫あや」であることに抵抗を示す。どうにも恥ずかしいというのだが、本心はそんな瑣末なところにはあるまい。 名前の問題にかこつけてはいるが、シナリオそのものに乗りきれないのに、「つまんないよ、これ」と言うのが憚られているのだ。遠慮せずにポンポン文句言っていいのになあ。 鴉丸さんはいつもそうだが、ガサツに見せかけていて実は気配ってばかりいる。それって、結構疲れると思うんで、劇団の中ではもっと無遠慮に振る舞ってほしいものだ(えっちネタはちょっと突っ込みにくいけど)。酒を飲ませてストレスを発散させるという手もあるが、鴉丸嬢は酔うととてもカワイクなるので、今度は其ノ他君のほうが気が気じゃなかろう。 それはそれとして、シナリオ自体、名前だけでなく、全体的にもっとコメディーにせねばならぬので、イチから練り直さねばならない。でも練り直しのアイデアが今んとこ思いつかない。来週までに何とかなるのか? 因みにマンガ家のアシスタントを演じる其ノ他君、本人がその場にいないのに、勝手に役名は「牽牛星彦」にしようというアイデアが出たが、ほんとにそれでいいのだろうか。出したのは私だけど。
鈴邑君参加により、ホームページのほうのリレー小説も、順番のクジの引き直し。しげ、嬉々としてアミダクジを作る。なんでこんなことになるとこいつは燃えるかなあ。 前回のクジでは、連続してよしひと嬢がトリを引いてしまったので、「ラストじゃなければどこでもいいです」なんてことを言っている。内心、クジが引き直しになったのを喜んでいるのだろう。 でもなあ、そんなことを言ってるとなあ、ラストをねえ、引いてほしいなあなんてねえ、念を送りたくもなってくるのだよ。 「ラスト引けえ~、ラスト引けえ~」と心の中で祈ってたら、よしひと嬢、ホントにラスト引いちゃいやんの。 よしひと嬢、「なんでェ~!」と悲鳴を上げていたが、もちろん偶然で、私の念のせいではあるまい。毎回、必ず念を送ってるけど。 もちろん、私が毎回真ん中あたりで無難な位置にいるのも全くの偶然である。 世の中に不思議なことなんてないんだからね。
練習後、しげは疲れ果てて帰宅。 私はワーナーマイカル福岡東まで、ついに三度目の鑑賞となる、「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』見る。 桜雅嬢、穂希嬢も誘ってみたのだが、桜雅嬢はバイト、穂希嬢は「映画を見ると酔う」のだそうで、断念。 まあ、桜雅嬢が行かないのに、穂希嬢だけ連れて映画を見るわけにもいくまいから、仕方がないと言えば仕方がないのだが、私としてはそんな都合は無視してでも、一人でも多く、この映画を見てほしかったのである。でも「『急用でバイト行けなくなりましたあ、すみませーん』とでも電話入れろよ」とまではさすがに言えなかった。私もまだまだ小心者である。 桜雅嬢を感動させ得るほどならこれは本気でホンモノと言えたろうに、惜しいことをしたものである。
今更、詳述はしないが、これで結構、気になっていた細かいところまで確認できた。しかし三度見て全く飽きなかったというのは凄いことである。映画館まで三度も足を運んだというのも『ブルース・ブラザース2000』以来だが、もっともそれは、都合20回は通った女房につきあってのことである。私自身の意志で映画を2回以上見に行ったっていうのは、リバイバルのあった『太陽の王子ホルスの大冒険』『風の谷のナウシカ』『エヴァンゲリオン』くらいのもの、封切り時に繰り返し見たというのは、多分、今回が初めてだ。 しかも見るたび泣いてるってのもね。 しかも3回が3回とも、感動の質が違うのである。 いや、あえて視点を変えて見るようにしたのだが(そうでなければ三度も見る必要がない)、三度の涙がみな泣き所が違うというのは、それだけ、本作の多様性を表していると言えるだろう。 最初はしんちゃんの、次はひろしの、そして最後はケンの気持ちで見た。 そして、しんちゃんがうらやましいと思った。 今回気づいたこと。 匂いのエネルギーが消えた時、ケンははっきり「あいつらも外で生きる道を選ぶ気になった」と言う。この「も」は素直にとれば「ひろしたち」が洗脳から解かれたことを指すように聞こえるが、果たしてそう断定していいのか。 「また家族に邪魔された」というケンの最後のセリフ、この「また」も、しんちゃんたちとキジバトを並べていると取れるが、それ以前に何かがあったという解釈も成り立たないか。 見終わった結果、ほぼ同人誌用のネタが頭の中で固まった。インサイド・ストーリーが何本か書けそうなのである。後は時間を取って書き始めるばかりであるが、休日がゆっくり取れないのがイタイ。 果たして6月末に間に合うのか?
映画の帰りに久しぶりに博多駅の紀伊國屋書店に寄る。 欲しい本を絞るのにひと苦労。 コンビニで弁当を買って帰るが、しげは仕事までのひと休憩、ということで、グーグー寝ていた。 「メシ買ったぞ」 と声をかけても「……うん」と生返事。でもきっと、一日経つと、この弁当がいつの間にか消えているのだ。しげはそういうやつである。
マンガ、高橋留美子『うる星やつら テンからの贈り物』。 高橋留美子インタビューが最終回まで行っちゃったけど、この次からは『めぞん一刻』や『らんま1/2』や『人魚』シリーズの話になるのだろうか。この裏話だけが目的で買い続けてるようなものなので、あまり売れてないみたいだけど、刊行し続けて欲しいものだ。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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