ケイケイの映画日記
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2019年09月26日(木) コミック「おかめ日和」から考察する夫婦のあり方




忙しい忙しいと言いつつ、スマホでも読めるので、ここ二年ほど電子コミックにも嵌っています。一番最初に嵌ったのが「とりかえ・ばや」(王朝絵巻とドストライクの帝に捕まる)で、以降無料を中心に読んでいますが、初めて大人買いしたのが、この作品。最初無料版三巻まで読み、主人公靖子の夫・岳太郎(たけたろう)のキャラの面白さを愛でていたら、何と「モラハラ夫だ!」と、あちこちのレヴューで糾弾されておる。は???検索してみれば、二年前くらい、その件で大炎上したのだとか。しかし読み勧めるうち、私の37年間の妻稼業が大きく照らされた心地になり、コメディ仕立ての作品ながら、最後は号泣するはめに。この気持ち、忘れないために、今回特別にレビューです。原作は入江喜和。

17巻まであるので、取り合えずウィキで
あらすじを。
この説明、イマイチなんだけどね。

岳太郎がモラハラじゃない確たる説を立証しようと読み進めると、モラハラどころか、前妻響子相手にDV(笑)。4巻では、現妻靖子に平手打ち。だめじゃん!岳太郎!響子の時は当時27歳くらいですね。最初の数巻は、太めで料理上手で、人柄良し。未だ夫にベタ惚れの主婦靖子が、短気で癇癪持ち、融通が利かず人嫌い。取り柄は頭脳と顔だけみたいな(でもお年寄りに優しく根は善人)夫を立てて、三人の可愛い子供たちとの日常を描くホームドラマでした。それが二人の馴れ初めを描く談に連れ、コメディで笑わせはするものに、段々ディープに。お話は途中から過去に戻り、二人の馴れ初めを中心に描かれ、今が挿入されていきます。

岳太郎は、響子より四歳年下。生い立ちに苦労があり、妻には母も姉も友人も、そして妻もと全部望んでいます(響子談)。対する前妻響子は美人で才媛なれど、家事一切が全くダメ。天然気質で人柄は良いのですが、作家としてこうなり名を遂げたい野心があります。姉さん女房の彼女ですが、性格に難ありの岳太郎は、響子の手にあまり、流産をきっかけに、妻から離婚を告げられます。

のちに靖子への手紙で、離婚して初めて、自分も包容力のある人を欲していたのだと、暗に岳太郎への侘びを認めた響子。そうなんだよね、結婚は愛されたい者同士じゃ、上手く行かない。うちの両親がこれで、当然離婚しています。愛されたい×愛したいがベストなのだと思います。でも自分がどちらかなのか、結婚して初めてわかるのよ。

私も複雑な家庭に育ち、8歳上の夫には、当然幸せにして貰える、愛して欲しいと願い結婚しました。夫ももちろん、そのつもりだったでしょう。それが新婚すぐに夢破れ(笑)。しかしすぐに子供に恵まれ、年子の男子を育てているうちに、私にこんなに母性があったのか、この根性は何ですか?と言うくらい、人間的に成長した私は(これ、母親あるある)、当初の目論見が逆転。私愛する方、夫愛される方で、今に至ります。しかーし!普通は愛される方が優位に立つみたいでしょ?これが愛する方が優位なんだな。男女間では、愛されると言うのは、意外と脆弱なもんだと言うのが、私の意見です。それが親子の愛情との違いでしょうか?これを愛される側が理解していると、夫婦も長続きするのじゃないかしら?

靖子は小学生の時、家庭教師に来た岳太郎に一目惚れ。以来大願成就の結婚まで実に15年間、岳太郎を一途に「大好き」でした。その間空白もありーの、響子との結婚離婚もありーの、DVや大暴れするのをライブで目撃したり、岳太郎が自暴自棄の時にぼこられて、瀕死の時に看病したり、何度も無様な恰好を見ています。当初は元教え子と言う以外、靖子に興味がなかった岳太郎も、次第に彼女が気になりだしますが、五年間は膠着状態。靖子は悶々としながらも、「大好き」なまま。まー、これはもう一種の才能だわね(笑)。

でも、この無様な岳太郎を見つめた靖子の15年があるから、現在夫婦円満なのかと思います。短い年月じゃ、絶対この男は理解出来ません。岳太郎は自分でも欠陥人間と言う通りの人で、コミュ障なれど、モラハラ亭主ではないと思います。だって外でも同じだもの(笑)。決して妻子を支配したいわけじゃない。自分の意見を通したいだけです。それに私見では、目くじら立てるほどの事、言ってないしね。この辺は読む人の年代で違うでしょうが。

欠陥人間なれど、心根は優しく噓は絶対つかない。靖子は目に見えない彼の良さを知っています。岳太郎が自分の気持ちに噓をつくのは、結婚までの五年間の靖子への愛情だけでした。自分は10歳年上のバツイチ、現在薄給の雇われ鍼灸師である身。幸せにする自信もない。ましてや相手は美人ではないけど、ぽっちゃり可愛い癒し系。人柄の良さは折り紙つきで、良き家庭で燦燦と愛情を注がれた、小さな箱入り娘です。エベレスト並みの敷居の高さに、どの面下げて靖子の愛を受け入れる事が出来ようかと、心の底に彼女への思いを秘める。

今の観点からじゃ、岳太郎・アスペルガー説も出るでしょうが、私はこの点や、育った家庭での自制ぶりなど、それは当てはまらないと思いました。

それが、靖子が他の男性とデートしているのを目撃。岳太郎、嫉妬で自制心崩壊(笑)。この俗物ぶり、すごく良かった。当時はなんやかやで、岳太郎何度目かの絶望期(人生絶望にまみれた男)。年が行った分、今回は打撃が大きく、自分の菩薩・靖子に「俺を幸せにしてくれ」と、やっと心の底からの告白。男女ってね、年齢が離れていても、どちらが包容力があるかは、関係ないわけ(身に染みています)。

あちこちで癇癪起こしまくり、器が小さいと言われる岳太郎。でも男女で言うと、男性の方が器が小さくないですか?容量は女の方が大きいと思うな。うちの息子たちも、ひそひそと自分の父親を「器が小さい」と話していますが、喧しいわ、お前らだって充分小さいよと思いますもん。

でもね、思うのですが、器の形が違うのではないかと。尖っていたり、一箇所だけ深かったり大きかったり。それが「腐っても鯛」と男性が比喩される由縁かと思うのですが(可哀想な比喩でごめんよ)。靖子との結婚への幾多のハードルを蹴散らす岳太郎を見て、そう思いました。

夫婦物なので、夫婦の営みも出てきます。ネットやコミックでは、夫婦のセックスレス記事がわんさかで、お陰様でその経験のない私は、本当かな?と少々びっくりです。この作品でも、氷河期(靖子談)を経て、狭い住宅事情のため、営みの機会を作るのに悪戦苦闘の夫婦の姿が描かれ、私も覚えがあるので、もうクスクス。その中で疲れてしまった岳太郎が、妻に上半身だけ裸になってもらい、豊かな胸に抱いてもらって眠るシーンが、一番印象的でした。靖子もそれで大満足。妻がセックスレスで悩むのは、単に性欲ではなく、スキンシップを望んでいるのだと思います。肌の触れ合いで、心は満たされるものです。

時々、中年夫婦がお互いセフレを持ちながら、家庭存続のため離婚はせず、自分たちは新しく上等な夫婦だと勘違いしたような記事を読むと、私は心の底から「死んでしまえ」と思っちゃう(大暴言)。連れ合いが他の相手とセックスしても平気なら、私は夫婦でいる意味はないと思います。

私が物凄く感じ入ったのは、岳太郎の異母兄弟の明ちゃん(大好きなキャラ!)登場で、継母や異母兄弟に気を使って我慢していたため、弟たちの岳太郎の印象は、「いつも穏やかで優しく、スラっとしていて美形の自慢の兄」。詐欺です(笑)。そして明に「兄ちゃん、今怒っているの、私にだよね(LGBTです)。兄ちゃんがいつも何かに我慢しているのは、判っていた。でもそれを隠して妻子に当たるのは、お父ちゃんみたいだ」と、指摘されます。もう目から鱗でした。

実はね、私の夫がこれなのです。亡くなった舅は、岳太郎のバージョンアップだったそうで、義兄も気質が似ています。私から言わせれば、夫も同じ気性なのですが、多分押さえ込んでいたのだと思います。だって三人もこんなのがいたら、大変でしょう?なので姑や義妹二人からは「優しくスラッとして自慢の息子・兄」だったようです。

それが結婚するや否や暴君ネロ。うちの夫こそモラハラ亭主です。この明の言葉でハッとしました。夫は自分の育った環境から、妻とは自分を曝け出して、受け入れて貰えるものだと、無自覚に認識していたのだと思います(大迷惑な学習)。それがわからない私は、何故夫は自分の実家と私では違うのか?。厳しい事ばかり言われ、どんなに可愛がって貰えるだろうと結婚した、8歳年下の新妻である私には、皆目わかりません。気に入らずに食卓テーブル(ちゃぶ台にあらず)をひっくり返したと、泣きながら姑に話せば、「あの子はそんな事をする子じゃないのに」と言われ、それじゃ私が悪いのか?何が悪いかも判らず、落ち込み絶望する日々でした。

この時期の事は今でも私は執念深く怨みに思っており、何年かにいっぺんは蒸し返し、その度に夫は謝るのですが、「何時まで言われるんや」と切れ気味に言われると、「お墓に入っても言うわ!」と答えていました。息子たちにも、「お父さんは実家が一番で、お母さんとあんたらは、その次や」と言う始末。我ながら情けなや。でもそれぐらい辛い記憶で、夫に「そうじゃない、お前たちが一番大事」と言われても、今の今までこの気持ちは、心の奥底で拭えないものでした。

これを機に、きっぱり夫の言葉を信じるとします。夫は感受性薄く、記憶も本当に薄い。それを茶化すと「あほ〜。アンタみたいに何でも敏感に感じて、記憶も良かったら、俺なんか今生きてられへんわ」と言う言葉の重さが、ようやくわかりました。この気持ちは、夫には言わないでおきます。夫が私に語る育った家庭は、とても素晴らしい良き家庭です。その側面も勿論あり、夫の記憶のままで、良いと思うから。

そして絶望から私を不死鳥のように救ったのは(笑)、やはり子供の誕生です。岳太郎も、三子誕生からだいぶ穏やかになり、結果腕は良いけど閑古鳥だった診療所は毎日千客万来に。うちも思わぬ三男の妊娠に、年長の主婦仲間が口々に「心配しな。子供は自分の食い扶持持って生まれるから」と励まされたもんです。まー、夫も穏やかになったし、暮らしも何とかなったしね。なので私は、結婚生活中の予定外の妊娠は、産むほうを勧めます。

最終巻、長男の社会の宿題で、お父さんが幸せを感じるのはいつ?と聞かれて「お父さんは、いつも幸せだ」と、答える岳太郎。幸せになりたくて靖子と一緒になり、幸せになったんですね。12巻の終わりの「俺を幸せにしてくれ」と繫がりました。靖子、お約束の号泣。私も泣きました。男子たるもの、恥ずかしくて言えるはずもなかった言葉、岳太郎も成長したものです。

コミックとしての総括は、作者がどうしても書きたかった馴れ染め編が、やはり一番感情を揺さぶられます。不器用な者同士の恋愛としても、一人の男の再生としても読み応え充分。子供たちが可愛く、長い年月でちゃんと成長も見せてもらえて嬉しかったです。サブキャラ全部、描き方もよく存在感があったのも良し。特に二人の父親が母親より色濃く描いており、その辺も珍しかったし、良かったです。難を言えば、現在の靖子をもうちょっと小奇麗に描いて欲しいです。あれではあまりと言えばあまり。同性として許せない(笑)。それと、岳太郎の良き継母、操も、もう少し描いて欲しかった。先妻の子への分け隔てない愛情は、素晴らしい事ですから。

ドラマ化して欲しいけど、あんまり時代に合ってないからダメでしょうね。岳太郎は高橋一生、馴れ初め編は富田望生ちゃんがいいなぁ。

私が今一番幸せと感じるのは、おやつを半分こして、夫と分け合うとき(太るので)。「こっち大きいから」と、お互い言い合って渡しています。先日私が「夫婦でこうやって昼下がり、おやつ分け合って」の次、「幸せや」と言おうと思うと(好きだ、愛している、幸せだ、は常に安売りして言っている)、先に夫が、「幸せや」と言いました。すごく嬉しかった。私も靖子のように泣けば良かったわ(笑)。これを読んでくださっている皆さんも、自分が今一番幸せな時はどんな時か?思い巡らせて下さいね。






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