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第6章 (6) 書くこと、その周辺
 将来出版されることを目的に「書くヒロイン」として描かれるのは、主にエミリーと、アンである。パット、ジェーン、マリゴールド、そして『青い城』のヴァランシーも、皆本は読むし、手紙を書く才能以外には、自分で何かを書くことへの特別な思い入れはない。これはアンの娘たちも同じ。唯一才能を受け継ぐのはアンの息子ウォルターのみだが、書くことが生きる道、というのとは意味合いが異なる。

 書くヒロインの産みの親、モードは、特に依頼されて書く以外は、出版社での「採用」をめざして、まずは作品を送って営業している。そんななかで、人生の扉が開く瞬間をまのあたりにしたり、風変わりな出来事も経験した。アンとエミリーのふたりには、書くことから起きる波紋のような、作家の卵ならではのエピソードを体験させている。

 伝記や自伝でも知られるように、『赤毛のアン』は、デビューまで何度も出版社から送り返された。自伝『険しい道』によると、最初の送り先は、ベストセラーを続発して売り出し中だった、アメリカの新興出版社へ。二度目は知名度の確定した老舗の出版社へ、そして三度目のチャレンジは、「中間の」三社へ。すべてノーだった。

 拒否され自信をなくしたモードは、作品を衣装部屋の帽子箱のなかへしまい込む。2年間もそのまま眠っていたが、あるときモードは「アン」を見つけ、読み直して感動し、思い直した。そして新たな方向で出版社を選び、送った結果、ついに認められたという経緯がある。

 同じようなことが、アン・シャーリーにも、自伝的要素が最も強いとされるエミリー・スターにも起こっている。アンの場合は、結婚するころには書くことをやめてしまっているし、強い意志で職業作家になろうとしたわけではないが、少女時代は書くことに野心をもっていた。

 レドモンド大学の学生だったころ、アンは、はじめての野心的な短編作品『アビリルのあがない』を書いた。『赤毛のアン』と同じように、二度出版社の拒絶にあった後、トランクへしまわれていたが、親友のダイアナに頼まれ、写しを渡してあった。

 ダイアナは、アンに内緒で、ベーキング・パウダーの会社が主催した宣伝小説の懸賞に応募したのである。作品はみごと一等に輝くが、アンは名誉こそ欲していたものの、懸賞金目当てではなかった。まったくの善意から、作品に数ヶ所、応募の条件である、商品名を入れるという、ちょっとした工夫もほどこして。そのことにアンは深く傷つく。以降、アンは、野心的な作品を書かなくなっている。

 誰が何をどこへ送ったかを住民たちが知っている田舎では、モードのように、自分の家が郵便局を運営しているというのは、アンにもエミリーにも望めなかった特権でもあった。

 送ったおぼえのない作品が認められたときの反応は、「I don't understand」(わからないわ)とアンが言えば、「I -don't- understand」とエミリー。ふたりとも同じである。しかし、作家の伝記として物語が構成されているエミリーの場合は、このエピソードがアンとはまったく異なる展開となる。大きな自信を与えられる契機となるのだから。

 エミリーはといえば、作家としての足場をつくるまでには、血のにじむ努力と大変な思いを重ねていた。長篇としても、一作目ではなく、二作目。エミリーがモード以上に何度も何度も断られ、あきらめていた大切な作品『バラの道徳』を、「アメリカでいちばん古いいちばん有力な出版社」に送ったのは、いとこのジミーさんだった。

 この快挙をなしとげたジミーさんは、モード自身がそうしたと同じように、あるとき掃除をしていて紙の箱から作品と再会する。そして座り込んで読みふけり、決意をする。

「わたしはウェーアハムよりほかにはどこも送るところを知らなかった。あの会社のことはいつでも聞いていたから。送り方もわからなかった──それでクラッカーの箱につめて送ったんだ」

/いとこのジミーさん(『エミリーの求めるもの』)


 ところで、モードは1901年、27歳の秋から半年ほど、本土のハリファクスに出ている。クロニクル社の夕刊「デイリー・エコー」紙の記者(兼校正兼雑用係、と本人いわく)をしながら、広い世界を呼吸するために。この頃にはペンで食べていけるほどになっていた。この多忙な職場で経験を積みながら、メモを持ち歩いてエピソードを貯金する。アンを執筆したのは、デイリー・エコーでの仕事を終えて島に帰ってからである。大げさにいえば、この半年がなかったら、アンは生まれなかったかもしれない。

 その新聞社で、ひょんなことから、すでに連載が半分終わっている小説を、大幅にちぢめる仕事をすることになるモード。センセーショナルで長すぎる小説は、モードの職人技によってラブシーンを削られ、三分の一の長さで掲載された。しかも、街かどで偶然、読者がその不思議な連載の最後についてうわさする場に居合わせている。当時の新聞が保存されていたら、モードが手を入れてからの『木陰で』がどんな姿になったか、読むことができるのに、と思う。

 この体験は、エミリーの身の上に、ロマンティック・コメディーとなってふりかかってくる。エミリーは、『王室の婚約』という恋愛ミステリ小説の最終章をなくし、締め切りが迫っている日刊新聞の編集長に泣きつかれ、30分で最終章を書く。何も問題は起こらないようだったが、後日、著者のマーク・グリーブスがエミリーの家を抗議に訪れ、一転、エミリーの魅力に参ってプロポーズしてしまう。当のエミリーにとっては、ロマンティックどころではなかったが。

 エミリーに似たニュアンスのエピソードは、アン・シリーズとして出ている短編集『アンをめぐる人々』に収められた「偶然の一致」で、アヴォンリーに住むオールド・ミスのシャーロット・ホームズ(!)が体験している。こちらはハッピー・エンド。詩を書くことに生きがいを感じる人物だったのは、偶然ではないだろう。


 人々のキャラクターを描こうとすると、そんなつもりはなくとも、どことなく私たちの知る誰かに似ていると感じるものだ。エミリーの『バラの道徳』に登場する人物たちは、あちこちでエリザベスおばの体面というアンテナにひっかかった。

 いつもふきんが油くさいというグロリア・アップルゲイトは、デリー・ポンドに住むチャールス・フロスト夫人への嫌味と思われるかもしれない。また、ニコラス・アップルゲイトは、シュルーズベリーのダグラス・コーシーという、エミリーが知らない人物にそっくりだというのである。エリザベスは常日頃から、実在の人物を書かないようにと注意していた。しかも、ニコラスに関しては、たいていの場合エミリーの味方であるジミーさんですら同意見だという。

 モードも、この「実在のモデル」問題には悩まされていた。本当にモデルのいる人物─エミリーの恩師カーペンター先生は、モードの文通相手で教師だったウィーバーをモデルにしている─ではなく、思いもしないような方向からの攻撃が多かったという。自伝や日記、手紙でも、このことは取り上げられている。

 さて、ついに『バラの道徳』は出版され、書評もたくさん目にすることになった。しかし、エミリーにとっての勝利は、エリザベスおばが「最後の審判をくだすような調子で」こう言ったことだった。

「わたしはあんな嘘の塊のようなことが、あの本の中でみるようにほんとうに思えるとは信じられなかったね」

/エリザベスおばさん(『エミリーの求めるもの』)
参考文献
2003年05月25日(日)


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