ケイケイの映画日記
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2023年03月27日(月) 「ロストケア」





打ちのめされました。こんなひりつくような感情を抱くのは、とても久しぶりです。書き出した今もまだ、心が震えています。介護を通じて、「親子」とは何だろう?と、鋭い刃で突き付けられた気持ちです。自分と親、自分と子供との関係を、深く鑑みる作品です。監督は前田哲。

長野県のとある町。早朝、訪問介護を受けていた老人の梅田と、その介護センター所長の団(井上肇)の死体が、梅田宅で見つかります。検事の大友(長澤まさみ)は当初、団が梅田宅の鍵を預かっていた事から、強盗に入り梅田を殺したと推察します。しかし、事件当時の街頭の防犯カメラから、介護センター職員の斯波(松山ケンイチ)が浮上。斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めます。粘り強い捜査に、斯波は42人の殺人を自白。斯波は殺人を、「救済であり、最後の介護=ロストケアだ」と、淡々と語ります。

鑑賞前は「羊たちの沈黙」的な、サイコミステリーだと想像していました。実際は誰にでも自分を重ねられる、老境の親との愛情と葛藤を描いた、分厚い人間ドラマでした。

斯波の「心身ともに疲弊しきり、行き止まりになった親子を助けた」と言う持論に対して、「あなたのした事は倫理観に反する。人の尊厳を踏みにじっているだけ」と言う大友の必死の反論は、真っ当な正論なのだけど、心には響きません。事件発覚の前に、如何に親の介護は大変か、斯波が心から利用者と親族のケアをしてきたかを、映していたから尚更です。

28歳からの一年、年子の幼稚園児二人を抱えた私は、癌の母親のキーパーソンでした。あちこちレビューで書いているので、ご存じの方もおられるでしょうが、うちの母親はポンコツで人格障害。自分の親姉妹とは縁を切り、父とも離婚。もう30年以上昔の事です。夫や姑に頭を下げて、家と病院と実家を往復する私に、母は言いたい放題、心が擦り切れる言葉しかかけない。主治医との相談、お金の管理、役所に高額医療の申請と、気の休まる暇はありませんでした。癌が発覚してから一年もあったのに、身辺整理は全く手をつけず、猜疑心いっぱいで、泣くか騒ぐかの母。生前も死後も、私は膨大な諸々の処理に忙殺されました。

もう一度書きますが、幼稚園児が二人います。母に早く死ねとは思いませんでした。でも、一日おきに病院や実家に通っているのに、夜討ち朝駆けで電話をしてきて、私の命が削られるような日々が終わったのだと思うと、母の死は、確かに私には救済でした。55歳で早逝したのは、母なりの娘孝行だったんだなと言う想いは、30年経った今でも変わりません。なので、この作品に出て来た梅田の娘・美恵(戸田菜穂)や洋子(坂井真紀)は、私だったかも知れないと、自分を重ねてしまいます。斯波の殺人を、私は軽々しくは断罪出来ませんでした。

ここまでも息詰まる内容なのに、物語は、更に親子の愛情の深淵を描きます。斯波が手をかけた利用者は41人。なのに、斯波は42人だと言う。彼の軌跡を調べた大友は、斯波が父(柄本明)を介護するため、介護離職していたことを突き止めます。

美恵や洋子らと同じような、壮絶な介護。金銭的にも立ち行かなくなり、思い余って生活保護を申請する斯波。しかし担当者は「働けないのはお父さんで、あなたは働けるのでは?」と、冷たく突き放します。私は「人殺し」は、この担当者だと思う。役所に勤めているのです。生活保護申請は福祉課のはず。なら、介護申請も解るでしょう。どうして、「今は生活保護の対象ではありませんが、一度地域包括センターへご相談になってはどうですか?」とは、言えないのだろう。いくら忙しくても、これを伝えて同じ役所内の窓口番号を案内するまで、1分ぐらいです。

そうすれば、父には訪問看護が入り、ショートステイやデイサービスで預かって貰いながら、斯波は働き、二人の生活は立て直されたはずです。男手一つで息子を育てた父は、今で言うママ友・パパ友も居なかったでしょう。父子家庭は、福祉から滑り落ちてしまいがちなのも、描いています。

斯波の父は、息子が判らなくなる前に、殺してくれと息子に頼んでいました。大友は嘱託殺人なら、情状酌量もあるのに、何故自首しなかったのか?と問います。「バレなかったからですよ」と、冷笑する斯波。変死なのに、上辺だけの検視しかしない。他の41人もそうだったのでしょう。介護の必要な老人は、調べるに値しない命と、世間が言っているのです。

大友の母(藤田弓子)は、娘に迷惑をかけたくないと、自ら施設を探し入所。彼女にも認知の症状が表れ、当惑する大友。再々母の元を訪れる大友は、母の何気ない言葉から、意を決して、既に死刑の決まった斯波に対峙します。

検事の大友ではなく、母一人子一人で育った大友秀美としての、心の底からの吐露に、斯波の心が大きく揺れる。検事と犯人として向かい合った二人は、実は合わせ鏡のような関係だと、二人を二重写しにする画面が語ります。斯波の殺人は救済などでは決してありません。斯波だけではなく、大友にも通じる父親への感情は何か?ここには敢えて書きません。苦労も多い生い立ちだったろう「この子たち」に、背負わせるには、あまりに辛く哀しい感情です。

美恵は法廷で、「お父ちゃんを返せ!」と叫ぶ。誰が観ても疲れ切っていた彼女。それでも、父と娘にしか解らない、親子の歴史があるのです。洋子は斯波の行為を「感謝している」と言い、新たな人生へ一歩踏み出します。その両方の感情を、作り手は寛容し、抱擁していたと思います。その上で斯波の殺人は、救済ではなく、犯罪だとも明言していたと、私は思います。

父も昨年の秋に95歳で亡くなりました。私が穏やかに父の死を迎えられたのは、長年手厚く父をお世話して下さった後妻さんのお蔭だと、改めてこの作品を観て感謝しました。母も憎く思う事は多々ありましたが、一度たりとも、早く死んでしまえとは思いませんでした。そう思わなかったことが、私の救いになっているのだと、この作品を観て痛感しています。病気や老衰で親を見送るのは、実は幸福な事なのですね。

認知症で、時々記憶が曖昧になる大友の母は、膝で泣き崩れる娘の頭を、よしよしと言いながら撫でる。自分が介護されるようになっても、です。娘は、例え病を得た母であっても、心が満たされるのを感じたでしょう。斯波の父親が、やはり認知症で記憶が曖昧な中、ひらがなばかりで綴った息子への手紙も、私は決して忘れません。私も亡くなる前に、必ず息子たち三人に、同じ事を伝えたいから。

観ながら何度も啜り泣きしました。今も書きながら、思い出しては泣いています。厳しい介護の現場、連続殺人を描いて、最後には観客が抱擁され、救済される作品でした。末筆ですが、介護関係の従事者の方々へ、心から激励と感謝を申し上げます。今年一番のお勧め作品です。



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