マンガトモダチ
DiaryINDEXpastwill


2004年03月30日(火) 第28回 おおきく振りかぶって

○ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』

 どれだけの方が気づかれているのかは知らないけれど、現在のマンガ雑誌におけるサッカー・マンガの激減には目をみはるものがあるが、しかし逆に、野球マンガの激増ぶりには驚かされるものがある。僕はスポーツそのものには疎い(というか無関心な)ので、これがそれぞれの競技の人気に比例した現象なのかどうかはわからないのだけれども、Jリーグが発足したばかりの一時期に、野球というジャンルの将来が危ぶまれていたことを考えれば、この国の潜在意識のどこかと野球との間には、気っても切り離せない関係性のようなものが、それこそ不滅のものとして、存在しているのではないだろうかぐらいのことは考えてしまう(反対に、サッカーに関しては、じつはまだ、それほどには根付いていないのではないかとか)。

 それはともかく。いま現在、野球マンガのシーンは、群雄割拠な感じなのである。そのなかでも、僕が個人的にいちばん気になっているのは、このたび単行本1巻が発売されたばかりの『アフタヌーン』連載、ひぐちアサの『おおきく振りかぶって』である。これがおもしろい。

 さいしょにも書いたが、僕はスポーツそのものには関心がなく、野球もまた例外ではないのだけれど、そういう人間が「おもしろい」と言うということは、野球という競技の描き方というよりはむしろ、そこで奮闘する登場人物たちの描き方に心惹かれるということである。というか、ひぐちアサというマンガ家の作品をこれまでに読んだことがある向きにとっては、『おおきく振りかぶって』はさいしょ、ひぐちの新境地ではないかと思ったのではないだろうか(すくなくとも僕は思った)。スポーツ・マンガというのは、時として勝ち負けに拘るあまり、ストーリー運びを重視したダイナミックな展開を要求するからである。しかし読み進めるうちに、これまでの作品同様、ひぐちならではといえる、深読みしなければ追いつけないほどのセンシティヴな人間模様が繰り広げられていることに気づく。

 主人公である三橋廉は中学校のとき、祖父がその中学の経営者であるというヒイキによって、野球部のエースをやることになる。そのような権力の行使は、彼自身が望んだことではなかったけれども、しかし結果としては、そのヒイキに寄りかかる格好で3年間を過ごしてしまう。球速(実力)のない三橋に対して、チームメイトたちは当然のように快く思わず、辛く当たる。そのことが彼の内面に歪みをつくる。野球が好きでピッチャーをやりたい、が、自分がピッチャーをやることは誰からも望まれてはいない、しかし、野球をやるからにはどうしてもピッチャーをやりたい、でも、他人から嫌われるのは嫌だ。そういう抑圧と葛藤が、三橋の性格を暗く気弱なものにしている。ここら辺の、生真面目であるがゆえにうまく人間関係をつくることができない、という構図はじつに「ひぐちアサ」的なものだといえる。

 もう野球はやらないつもりで、高校に入学した三橋であったが、ふとしたきっかけで再びグローブをはめることとなる。彼の入った西浦高校野球部は、その年に硬式野球部が発足したばかりで、チームメイトは同じ一年生のみという構成であり、なかなかに個性的なメンツが揃っている。なかでも三橋とバッテリーを組むことになるシニア出身の阿部隆也は、どこかピッチャーという存在に対して嫌悪感を持っているところがあり、強気な性格ではあるが、何かを背負ってる風な雰囲気もある。そういった西浦野球部が、ゼロから出発して、甲子園を目指してゆくというのが、物語の骨格なのだけれども、細部では、人と人の繋がりというか、コールとレスポンスの運動が絶え間なく起こっている。野球という競技を、フィジカルとメンタルの二項目によって捉えるならば、わりとメンタルの部分のほうに重点を置いた作風といえるかもしれない。
 
 ただ、1巻を読み終えて気づくのは、じつはこれ、ものすごく不経済な(効率の悪い)マンガなんだよね。というのも、ある種のビルドゥングス・ロマンのように、呪われ戦い勝った、といった図式では進んでいかない。というよりはむしろ、進んでいってはいけないのかもしれない。さいしょの対戦相手となるのは、三橋の元チームメイト(中学時の同級生)が在籍する野球部なわけだけれど、周囲の動きに対して、三橋自身は能動的にコミットしない。あくまでも円の中心で突っ立ったままでいるだけなのだ。でもって、それが、このマンガの魅力の、その幹となっている。主人公があまり動かないかわりに、彼を取り巻く状況が著しく動くという体でもって、群像劇に近しい味わいが生まれている。これはちょうど同じような出発点を持つ野球マンガ『風光る』(画・川三番地、原作・七三太郎)や『おれはキャプテン』(コージィ城倉)が、駄目人間だった主人公が積極的に動くことによって周囲の状況を変化させてゆくのとは真逆の構図、言い換えれば、主人公の消極性によって、『おおきく振りかぶって』のストーリーは、突き動かされている。もっといえば、主人公である三橋のネガティヴさがなければ、こうした面白さは支えきれないのである。

 ところで、単行本カバーの折り返ったところを見ると、登場人物たちのプロフィールが載っており、物語には直接登場しない血液型と家族構成もまた、彼らの性格を決定している重要な要素であるのがわかる。ちなみに、三橋はAB型の一人っ子で、ああ、なるほど、そういうタイプの人間ではあるな。


もりた |HomePage

My追加