ケイケイの映画日記
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2019年03月09日(土) 「グリーンブック」




本年度アカデミー作品賞・助演男優賞・脚本賞受賞作。黒人のボス、白人の付き人と言う、1960年代では珍しい雇用関係の二人の、ユーモラスで温かなロードムービー。陽気でライトな語り口で黒人差別を問う秀作なのに、何やらスパイク・リーが、白人目線の作品だと批判しているんだとか。はて?どこだろう?と思いましたが、リーの批判が呼び水になり、私なりに当初より深く想起することが出来ました。監督はピーター・ファレリー。

1962年のアメリカ。一流クラブで用心棒として働くトニー(ヴィゴ・モーテンセン)。しかしクラブの改装で、数ヶ月間無職の憂き目に。そこへ友人が持ってきた話しが、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と言う、有名黒人ピアニストの付き人です。面接でトニーを気に入ったシャーリーは、二ヶ月間の演奏旅行に、トニーを雇います。行き先は黒人差別の強いアメリカ南部。当初こそ黒人への偏見が強かく、この仕事に乗り気ではなかったトニーですが、この旅は、彼の視野を広げる旅となりました。

脚本のニック・バレロンガは、トニーの息子です。それを事前に知っていたので、数々のユーモア溢れる心温まるエピソードが、素直に胸に入ってくる。そして辛い場面お堅い場面も色々あるのに、とにかく陽気!この明るさは、トニーがイタリア系であるのが起因しているのでしょう。

幼少からピアノの才能を見出され、少年期にはロシアにピアノ留学。教養豊かで静かな物腰は、品がなく無教養で騒々しいトニーとは対照的。その二人が、長い旅の道中、お互いを尊重し理解し合えるようになります。そのキーワードが、「黒人差別」でした。

トニーは、ピアニストとしての実力や、言われなき差別に対して、声を荒げる事もなく屈服せず、毅然とした態度で相対するシャーリーに,素直に敬服します。シャーリーもまた、大らかで楽天的なトニーの性格を愛し、立ち振る舞いの品のなさと、人としての人格は別物だと学びます。特にシャーリーがトニーに引きつけられたのは、家族仲の良さじゃないでしょうか。

バレロンガと言う名前は口にし難いので、トニー・バレと人前で名乗れば?とシャーリーが提案すると、トニーは即座に却下。俺の名前はバレロンガだと譲りません。トニーはイタリヤ系移民。バレという名前では、イタリヤ系であることが、同じ白人であるためアメリカでは埋没してしまうからでしょう。トニーのイタリア人としての誇りが、バレを名乗らせないのです。例えイタリヤ系は差別されてもです。シャーリーは肌の色で差別されているので、その事には気が付かない。

天才ピアニストとして、富も名声も豊かなシャーリーは、黒人世界では異端です。仕立ての良いスーツを着こなすシャーリーを、農夫の黒人たちが忌々しそうな目で見つめる姿が辛い。黒人社会では「名誉白人」のように見えるシャーリーも、実は白人ハイソたちの偽善の生贄で、トイレも使わせて貰えず、楽屋は物置。レストランにも入れない。誰にも言えない秘密も抱え、シャーリーは孤独です。

何故シャーリーは差別に真正面から戦うのか?そこが彼の居場所だったからじゃないのか?誰もが羨む天賦の才能を得た彼は、そのせいで、数々の親愛を奪われる。一番好きなクラシックを捨てて、ポピュラーミュージックで同胞のため戦うのは、黒人である事が、シャーリーの一番大切な誇りであるからだと思います。トニーは道中、そこに気付いたのじゃないかなぁ。自分と同じなのだと。

私は日本生まれ日本育ちの100%純血種の在日韓国人。普段と言うか、ほとんどが日本名の通名を使っています。トニーと同じく、韓国名を名乗らないと、日本人と思われます。何故名乗らないのかと言うと、韓国人を隠したいわけではなく、物心付いた時から、名前は日本名しか使っていなかったから。当時も今も、自分の韓国名と向き合うのは、住民票と特別永住者証明書と戸籍だけ。親世代は日本の統治時代に創氏改名で韓国名を奪われており、戦後日本で暮らす事を選択した在日は、そのまま通名で暮らすようになり、その子孫も今に至ると言う訳です。要するに、本名を使い慣れておらず、通名に愛着がある人が多いと思います。

私は絶対韓国人には見えないようです。私が在日だと言うと、「ほんまぁ。ケイケイさん、きちんとしているし、全然見えへんわ」と言われた事もあります。これは微妙に傷つく(笑)。でも言った人は私を褒めたつもりで、悪気はないのですね。なので私も、複雑な気持ちは隠し、曖昧に笑顔を返しました(←我ながら日本的だ)。でもこの場合、怒る人もいるはず。私はそれも間違いではないと思います。結局リーの批判は、こういうことじゃないかな?
差別される側でも、皆が同じ意見であるはずはなく、また同じ必要もないと言う事です。

因みに私が在日と知って、在日への偏見が薄くなったと言われた事もあります。これは積極的に嬉しいです。これに怒る人は間違っています(笑)。
シャーリーが自分は白人でもなく、黒人でもなく、人間扱いされていないと叫んだ時は、心の底からシンパシーを感じました。私たち在日がそうだもの。日本では韓国人と差別され、韓国では日本人と差別され。私たちは国籍は持っていても、現実は在日と言う人種です。

シャーリーが見知らぬ黒人ばかりの安酒場で、その土地の黒人たちと和気藹々とセッションする場面が胸を打ちます。シャーリーの心の澱を、彼の才能と血が洗い流してくれたのですね。今まで誰もシャーリーを同胞の元へは連れてきてくれなかったんですね。トニーがシャーリーを連れてきたのは、トニーが同胞の存在の重みを知っていたからでしょう。これも私にも当てはまります。

ラストシーンは、ほろ苦さで終るかと思っていたら、その逆だったので、とても嬉しかった。そういえば、トニーは言っていました。寂しい時は、自分から寄り添うものだと。トニーは美人で聡明な奥さんと可愛い息子たちに、与える愛情を育てて貰ったんですね。

オスカー受賞のアリは、黒人ではあまり見ないスマートでエレガントな個性の俳優で、初登場時のアフリカンな衣装も王族っぽく見事な着こなしで、オスカー授賞式の伊達男ぶりも素敵でした。この作品でも文句なしの好演。

ヴィゴは上手かったんですよ!あのもの静かなヴィゴが、でっぷり太って腕っ節が強くて、口先三寸の陽気なイタリヤ系の善人を演じて、その人にしか見えなかったです。

個人的に、トニーにもシャーリーにも、強くシンパシーを感じる内容で、私には忘れられない作品になりそうです。薄口に感じる作りですが、人種の坩堝のアメリカでは、私のような感想を持った人が大勢いると思います。語り口はライトでも、メッセージはヘビー級の作品。


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