終わる、、、そして。

15日を過ぎて、本格的にご褒美月間がスタートした。

17日、入荷と同時にELTのマキシ「UNTITLED 4 ballads」と
あゆのアルバム「RAINBOW」をゲット。

ELTは早速開封して、壮大なバラード「愛の謳」、
母親への愛をつづった「nostalgia」ではついつい、ウルウル来たり。
「UNSPEAKABLE」は、もう、聴きまくりだった。

19日、aiko@日本武道館、最初から最後まであきさせないライヴ。
最前列と思ったが違った、紛らわしいチケットめ。。
案の定、aikoは最後、泣いていた。
観覧含めると、2002年は4回、aikoに会えたことになる。
これからもず〜っと、aikoを愛し続けるのだ!

21日、ドリ@日本武道館、ライヴ前にグッズ売り場に並び、
買ったばかりの手帳を落とした、っていうか気付いたらなくなってた。
ライヴでいったんは持ち直したけど、結局、ブルーは続いた。
ちなみに、「すきダメ」のあたりでは今の自分の気持ちと
リンクするようで泣けてしまった。。
2002年5回目のドリライヴは、泣き笑いで終わった。

あゆのアルバムは18日に開封、ひととおり聴いてみての感想は。
手の届かないところに行ったような、、、そんな気がした。
「over」〜「HANABI」のところではつい、泣けてしまう。
その後、連休中に聴いてみたときには、まだまだ身近な感じもして、
ドリでブルーになった心をどうにかして高揚させてくれつつあった。

25日、ヤイコライヴ、東京ドームがゆれた。
二回目のアンコールでオーラスの「Life's Like A Love Song」では
ついウルウル来てしまい、ヤイコ本人も泣きそうになってた。
そして、約一ヶ月続いた風邪の菌も、このライヴでふっとばせたようだ。

その夜、DCTオフィシャルでSALのCDと一緒に注文、
やっぱりドリ手帳は単なるグッズの域を越えてるし、
2500円を余分にPPに貢献したと思うことにしよう、ってことで。

リリースの26日に買ったものの、すぐには開封できなかった
D・A・Iのアルバムは28日に開封、やっと聴き始めた。
3年前にデビューしたD・A・Iは今の余裕が歌詞にも散りばめられてる。

一曲目の「空想旅団」やラストの曲で「あいのうた」、
それぞれ3年前というのがキーになってるせいか、泣けてしまった。
自分自身の3年前を思い出す。
色んなところで出会いがはじまりつつあって、
そこで人と接することが好きになり、どんどん自分から出かけて行ったっけ。。

たまってたビデオを見た。
「恋愛マスターSP」はなんか、良かった。
つい録画してしまった「キッズウォーSP」なんか、、
青さとか、良いなって思えた。
もし、中学生の頃にお付き合いとかはじめていたら、
今のあたしはもっと違ってたのかな、、などと思ったり。
ドリの「mgo TV-mix」はちょっと泣けてしまった。
映像で見るドリライヴはやっぱり、泣いちゃうみたい(_ _;

30日は2002年最後のライヴ、hitomi@々木第2へ。
最初は原宿口から入ってみて、あゆカウントダウンの様子を見つつ、
18時の時報とともに鳴り始めたドリソングを耳にしつつ。
ぐるっとまわってNHKホールや渋公に近い渋谷口から入るのは知ってたけど、
実際に入るのは初めてだ。

まさか、アリーナの配列がこんなだったとは、、
今度こそほんとに人生で初の最前列!!!
すっご〜い、こんなに近くて良いの???

hitomiの左手薬指には指輪が光っていた。
MCでも家事の話とかしてくれたり。。
でも、ずっとエンジン全開で最後まで突っ走ってくれた。

こうして、2000年はあゆ、2001年はELT、そして2002年はhitomiと、
12月30日だけはavex勢アーティストのライヴが続いた。
次は、、、どうなるのかな??

大晦日は午前中から部屋の掃除と片付け。
午後、田舎から宅急便が届き、中に入ってた御菓子を食べる。
夜はレコ大、途中から紅白、そしてCDTVSPと見て、終わるのだった。


最後に、不安と絶望を感じることが多かった2002年、何度も音楽で励まされた。

「一人でも大丈夫」、以前なら単なる強がりでしかなかったこの言葉。
でも今は、ある程度の実績もあって、多少は自身がついたかもしれない。

そう、やっと結論が出た。
あたしはあたし。
誰かに合わせたり、誰かに合わせてもらったり、そんなのはおかしい。
気の赴くまま、一人で行動するのが合ってる。
今後も、基本的には一人でやっていく。

、、、と思ったところで、これをアップして良いのかどうかで迷ったんだけど。
次回15日アップするだろう分に続く。
2003年01月01日(水)

より自分らしくあるために / さお