ケイケイの映画日記
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2018年06月07日(木) 「万引き家族」




是枝裕和監督が、カンヌでパルムドールを取った作品。私はカンヌ受賞作とは、あまり相性が良くないので、今回も期待値を下げて観ました。貧困・擬似家族を通じて、幸せとは何か?と、問うた作品。演技陣は大人から子供まで素晴らしかったですが、私は安藤サクラに釘付けでした。パルムドールより、彼女に賞を取って欲しかったなぁ。感慨深い描写、好きな描写も多々ありますし、手放しで絶賛ではないですが、秀作でした。

近代的な高層マンションや建売り住宅の谷間に、ポツンと残された古い平屋の一軒家。そこには母初枝(樹木希林)と息子治(リリー・フランキー、)妻信代(安藤サクラ)、信代の妹亜紀(松岡茉優)、孫の祥太(城桧吏)が住んでいました。日雇いの治、クリーニング工場にパート勤務の信代、そして初枝の年金で暮らしている一家は、足らない分は、何と万引きで調達していました。ある夜、万引きの仕事を終えた治と祥太は、団地のベランダに放りだされているユリ(佐々木みゆ)を見かけます。同情した治は、ユリを連れて帰ります。一晩だけと思っていたのが、ユリの両親の壮絶な夫婦喧嘩を見た信代は、ユリを我が家で面倒みようと決めます。

前半はもう疑問がいっぱい。初世の年金は11万ちょっとと、引き出した時言っていましたが、年金の振込みは、二ヶ月に一度。健康保険や介護保険を抜いて、月五万ちょっとくらい。治の日雇いで、少なく見積もって15万。信代のパートで8万くらいかな。合計28万。実際はもっとあるでしょう。祥太が学校へ不登校ではなく、通学していないらしい、親をお母さんお父さんと呼ばないなど、この辺で血の繋がった親子ではないと想像されます。設定は知りませんが、憶測ですが、健康保険・年金・税金など、滞納しているのじゃないかな。30万近くが全部使える。これ、貧しくないでしょう?それで万引きするわけ?シャンプーやカップラーメンが買えないの?そして絶句するくらい、家が汚い。

抜本的なリフォームは無理としても、ゴミ屋敷みたいな家を、片付ける事は出来るでしょ?畳を変えるお金がなきゃ、安い上敷きでもいい。去年新調しましたが、私は襖紙はホームセンターで買ってきて、自分で張り替えていました。とにかく汚い汚い汚い!見ていて体が痒くなりそうです。これだけいい大人が雁首揃えて、このだらしなさ。子供は学校に行ってないわ、可哀想だからと、役所に相談するでもなくゆりを住まわしてしまうわ、失礼ながら、その低能さに、呆れてしまいました。

なので、信代も虐待されていたので、ユリが手放せないのだろうと言う推測も、センチメンタルな音だけの花火鑑賞、お婆ちゃんも連れての楽しい海水浴(そして子供の水着も万引き)など、貧しくても楽しい我が家なんですよ、絆も強いんですよと、これでもかと見せられても、はいそうですよねとは、絶対私は言えません。こんなの、足を引っ掛けられて躓いたら、もう一巻の終わりじゃないかと、段々腹まで立ってくる。あまりに刹那的な生き方です。しかしここまでを描く間に、徐々にこの人たちは家族ではなく、赤の他人同士だと種明かししていくと、私の感想も変化していきます。

土方仕事での事故後、それなりに治癒している風なのに、仕事に行かない治。クリーニング工場をリストラされて、次を探さない信代。二人の過去が明るみに出ると、頷けるのです。この過去を持ち、仕事を探すのは至難でしょう。ひっそり世間から隠れて生きたかったのでしょう。初代と亜紀の間からも、私はお金ではないと思います。風俗店に勤める亜紀の源氏名の由来を知った時、この子の屈託を知りました。初代と亜紀は、愛する人から、「俺の人生にお前は要らない」と言われる絶望を味わった者として、同じ哀しみを共有していたのじゃないかな?

私が古くて狭い団地の我が家を、片付け飾り、少しでも暮らしやすいようにと励むのは、お金のあるなしではなく、明日も平穏で楽しい日をと言う、希望を持っているからなんだ。この人たちは、その希望を持たないから、あの汚い家が気にならないのでしょう。傷ついた自分の人生の立て直し方を知らないまま、今に至った人たち。確かに甘いと思います。その甘さから、祥太やゆりを慈しむ事で、逃避していたと感じました。

しかしラスト近くで、祥太が「わざと捕まった」と、治に話した時、また私に違った感情が生まれました。祥太が「絆」を断ち切ったのです。「あいつ(ゆり)も万引きを手伝わないと、うちに居ずらいだろう」と、子供の「役に立ちたい」と言う感情を自分勝手に解釈する治と、「妹には万引きさせるな」と祥太に告げる、駄菓子屋店主の柄本明では、どちらが正しいか、明白です。学校も行けない劣悪な環境で、祥太が正しい方を選択出来たのは、彼を慈しんだ、治や信代がいたからじゃないか?大人たちが、心から彼を愛したのは、本物だったのだと、私は感じます。治と信代は、これ以外愛する術を、知らなかったのでしょう。祥太の取った行動は、結果的には、自分を愛してくれた人を、救ったと思います。

安藤サクラは、自分の赤ちゃんを連れての撮影だったとか。「母性と母乳を溢れさせて演じた」との事ですが、これは名台詞だな。信代からは、子供のいない女性の、切なる母性がほとばしっていました。祥太からお母さんと呼ばれず、池脇千鶴から、あなたは彼の何なのか?と問われ、「何なんでしょうね」と答えられず、苦悶とも哀しみとも取れる絶品の表情に、涙を誘われました。
私は祥太の、「出来損ないの愛しい母」だったと思います。

手放しではないのは、現実はもっと堅実だからです。夫が56歳の時、当時の職場が廃業になり、何とか再就職するも、給料は激減、朝は7時に出て行き、帰宅は午後10時過ぎ。38度の発熱でも休めず、雇い主からはパワハラに遭い、どんどん鬱に向かうのがわかりました。社会人になった息子三人を集め、これこれしかじか、お父さんには辞めていいよと言うつもり。すぐには次は見つからないだろうから、暫くあんたたちに、金銭的に頼りたいと言いました。長男が二つ返事で、「今まで両親で俺ら三人を養ってくれてたんやから、子供三人で両親を養うのは、わけもない事。お母さんも働いているんやし、お父さんには充分休んで貰って」と言い、次男三男も頷いています。あの時ほど、自分が育んできた家庭が肯定されたと感じた時は、ありませんでした。「あんたから、お父さんにその事言って。きっとお父さん、喜ぶから」。

息子たちから力を得た夫は、次の日自分から三行半を叩きつけ、その三日後には、今の職場が見つかりました。勤めてもう7年になります。なので息子たちからは飯代以上は取れずじまい。ちょっと惜しかったかな(笑)。

その他、私の友人は、ご主人が重大な後遺症の残る病気になり、家業は廃業。友人は介護で働けません。その時結婚の決まっていた長男が、結婚を延期して両親を養い、去年友人が前倒しで年金を受給するようになって、めでたく結婚。今は先に結婚している次男と共に、親を援助しているとか。

別の友人も、ご主人とも大病に罹り、現在は健康を維持していますが、年齢を考えた次男が、「援助するから、もう隠居したら」と言ったのだとか。「旦那さん、喜んでたやろ」「うん。あいつ、なんぼ給料貰って、偉そうな事言うてんねんやろなぁて、嬉しそうやったわ」。最近では長男次男寄って、親の行く末を相談しているようだとか。

この手の世間一般から「美談」と取られるお話は、私の周囲にはゴロゴロあります。私たちは貧困ではなかったけれど、皆々裕福ではありませんでした。貧困に落ちない様に、必死で夫婦で、片親で頑張って来た者ばかりです。それもこれも、立派ではなくても、子供を税金や年金の払える普通の社会人にして、世の中に送り出すためです。だから親も、子供に顔向け出来ない事は、絶対出来なかったのです。その立場から言うと、例え万引きを子供に教えても、この家族の笑顔が素晴らしいと取られると、それは「違う」と言う他、ありません。まぁ監督の意図も、それではないと思われますが。

先行上映で観た私の感想は、このようなもんです。週末どんな感想が飛び交うか、楽しみです。


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