ケイケイの映画日記
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今は亡き敬愛していた映画友達の方が、「筒井真理子は初老女の星」と仰っていたのは、五年くらい前かしら?今回若返って中年の役柄ですが、中年〜初老にかけての既婚者、または結婚経験者なら、これ私の事?と、深々と共感できる作品です。老人介護、夫婦問題、子供の結婚、新興宗教、そして震災。多岐に渡って中年以降の女性に襲い掛かる問題に、切り込んでいます。私的には傑作。監督は荻上直子。
依子と私は、大まかに同世代の主婦。主婦は良妻賢母であるべきと、呪縛されていた世代です。世間から、夫から舅姑から、更には自分の親まで。こうあるべきだと呪いの言葉をかけられて、自分で自分を縛っている。私もそうだったから、依子の気持ちが痛いほど理解出来ます。
久しぶりの帰宅に、何事もないように手を挙げて微笑む夫。虫けらを観るような目で夫を睨む依子。「今更何?」の後に出た言葉は、「ご飯食べる?」。あー、解かるなぁ。本当にね、主婦ってご飯に追い立てられるんだよ。長年会っていなくても、夫の顔を観ると「ご飯は?」と言ってしまう。パブロフの犬ですよ。
夫は癌に罹患しており、「最後はお前のところで」なんて、ふざけた事を抜かす。自分が帰宅して、妻が喜ぶと思っているのか?依子は寝たきりの自分の父親を介護してたんだよ?これから大学受験の息子(磯村勇斗)もいたんだよ?最後はお前の所に”戻ってやって”、嬉しいだろう?的な夫の言動に、心の底から憤慨する私。
私なら追い出しますよ。でもそれが出来ない依子。「妻とはかくあるべき」が、まだ頭をもたげる。私たちの母親世代は、この手の夫が家に戻ったら、また甲斐甲斐しく世話をして、「無かった事」ととして、夫に尽くす人がたくさんいたのよ。私もそういう人を、何人も知っています。そういう妻を、「勝った」と表現する人もいる。私なら大敗でいいから、追い出しますがね(笑)。
夫が出奔し、傷ついた心の拠り所にしていた宗教の指導者(キムラ緑子)から、悪い事に、「あなたは今試されている。大きな心で赦しなさい」と、依子は言われてしまいます。他の信者に江口のり子、平岩紙。薄い顔の彼女たちが、能面のように微笑んだままなのが、絶妙に胡散臭い。踊りも歌も胡散臭い。愛を振りまき世界中に幸福をのポジティブ系教義も、たっかいただの水(多分)を売りまくっているから非常に胡散臭い。そして指導者は、依子を他の人より気にかけている風なのは、彼女が義父の遺産を相続して裕福なのを知っていて、絶好のカモだと思っている。
でもね、夫が出奔する前なら、依子はこの宗教には引っ掛からなかったの。きちんと義父を介護していた依子の心根はしかし、どす黒く渦巻くものがあったはず。「この家は俺の名義だ!」と、ぬけぬけ夫がほざいているから、介護のため、引き取ったのでしょう。あぁここでも呪いの言葉が響いたんだな。一人息子、長男の親は、嫁が看るべきと。どす黒い感情は、常に後ろ暗い心と合わせ鏡だったはずです。
これは世間体を気にしてでは、ないんです。時代の洗脳だよ。だって子供が二人とか三人いて、家事も育児もワンオペ。その上パートまでしてたんですよ、「私たち」。なのに「仕事しかしない」夫から、「たかがパート」と蔑まれる。それに口ごたえ出来ない。私たちの時代の夫と言えば、多くがもれなくモラ夫。でもそれがモラだと気づきもしない。よってたかって「ねばならない」と、押し込められていた私たち。
洗脳から解放されるのは、自分しかいません。切欠は私は映画だったけど、依子はパート先の掃除のおばちゃん(木野花)。夫への憎しみや息子の彼女が聾唖な事への差別心など、信仰先では言えない本音を、ぶちまける。豪快に笑い飛ばして同意してくれるおばちゃん。でもおばちゃんの心の闇を知った時、依子が流した涙は、自分の弱さを認め、肯定する涙ではなかったかな?ありのままの自分で良いのだと。依子によって綺麗に掃除されたおばちゃんの部屋は、依子の心でもあったはず。
夫の「俺、さっさと死ぬわ」の言葉は、妻と真にはヨリが戻らぬ絶望だったのか、妻を思ってなのか。後者なら夫婦とも救われると、私は思います。 棺の件は、依子の立場なら、私も笑います。だって可笑しいもの。あれこそ、夫からの解放じゃないかな?
初老女の星、真理子様が絶品です。普通に観ればとても同情されるはずの依子を、絶妙にいけ好かない女として演じています。このいけ好かなさこそ、依子の女の年輪だね。光石研は、卑小でバカやろー!の夫を、腹が立つほど、これまた好演。こういう役、本当に上手い。二人とも還暦越えで、商業映画の主役を張るんですから、大したもんだと、心より拍手を送りたいです。
エンディングの長回しで決めた、雨の中の喪服の依子の、見事なフラメンコ。笑顔が呪縛からの解放なら、こちらは呪縛から前進の決意ですね。ぬめぬめした内容から予想できない、爽快なラストでした。
母の日に、三男が夕食をご馳走してくれました。「いい子に育って、お母さん幸せや」と礼を言うと、「いい子に育てたんはお母さんやから、遠慮せんと食べてや」と言われて、嬉しかった。宗教に走った母から逃げた、依子の息子に聞かせてやりたい。大馬鹿息子が目を見張るほど、依子の残りの人生が楽しいものでありますよう、心から祈ります。
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