ケイケイの映画日記
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2021年07月17日(土) 「プロミシング・ヤング・ウーマン」




コロナ禍のせいで、思うように映画が観られなくなり二年近く。絶対観たい!と言う作品が稀になってきた昨今、この作品は「絶対」観たい作品でした。先行上映があると知り、馳せ参じました。レイプの復讐物に有りがちな設定から梯子を外しています。ポップでスイート、ロマンチックで毒々しく、そしてどうしようもなく哀しい。監督は女優でもあるエメラルド・フェネル。初監督が信じられない。脚本も監督。私的に傑作です。

親友ニーナと同じく、医大に進学したキャシー(キャリー・マリガン)。しかし、ニーナは同級生たちにレイプされ、訴えも退けられた事に絶望し、自殺。怒りに燃えたキャシーは医大を退学。昼はさえないカフェに勤めながら、夜な夜な酔ったふりをしては、言い寄る男たちを騙し討ちにして、鉄槌を下していました。しかし、医大時代の同級生ライアン(ボー・バーナム)と再会。自分に好意を寄せるライアンに、キャシーの心は揺れ動きます。

酔ったふりをして、自分をお持ち帰りする男たちに、暴力を振るう、または説教だけして、相手から自尊心を奪い取るキャシー。しかし朝帰りの彼女を、卑猥な言葉で囃し立てる見ず知らずの男たちの不躾さを描いているのは、これはキャシーが若い女性だから。男性なら見知らぬ人から、理由もなく心ない言葉で傷つけられる事はないでしょう。それも性的な。彼女の心は一向に晴れない事を表しているのでしょう。

私は「アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ」みたいに、夜な夜な男を誘っては、半殺しみたいにするのかと思っていたので(「アイスピック〜」は、レイプした男を皆殺しにした。それはそれで爽快)少し肩透かしでしたが、よく考えれば、大の男相手に、か弱い女性がそんな事出来ません。

これはキャシーの男性への復讐ではなく、自傷行為なのでしょう。真面目で明朗な、でも野暮ったい女学生であったろう、キャシーとニーナ。カースト上位の花形の学生たち(女性とも含む)には、悪ふざけのショーの生贄として、パーティーに二人とも呼ばれたのでしょう。キャシーは行けず、一人で参加したニーナは、酒を飲まされ泥酔させられ、意識のない間にレイプされます。これって、日本でも某有名大学で会った事です。やはりほんの数年前。

あの時自分が一緒にいれば、あれはニーナではなく、私だったかも知れない。姉妹のような幼馴染を亡くしたと言うだけではなく、そう解釈すると、キャシーが暗闇の底でのたうち回る気持ちが、理解出来るのです。

何とか昔の娘に戻って欲しい両親。しかし、大らかに見守る父に対して、母は「友達に今のあなたを話せない」と言う。「元の明るい娘」に戻って欲しい父と、「元の人に自慢できる優秀な娘」に戻って欲しい母。キャシーは母親のために生きているのじゃありません。もうどんどんキャシーの気持ちが解る。

そんな時偶然に勤め先のカフェに現れたライアン。学生時代からのキャシーへの好意を隠しません。ライアンの誠実さに徐々に心がほぐれ、行きつ戻りつしながら、恋人関係に進む二人。私は成人した子供が、人生で行き詰まり絶望した時、哀しいけれど親は役には立てないと思っています。親が支えられるのは、ティーンエイジャーまで。立ち直るのには、親ではない誰か、愛する人の存在が必要だと思っています。なので、この成り行きにも納得でした。

それと並行して描かれていたのが、レイプ事件の当事者ではなく、関係者。学長と思しき女性はニーナの名前すら忘れており、「当時はそんな事件が毎週のように起き、相手の男子学生は優秀で、こんな事で将来を奪われてはならない」と、信じられない言葉を吐き、絶句。毎週女生徒がレイプされているのに、何のお咎めもなしですか?将来はハイソ確実の医者になる男性だからと、私には聞こえる。この言葉、ドラマの「一つ屋根の下」で、次女小梅がレイプされ、示談に来た弁護士が「将来ある若い男性の未来が閉ざされることがあってはならない」云々言っていたのは、約30年も前の話。その時も怒りに震えたので、良く覚えているのです。

そしてカースト上位の女学生だったマディソンも、「泥酔したニーナが悪い」と言う。多分レイプするために、無理に飲まされたのを知っているのに。何なの?この女たち?夜道を歩いていたからレイプされた、肌を露出した格好をしていたから痴漢にあった、だから「される」女が悪い。それを「今の時代」の同姓である女性が言うの?今も昔も、女性が男性と対等の地位に上ろうとすると、男になるか、男に媚びを売るかになるのでしょう。

そしてマディソンは結婚して、双子を出産。医学の医も語らず、話は家庭の事のみ、せっかく勉強したのにそれを生かせない現状に疑問も持たない。それはもちろん社会のシステムも不条理なのです。しかし、マディソンはそのことすら、意識外に見える。監督は世界中の「ヤング・ウーマン」を取り巻く環境の厳しさを、描いていると思います。敵は男だけじゃないわけです。選民意識を持った女性も、また敵なのです。

たった一人、関係者でキャシーが許した人がいます。事件の相手方の弁護士(アルフレッド・モリーナ)です。お金のため、悪事を働く男どもの弁護を引き受け続けているうちに、良心の呵責に耐え兼ね、精神を病んでしまい、仕事が出来なくなっている。あれは昔の事で、若気の至り。悪かったよ、今の立派に更生した自分を見て。反省の証しだよ。あなたの大切な配偶者や恋人や親や子供や孫や兄弟や友が、加害者にこう言われて、あなたは許せますか?私は出来ない。全力で社会的に抹殺してやりたいと思うでしょう。キャシーはこの弁護士には、あなたを許すわと言います。何故か?彼は罰を受けて、悔い改める人生を送ると誓っているからです。

キャシーから手痛いしっぺ返しを受けたマディソンは、「これ切りにして」と、ある物をキャシーに手渡します。ここからは、だいたい予測出来ました。
「告発の行方」は、1988年の作品。この作品で、レイプを観ながら囃し立てた男たちは、有罪になります。なのに現実はそこからちっとも前進していない。監督はここも意識していたのかな?尋ねてみたいです。

ロマンチックな陽光に照らされていた自分が、いきなり暗闇に突き落とされたのです。二度目はもっともっと暗い。絶望しかなかったでしょう。ラストの展開は、私は自傷行為ではなく、キャシーが自分の人生にケリをつけたかったのだと思いました。

最後まで過去の自分と今の自分は別人。これでいいだろう?の男たち。そこには限りない「その他大勢の女性」への蔑視がある。無知は罪だけど、無自覚も大罪だな。ライアンに届く人を食ったようなキャシーのメールに、思わず微笑んだ私は、その後哀しくて哀しくて、涙が止まりませんでした。決してハッピーなラストではないけれど、私はキャシーは救われたと思いたい。

聡明で繊細な女性の役どころが多いキャリー・マリガンですが、この作品の七変化の熱演は、本当に素晴らしい!どこかの評論家が、この役はプロデューサーに名を連ねるマーゴット・ロビーが相応しい。キャリーでは男を誘うセクシーさが足りないと書いたと読みました。その人、この作品の何を観ていたのか?泥酔した女を持ち帰る男は、セクシーさなんか関係ないのよ。大事なのはレイプしても気が付かない程、泥酔しているか否か。キャリーくらい可愛かったら、めっけもんなんだよ。キャシーは30歳と言う年齢と不釣り合いな、ドールハウスのような部屋に住んでいます。それも親の家。いつまでもガーリーな服が良く似合い、それが彼女の本質で、大学中退してから、彼女の人生は止まっていると表している。

なので、ガーリーなキャシーも、男を誘う蓮っ葉な姿も、両方痛いのではなく、痛々しい。この複雑で哀しいキャシーを演じるのは、私はキャリー・マリガン以外、いないと思います。

予想とは全く違う作品でしたが、特異なプロット・演出に、普遍的な若い女性の生き辛さや苦悩、問題点が散りばめられ、それがズバッとハマった見事な作品。傑作です。





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