ケイケイの映画日記
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2024年02月19日(月) 「梟―フクロウ―」




途中で、盲目のはずの主人公の行動に、???となり、直後、あぁそれでタイトルが「梟」なんだと、合点が行きました。この設定を巧みに生かした、ドラマ性の強いサスペンスです。とても面白かった!監督は、アン・テジン。

盲目の鍼医ギョンス(リュ・ジュンヨル)は、病の弟を救うため、誰にも言えない秘密を抱えながら宮廷で鍼医として召し抱えられます。。しかし、ある夜、世人=セジャ・王位継承者の死を‟目撃“してしまいます。見えないギョンスは、闇に何を見たのか?真実を暴くつもりが、追われる身となったギョンス。果たして真実は明らかになるのか?

韓国宮廷史上では、多分知られた話なのでしょう。史実を元にしたフィクションです。私はこの手の話は疎いのですが、王の時代、朝鮮は明と繋がりが強く、その明を倒したのが清。忠誠の証しとして、セジャが清に人質として差し出され、その後はセジャの息子である世孫=セソンが、8年間の人質時代を経て、帰国してからが描かれます。史実をもっと知っていたら、より深く楽しめると思います。

人質時代、清の経済状態や流通、武力。その力の程を知るセジャは、清との親睦を王に進言しますが、屈辱だと跳ねのける王。あろうことか、セジャの暗殺を謀ります。ドロドロの権力者争い。セジャは人格高潔にして、温厚な人柄で、知性も併せ持っています。この息子が信じられない王。日本でも人質として、子供を敵に渡す事は、良く描かれています。私は今まで、それは謀反を起こさぬ忠誠心を齎すためと思っていました。しかしそれだけではなく、子供の頃に親と引き離す事で、親子の情愛が育たぬようにとの、目録もあったのではないかと、感じました。

ギョンスの秘密を知ったセジャは、当初怒りますが、それは弟の病気を治すためだと知ると、暖かくギョンスを見守るのです。その恩に感謝するギョンスが、セジャの殺害現場を「目撃」するという皮肉。盲目であるのは、嘘ではありません。でも確かにギョンスは目撃している。しかし、証言するのは、彼にとって身の破滅。「卑しい者は、観た事を観たと言えない」と語るギョンス。苛まれるギョンスの良心と正義感を奮い立たせたのは、セソンの両親を思う、切々として言葉です。そこに自分と弟の身の上を重ねたのでしょうね。

ギョンスが腕の良い鍼灸医であり、盲目とその秘密など、この設定を余す事なく、縦横無尽に描き切っています。ちょっと梅安風味も入ったり、昼と真っ暗闇でのギョンスの違いなど、切り替えも鮮やか。リュ・ジョンヨルの好演も光ります。

宮廷のパワーゲームに、正義など不要でした。落胆するラストでしたが、その奥に待ち構えていたのは、権力者たちの争いを目の当たりにした、「卑しい身分=下々の者」たちです。「見た事を見たと言えない」彼らが出した結論は、一つの命を救う事でした。その結果は、「卑しい者」たちの魂の叫びです。これを怨念とは、私は呼びたくないのです。本当のオーラスの「感染症です」に、ドワーンとカタルシスを感じるのは、私だけではありますまいて。

教訓:「卑しい者」は結束せよ。拾い物の、硬派の宮廷物でした。












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