ケイケイの映画日記
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2017年09月17日(日) |
「ダンケルク」(IMAX版) |
奮発して、IMAXで観てきました。かつて何度も映画化され、史実は知っている人が多いと思うダンケルクの戦い。何故今また描くのか、その理由は観ればわかる。今だからこそ観るべき、温故知新に溢れた、立派な作品でした。監督はクリストファー・ノーラン。
1940年、フランス北端の港町ダンケルク。ドイツ軍に四方を固められ、追い詰められた英仏連合軍40万の兵士たちは、絶体絶命の状況を迎えていました。英国軍の若き兵士トミー(フィオン・ホワイトヘッド)は、仲間数人と街中を逃げ回る最中、敵に銃撃され、命からがら自国軍の領域に逃げ込みます。場所は海岸。ドーバー海峡を挟み、イギリスはすぐそこなのに、英国軍兵士の救出は、困難を極めます。英国は、民間人の船も動員して救出にあたります。その中には、ドーソン(マーク・ライランス)と息子のピーター(トム・グリーン・カーニー)も、危険を省みず救出に向かいます。最新新鋭戦闘機スピットファイアのパイロット、フィリアー(トム・ハーディ)とコリンズ(ジャック・ロウデン)も、決死の覚悟で、援護射撃にイギリスから飛び立ちます。
爆撃・魚雷の激突・四方八方からの銃撃。とにかく、やられっ放し。まるで自分がその場にいるかのような、恐怖感。とにかく逃げ回る兵士たちの必死さが伝わってきて、自分がその場にいるような、錯覚を起こします。自分の顔が歪み、背筋が伸びるのが、わかる。凝った映像で彼らの恐怖を深々と伝えること。それが、監督の一番の狙いだと思いました。何故なら、観客のほとんどが、戦争を体験していないはずだから。
初老であろうドーソンは、何故危険を承知で救出に向かうのかと?と、助けた兵士(キリアン・マーフィー)に問われ、「この戦争は自分たち世代が起こした。だから若い者を救う責任がある」と返答します。彼は多分、元軍人。そして上の息子をこの戦争で亡くしている。父に似て、物静かで誠実なピーターが見せる芯の強さは、兄の事で、戦争の哀しみを知っているからでしょう。キリアン・マーフィーにかける、思いやり溢れる「嘘」も、戦争がさせたと、理解しているからです。
しかし、命がけでダンケルクに向かったコリンズに、「空軍は何をしていたんだ!」と、死をも覚悟した彼に、心無い言葉で怒鳴る民間人男性。「トランボ」で知った、タカ派で鳴らしたジョン・ウェインは、一度も戦場に立った経験がなかったと言うのを、思い出しました。この民間人男性も、戦場へ出たことはないのでしょう。どんな恐怖が待ち受けているか、想像がつかない。いや、しないのでしょう。この作品は、それは罪だと言っているのです。
名誉の戦死。名誉の負傷。これは戦う為に勇敢なれと、兵士を鼓舞する為に作った言葉です。帰還した自分たちは、恥さらしだと罵倒されるはずだというアレックス(ハリー・スタイルズ)。しかし、民は彼らの帰還を大歓迎します。ご苦労様と労う老人に、「何もしなかった」と力なく言うトミーですが、「命があるだけで充分」と応えます。その通りだと、涙が出ました。盲目のこの老人は、もしかして、先の大戦で兵士だったのでは?この作品は、若い兵士たちの、名誉の撤退を描いたのだと、その時痛感しました。
救出される側の兵士役は、なるべく当時の彼らに近い年齢の、無名の役者をオーディションで選んだとか。ワン・ダイレクションのメンバーで、超有名なハリー・スタイルズも、オーディションで選ばれたとか。ビリングトップは、新人の彼らに譲り、中佐役のケネス・ブラナー初め、英国のベテラン・中堅の実力派(ライランス、マーフィー、ハーディ、ジェームズ・ダーシー)は、後塵を拝すのも、若手たちをバックアップしようと言う、作り手の心意気だと思います。主役は、あくまで逃げる若い俳優たちです。色んなエピソードが含まれ、どれも含蓄があり、台詞を噛み締めました。私が一番印象的だったのは、ドーソン父子と、フィリアーとコリンズのスピットファイアー組です。
ラストのケネス・ブラナーの台詞に、また涙。これが、大人としての責任の取り方なのですね。ドーソンの言葉が、重なります。この作品を観て、「蟻の兵隊」を観た時、映された靖国神社で、「次の戦争では、負けない日本であるように!」と絶叫する青年を観て、震撼した記憶が蘇りました。戦争有りきが前提とは、怒りと哀しさがない交ぜになった、とても辛い気持ちになったものです。彼もまた、自分は戦場に行かないと思っているのでしょう。戦争が始まれば、この体験をするのは、あなた自身で、私の息子たちであり、あなたの夫・恋人・息子です。そうなった時、ドーソンや中佐のように、あなたはなれるのか?この作品が問いかけている全ては、ここにあると思います。
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