# 健やかで幸福で
2006年09月10日(日)
色々作業を進めていましたが、いきづまったので潔く放置中(おい)
少し時間を置いたほうが客観的に考えられるってやつですよ(言い訳)

数日前に誕生日を迎えました。一つ歳をとりました。
誕生日当日は、例年と変わらず、何にもない日万歳!の如く特別でもなんでもない一日として過ぎ去っていきましたが、今年の誕生日は近年では最高に幸福でした。
なんでかっつうと、誕生日の数日前に、ある人からお祝いメッセージの書かれたバースデーカードが届いたのです。それがもう最高に嬉しくて嬉しくて。届いたその日は嬉しくて舞い上がって、不気味なほどにやけて過ごしていましたが、数日経って誕生日当日を迎えて、改めてそのバースデーカードを見つめていると、何よりも感謝の気持ちで、泣きそうになりました。
自分の誕生日に、幸福な気持ちでいられるのって、それ自体がすごく幸福。
私は毎年、自分の誕生日って嫌いでした。この日だけは、正月だとか大晦日だとか一般的に特別な日とかじゃなくて、“私”にとってとても大切な特別な日であるはず。なのに、何にも特別なことなんかなくなんでもない日と変わることのない一日で終わってしまうから。
幼い頃は、誕生日プレゼントをもらえるとか祝って貰えるとか、そういう目に見える幸せな出来事がある日で、一つ年齢が上がることが“オトナ”になる感じで嬉しかった。
でも、気づいたら「おめでとう」を言って貰えることすら少なくなっちゃった。
大切な人との思い出は、幸せだったこともあったし逆に苦く残ってしまった年もあったり。
いずれにしても、大人になってから、誕生日を心底幸福な気持ちで過ごしたことってなかった。特に去年は最高潮にテンションの低い誕生日で、大学ノートに日記まがいのものを書いてるんですが、その年の誕生日の日記、日付が変わって翌日になった上に、心情を表すかのように茶色いペンで書いてあるの(笑) 根暗な日記ですよ(笑)
今年の誕生日は無意識に選んだペンの色がピンクでしたから。幸福色ですね。

今年の誕生日、私は頂いたバースデーカードを眺めて、私は幸せだなと感じて。
その日も例年通り、なんにも特別なことなんか起こらないありふれた一日だったのだけど、何も良いことなくてもそれでいいような気がした。
誕生日って、確かに自分が生まれた記念の日で、1年に一回しかない特別な日ではあるのだけど、確かにそうなんだけど、でもそれだけのことで何も特別な日じゃない気もする。大切な日だけど、特別な日じゃないの。普通の日なの。
だって今年、バースデーカードが届いたのだって誕生日当日じゃなくてその2日前で、でも誕生日当日じゃなかったけどすごく嬉しくて幸せで、2日前だったその日を記念日にしたいくらい幸せで(笑) 誕生日その日が特別で幸せな日になるのが大切じゃなくて、誕生日という記念日を幸福に迎えられることが、大切で嬉しくて良いことなんじゃないかな。
“特別な日”に縛られる方が誕生日という日に失礼になるって思う。
だって、やっぱり誕生日って大切な日だもの。何も特別なことがなくたって、ただ幸せに健やかにいられたら、何よりだと思うよ。

ダイエットをしてからなんだけど、食だったり過ごし方だったり、自分の身体だったり…そういう自分の生活のいろんなものに対して、自然でいられるようになったと思う。
だから、今は毎日精神的にも安定していて穏やかだし、確かに食べたいものを我慢したりの制限もあってそれはつらいけど精神的に苦痛な我慢とは違うし、特別面白いことや楽しいことばかりあるわけではないけれど毎日穏やかで幸せで楽しいです。
心穏やかで、幸せです。
だから、今年の誕生日は、特別幸せな出来事なんてない、いつもと変わらないありふれた日だったけれど、平和で幸せな誕生日でした。


■拍手 御礼
2006/09/09 17時>スキンとっても素敵です!…
拍手とコメントありがとうございました!素敵といって頂けてとても嬉しいです♪これからも頑張ります。
以前、リンク切れのご報告を下さった方>
ご報告のお礼が遅くなってしまいました…!ご報告を頂いた後すぐに修正をしました。とても助かりました。ありがとうございました!



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