ケイケイの映画日記
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2021年05月25日(火) |
「岬の兄妹」(Amazonプライム) |
いやー、面白かった。と言うか、すごく理解出来るお話でした。食い詰めた障碍者の兄が、自閉症の妹に売春させて糊口を凌ぐお話なんて、きっと湿っぽくて絶望的なんだろうなぁと予想しましたが、途中コメディなのかと思う場面も出てきて、結構明るい気持ちで鑑賞を終えました。悲劇と思いきや、悲喜劇でした。個人的に傑作とまでは行かないけど、十分に秀作だと思います。監督は片山慎慎三。
造船所をリストラされた良夫(松浦裕也)。自閉症の妹真理子(和田光沙)を抱え、途方に暮れている時、いつものように家から飛び出した真理子が、行きずりの男と寝て、金銭を得た事を知ります。思い悩んだ末、真理子に売春させて、生計を立てようと企てる良夫。そこには、様々な事が待ち受けていました。
うん、確かに主役の二人、お芝居上手い!特に和田光沙は、障碍者を演じると変に臭味のある演技に流れる役者が多い中、淡々とスルスル自閉症の特徴を掴んで演技していて、感嘆しました。
重度知的障害の女性と、精神疾患を持った男性が組んで売春をして、生計を立てている話は以前から知っていたので、この設定には特段衝撃はありません(精神科時代に目が飛び出るお話を色々知ってしまったので、感覚が麻痺している)。
良夫の幼馴染の警官が、何故生活保護を受給しろと教えないのか?と言う感想をちらっと以前、目にしました。生保は申請と認可が複雑で、そんなにすぐには下りないです。待機期間もある。私は日本で一番生保の人が多い地区の精神科のクリニックに勤めていましたが、その時びっくりしたのは、大阪出身の人は、一握りもいなかった事です。北は北海道から南は沖縄まで、N区に流れてくる。中にはN区ならすぐ生保が下りるらしいと、生保目的で来阪する人もいたくらい。
何故そんな事が起きるかと言うと、生保の人を迎える準備が整った地区は、他にはないから。普通の地区とでは、スピードが違うのだと、当時職員に教えて貰いました。
幼馴染が、妹に売春させている良夫を咎めると、「お前みたいなのを、偽善者って言うんだよ!」と言い返します。あぁこの幼馴染は、観客なんだなと思いました。本当に二人を思うなら、首を引っ張ってでも役所に行けばいい。高みから通常の倫理観を吐いてるだけ。そして彼らが煩わしいのね。具体的に生保を口に出すと、深く関わらなきゃいけないのが、嫌なのでしょう。 演じる北山雅康が、中々嫌味な冷淡さを感じさせる演技で、ここでも幼馴染=観客がグサグサ胸に刺さって、良かったです。売春より生活保護申請の方が敷居が高い人も、共感はしませんが、理解出来ました。
私が気になったのは、リストラなんだから、雇用保険が直ぐ支給じゃないかな?これも社保はついていなかったかも知れません。幼い時の二人が出てきますが、亡くなった母親から、真理子を頼むと言う言葉があり、それが良夫の呪縛になっているのでしょう。彼的には、生保を受給しては、草葉の陰の親に会わす顔がなかったのでしょうね。
立ちんぼでは怖いお兄さんたちに、強烈なお仕置きを受けたので(みかじめ料を知らなかった)デリヘルを思いつく兄。お仕事中の真理子なんですが、これがなかなか優秀なんだな(笑)。元々好色なのか?と思いつつ、観ていたら、「仕事?仕事?」を連呼する真理子。仕事が嬉しいのかー。お金稼ぐのは初めてでしょう。何だか辛い。でも妻を亡くした孤独な老人を相手にする彼女を見て、菩薩のような気がしたのは、私だけかな?年金暮らしのお爺ちゃんに、高い料金は難しく、一万円って、人助けのような気がしたなぁ。
中学生の悪ガキどもに、お金を強奪されそうになった良夫は、自分の排泄物を相手になすりつけ、撃退します。良夫も褒められた事をしていませんが、大人を舐めた小童は、もっとしてやりゃあいいんだよ。このエピソードは虐めが導入で、最後は苛めっ子を逆襲、笑いで締めくくって、面白かったです。
身体障碍者・中村がお客として、リピーターになります。真理子を物として扱う客が多い中、相憐れむ気持ちが強いのか、真理子に優しい中村。なので彼を好きになる真理子。二人とも気持ちが解る。「37セカンズ」の渡辺真紀子のような、さばけた女性は、そうそういないでしょうし、高いお金払って気を使うより、自分に好意を寄せている真理子がいいでしょう。でもそれは好意で会って、恋でも愛でもないのは、中村自身が一番知っている。
真理子が妊娠した時、父親になってくれと懇願する良夫に、「そうやってお金取るんだ」「好きじゃないので無理」と。即答。取り付く島もなく言い切る中村は、今まで障害のため、女性関係では散々煮え湯を飲んだのだと、思いました。そして良夫も、中村なら真理子とお似合いと、勝手に思い込む。自分も障害者なのに、障碍者を差別する様子に、とても現実的だと感じました。
それと兄妹の家、中村の家、両方が段ボールや新聞紙で窓が張り巡らされ、自分の生活=心の内を観られたくない様子が出てきて、考えさせられました。
お話は、元の造船所に再び良夫が戻れるようになって、この無頼な生活と別れを告げるかと思いきや、電話の音に、真理子が「仕事?」と、目をキラ付かせて終わります。観客に委ねるラストです。
この二人が一見奈落に底に落ちたように見えたか?は、私は戦犯は世の中でも、知恵のたらない良夫でも、酷薄な幼馴染でもなく、二人の母親だと思う。
勿論、社会や周囲が温かい目で二人見守る事は、とても大切です。でも相手の善意を促すのは、当事者の頑張りだと言うと、厳しいかな?良夫が生まれながらの障害なら、身体障碍者手帳を申請すべきだし、真理子も知的障害を含む自閉症に思えたので、療育手帳を申請出来ます。生まれながらの障害は、私の記憶では、年金未納でも障碍者年金が貰えたはず。これ全部、自分からの申請でないと、需給出来ません。
私が精神科で勤めていた時、仲の良かった精神保健福祉士から聞いた言葉で、肝に銘じたのは、「障害を追ったら、福祉や医療の社会資源と必ず繋がるべき。そうすれば命は助かる」でした。
幼馴染の冷たさも感じましたが、当事者も自分たちで何が得られるのか調べ、声を上げなきゃいけないのです。そうすれば、時間はかかるでしょうが、良夫は障害者枠で仕事を得られ(彼なら大丈夫!)、真理子は施設に入り、売春以外の仕事が与えられるはず。お涙頂戴も無く、社会を糾弾するでもない世界観で描いたこの作品で、私が痛感したのは、この事です。私はと言うと、相手が大きなお世話の顔をしたら止めますが、ちょっとお節介な親切を、今まで通りして行きたいです。
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