2004年02月20日(金)
私がアラシヤマに感じる愛は、純粋な好みと萌え要素を差し引いたとしてもその感情の一部には、自己投影によるナルシシズムがあるのではないかと分析。彼と私は似ている、と一概に云うつもりはありません。
だが、似ていると云いたくなる要素があるのも否定は出来ないのです。
少し日記文面が硬いのは、また気が淀んでいるせいです。
どうでもいいことですが、アラシヤマは「愛したい人」と「愛されたい人」のどちらだろうか。
どちらのタイプだと考えてもしっくりくるような来ないような。
一面としては、愛されたい割には他者からの好意には鈍感そう。
他人に干渉されるのをあまり好かず、他人に干渉するのもあまり好きではない。
独りを苦に思うことはなく、集団の中に居ることも厭わないがあえていうなら独りがいい。
それでいて寂しさに弱く、独りで居る空間と時間には強いが誰にも求められない空間と時間に弱い。
それ故、他者に存在を認められること・求められること、には執着と憧憬を持ち、それを些細な形でも得られることに幸福を感じる。その面においては単純。
情はあるが半面でどこかクールで、冷めた面を持つ。
なのにクールにはなりきれず、情にひどく弱い面もある。
ある面で楽観主義。常にいい方に考えるというのではなく、考えるならいい方向を選ぶ精神構造。
何においても楽しむ要素を見つけることで苦痛を悦楽に変えようとする。
純粋に単純に「前向き」なのではなく、無意識に「前向き」でいようとする。
なんか面倒になってきた上に気も晴れてきた(オイ)
気が淀んでる時は、内にあるものを何でもいいから明文化することで気の安定を図れるらしい。
上に挙げた性格分析は私…の一部ですが(全部書き出すのは面倒だしもう判らん)、前半部分はアラシヤマと重なる部分がありそうですね。
クール云々〜…は母に云われたんですよ、実は。
あんたって根は優しいけどクールだよね、みたいなことを。
云われた一瞬、中学の頃に友人に沈着冷静だよね、と云われたのを思い出しました。
沈着冷静はちょっと違うと思う…(笑)けど冷めた面があって熱血ではないのは事実だ、確かに。
感情表現は激しくなくてむしろ表に出にくいけれど、内面的には感情の起伏は激しかったり。
…と書き始めるときりがないのは、人間の構造が複雑だから。
語りつくせるほど単純ではないのが人間なんでしょう。
気が滅入っていたのは、偽PAPUWAが手に入らなかったからだ、と考えておくことにしよう。
違うけれど、そう思っておけば手に入ったときに幸福を得られそうな気がする。