ケイケイの映画日記
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2019年03月17日(日) 「ROMA」




本年度アカデミー賞、監督・外国映画・撮影賞受賞作。中流家庭で働く若いお手伝いさんの一年を描いているだけなのに、信じられないくらい、美しい作品。この美しさは、ヒロイン・クレオに対する監督の心なのだと思います。今回ネタバレです。監督はアルフォンソ・キュアロン。

1970年代前後の、メキシコの都市ローマ。先住民の若い女性クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)は、中産階級の医師家族の元、家政婦として働いています。同僚のアデラの彼氏の従兄弟と恋仲になり、妊娠しますが、それを告げると、恋人は彼女から去っていきます。

モノクロ画面が美しい。陰影に富み、当時を再現した美術と相まって、当時の世界へ目と心を連れて行ってくれます。前半はクレオの日常を丹念に追い、雇用主との関係性と時代を映します。

子供たちは思春期くらいの男子を頭に、男子三人に女子一人。みんながクレオに懐いており、子守や寝かしつけも彼女の仕事。日本で言えば「ねえや」のような存在なのでしょう。もう一人の同僚は子供たちの世話はしておらず、主人の信頼は、クレオの方が厚いようです。

本当に淡々と日常を映すだけなのに、クレオが何を思い何を感じているのか、手に取るようにわかるのです。平凡なメイドの日常が、こんなに胸に染み入るなんて。彼女はいつも静かな微笑を称え、怒った事もなく口答え一つしない。その様子は希望でも絶望でもなく、この境涯を受け入れると言う形の、「あきらめ」に感じます。そんな日常に、ささやかな花を咲かせていたはずの恋愛が、裏切りと言う形に終わり、クレオ以上に男の不実に私が怒ってしまいます。

後半からは、主人夫婦の夫の浮気での家庭崩壊、クレオと恋人の対峙、不安定な治安と暴動。数々の出来事が家族とクレオを襲い、内容が大きく移り変わります。奥様は締まり屋で、時々癇癪を起こすけど、基本的には情の濃い善人です。一緒に住む子供たちの祖母と、妊婦のクレオに気配りしてくれる様子に、ほっとします。奥様は恋人に捨てられたクレオに、同病相哀れむ感情を持っているのですね。それが時々辛い感情を持て余し、クレオを傷つける物言いをするのが、見ていて辛い。

クレオの赤ちゃんのために、祖母とベビーベッドを観に行った際に、暴動が起きる。その中に彼女を捨てた男がいて、あろう事か、クレオに刃さえ向けるのです。ショックで破水する彼女。暴動のせいで車は渋滞。結局出産には間に合わず、クレオは死産します。この時も、咽び泣くだけの彼女。きっと今までの人生が抑圧され過ぎて、喜怒哀楽を表現出来なくなっているのでしょう。

夫との離婚を決意し、見違えるように気丈になった奥様。子供たちとの旅行に、クレオを誘います。傷心の彼女を労わりたいのです。同行するクレオ。
そこで波に呑まれそうになった、子供二人を助けるクレオ。彼女は泳がないにも関らず。その直後、奥様とクレオ、子供たち四人が、しっかり抱きあったのが、画像のシーン。この時、一点の光明が後ろから射し、その神々しさに目を奪われます。

この時「子供は産みたくなかった・・・」と吐露するクレオ。奥様は「私たちは、みんなあなたが好きよ」と答えます。一見噛み合わない会話ですが、その時あぁと、私は腑に落ちました。この作品は、監督の半自伝で、男子のいずれかが、監督自身。そしてクレオはリバという実在の家政婦がモデルです。

クレオが子供たちを助けたのは、主人の子供と言う責任からより、自分の命を顧みないほど、子供たちを愛していたからだと思います。他人の子供にも、溢れる母性を与える彼女が、子は産みたくなかったと言う。一人で育てる事に不安がいっぱいで当たり前なのに、彼女は自分の感情がお腹の子に伝わったのだと、悔恨しているのだと思いました。

そして奥様も。インテリで生化学の研究者なのに、子供を養う為に出版社で働くと言う。その方が給料が良いからで、「私は生化学は好きじゃないの」と、気遣う子供たちのために、噓をつく。

学会だ研究だ、国を変えるなど大言壮語を言うけれど、実態はろくでなしの不実の父親たちに対して、子供のために強くあれと、変貌しようとする母たち。画面は静かに父親を断罪し、母たちに敬意を表している。それをしっかり子供たちが受け止めているのが、画像の構図だと私は強く感じました。

母とクレオの尊さを、キュアロンは残しておきたかったのだと感じました。ハリウッドで成功した彼でも、この美しく力強い、でも地味なお話には、ハリウッドはお金を出してくれなかったんでしょうね。私はネットやテレビでは集中力が持続せず、映画館でなければ、ここまでこの作品を味わう事は出来なかったと思います。劇場公開してくれたイオンには感謝です。


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