ケイケイの映画日記
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2020年10月14日(水) 「82年生まれ、キム・ジヨン」




韓国でベストセラーになった作品の映画化。私のような姑世代から現在の若いお嫁さんたち迄を網羅して、女性たちの悲哀の数々を、慈しみを持って描いています。キム・ジヨンとは、1982年生まれの韓国の女の子で、一番たくさん付けられた名前。何故このタイトルになったのか、私が思い至った時、暖かい感情が胸いっぱいに広がりました。監督はキム・ドヨン。

ソウルに住む主婦のキム・ジヨン(チョン・ユミ)。娘が生まれ現在は専業主婦。多忙な毎日に忙殺され、時々他人が憑依したような言動を取り、夫のデヒョン(コン・ユ)を困惑させます。ドヨンがその時の記憶を無くしていることもあり、心配したデヒョンは妻に内緒で、精神科医の元を訪れます。

とにかく老若の女性たちがたくさん出てきますが、どの立場に居る人も、とにかく葛藤が絶えません。私が感嘆したのは、その描き方のリアリティと繊細さです。

ジヨンの日常は、子育てと家事に忙殺され、優秀な社会人であった彼女は、その能力を家庭以外には発揮できません。娘を愛しているのとは、別の次元で有る事なのは、懸命に子育てする彼女から滲み出ている。夫は家庭を持ち子が出来ても、いつまでもパリッとスマートな様子なのに、美しかった妻は所帯やつれし、いつも同じようなスウェット姿。ジヨンが悪いのか?しょっちゅう子供を抱きあやし、飲み物を溢し散らかった家を片付け、外出時にも場所探ししておむつを替える。子育ては、特に乳幼児期は格闘です。この作品でも、年配女性にお洒落しろと窘めまれますが、自分だってそうだったはず。どうして労ってやれないのか?

ジヨンの元の会社には、鉄の女と呼ばれる女性主任がいました。彼女は子供を産んで一か月で仕事復帰。実母に同居して貰って子育てをしています。しかし傍の男性たちは、彼女の夫を「姑との同居を我慢して、妻に仕事をさせるのを許して偉い」と誉めそやす。産後の身体を厭う暇もなく家庭と仕事を両立させている彼女を、誰も褒めないのです。見過ごしてしまうような日常の中、女性たちは冷たい風にさらされています。主任は好きで「鉄の女」になったのでは、ありません。

それぞれのジヨンの周囲の女性たちの描き方も秀逸。子供の頃から男尊女卑の韓国の価値観を嫌うジヨンの姉は、教師の職を得て独身。仲の良かった同僚は、今も独身で有るのが決め手で、昇進。会社のトイレに盗撮器が見つかり、それは警備員が取り付けたものでしたが、これだけでも言語道断ですが、それを男性社員数人が知っているのに、回して観ていたとは、茫然としました。表向きは男性の育休もあり、昔から格段に整備されている女性の立場ですが、実情が伴っていないのは、どの国も変わらないのです。

私が一番心を寄せたのは、ジヨンの母です。五人兄弟で一番勉強が出来たのに、弟たちを大学に行かせるため、進学せず工員として働き、結婚しては口煩い姑、古い価値で当たり前の夫に仕え、家庭には味方はいなかったでしょう。しかしジヨンの弟を産み(ここ最大ポイント)、脱サラして食堂を開いた夫と共に店を盛り立て、今では昔のままの価値観の夫に怒る事も出来るようになっています。立場も境遇も違うのに、私と同じなのです。私は結婚して38年、ジヨンの母程ではないにしろ、それなりの苦労も乗り越え、対等になったのは、結婚30年くらいから。それでもうちの夫も、ジヨンの父のように、今でもぼんくら発言が多々あります。本当にどうしてなんだろうか?男なんてそんなもの、と諦める人も多いでしょうが、うちにも息子が三人、見習われると困る。見過ごせないので、私もジヨンの母と同じく、戦い中です。

何故タイトルが「キム・ジヨン」なのか?ジヨンは現在の韓国社会では、恵まれている方だと思います。エリートらしき夫は、妻の言動に憂い哀しみ、俺のせいなのか?と自分を責めます。自分の実家から妻を庇い、何とか元の妻に戻って貰うよう、奮闘します。息子ばかりの夫の姉は、ジヨンの娘を可愛がり、「私たちの配慮が足らなかった」と、弟に謝罪。

姑も、デリカシーのない言動と言い方が優しくないのは欠点ですが、決して悪意があるわけではない。ソウルと釜山は離れているでしょうが、盆正月くらいの帰省で文句が言われないのは、韓国の長男としては恵まれている方です。だって盆正月は韓国人の一大行事、「法事」があります。長男無しなんて、考えられないと思う。家を継ぐ価値観が大きい韓国では、姑世代の人にしたら、当たり前だと私は思います。「病」を聞き、嫁のために漢方薬を送ったり、息子から電話もするなと言われて、家にも寄らない。息子が育休すると聞き怒りますが、それは出世に響く現実を知っているからです。何よりあんなに素敵な息子を育てたじゃありませんか。あんなもんですよ、姑さんは。

仲の良かった元同僚ともまだ付き合いがあり、居心地の悪くない実家。そしてあんなに良き母がいるのです。それでもジヨンは病んだ。

キム・ジヨンとは、韓国女性の集大成なのでしょう。今も昔も脈々と続く韓国女性の憂い。それをキム・ジヨンと言う女性を中心に描くことで、刷り込まれて当たり前になっている現状も、それは間違っていると、繊細にしなやかに、誰にも理解して貰えるように、静かに訴えているのだと思いました。

恵まれたジヨンが病むことは、誰でもが「キム・ジヨン」になってしまう可能性があると言う事です。幸いにも「キム・ジヨン」にならなかった、私やあなたは、もっともっと自分を褒めていい。女性主任は「母のお陰で仕事が出来て感謝している」と、世間に向けて発言します。それは本心でしょう。でもそれだけか?自分の頑張りが一番じゃないの?そう言う女性を、世間が嫌うのを、女性主任は知っているのです。夫に感謝は出てこなかった。そこには、夫が子育てや家事を手伝えば、母に迷惑をかけなかったとの思いが、私はあると思います。

私もあれこれ周りに人に感謝するのは、ずっと感謝し続けて正直もう感謝疲れしている。誰も言ってくれないけど、私が頑張ったから、今の境涯があると自分を褒めたいと、強く思いました。

この作品は、次代の男性たちに希望を見出しています。ジヨンの夫しかり、ジヨンの弟しかり。姉を気遣い父に「姉さんの好きのものは?」と聞くと「あんぱん」と答えます。しかし手を付けない姉。何故なら「あんぱんは嫌い。好きなのはクリームパン」と答えます。息子ばかりに関心がある父は、姉、それも次女には関心がなかったのですね。弟は困惑した表情と共に「次はクリームパン買ってくるよ」言います。弟は娘が出来ても、きっと好物は覚えるはず。

韓国のみならず、日本でも深々と心に響く作品だと思います。これが古いと思う人は、現実を知らないのだと思います。秀逸なフェミニズム映画です。


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