ケイケイの映画日記
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2016年11月12日(土) 「湯を沸かすほどの熱い愛」




このダサいタイトル、何とかならないのかしら?この素晴らしい作品が台無しな気がするのは、私だけ?あの綺麗な綺麗な宮沢りえが演じる肝っ玉母さんが、溢れる母性を周囲の人々に惜しみなく与える姿に、何度も泣かされました。秀作にして力作です。監督は中野量太。

先頭を経営する双葉(宮沢りえ)ですが、一年前夫の一浩(オダギリジョー)が失踪してから、休業して高校生の一人娘の安曇(杉咲花)と二人暮らし。双葉の頑張りも限界に来ていた頃、彼女に癌が発覚。余命いくばくもないと診断されます。お先真っ暗な中、泣いている暇のない双葉は、まず一浩を探す事から始めます。

と、ここまでは、ほんの序章。私は死期の近いシングルマザーが、一人娘へ限りない愛を捧げる作品とだけ思って臨みましたが、それは幹にしっかり描かれますが、他にも学校でのいじめ、ネグレクト、母親や夫婦の有り方にも言及しており、それが全てきちんと整理できて、アンサーされています。散りばめた伏線も全て回収していて、本当に感心しました。

陰湿ないじめに泣き寝入りする安曇は、一人奮闘する「お母ちゃん」を思い、本当の事を話せなかったと思います。不登校になりそうな娘を、ここで負けたら、ずっと負け続けると、娘の布団を引っぺがし、猛烈な勢いで叱咤して学校に行かせる双葉。彼女は正しい。物凄く。しかしその時私の胸に去来したのは、今の私はもうこれは出来ないな、でした。

母親には愛情だけではなく、子供を成人させるまでの責任感が必要です。この二つは必須科目。ついでに言うと、バランスも大事。私も現役バリバリのお母ちゃんの頃は、双葉のように猛々しい部分がありました。しかし今この風景が目の前に現れたら、私は双葉のようには出来ない。しばらく休みなさいと、きっと言うでしょう。人には公的・私的に、様々な側面があります。私の中で一番大切にしていた母親の側面が、今は小さくなっているんだと、すごく実感しました。その事について、安堵と共に、一抹の寂しさも感じます。

猛々しく子供を追い立て、心配だからと、家の前で娘の帰りを待つ双葉。あぁ何ていいお母さんだと、その姿にまた泣けてきます。

双葉の告白に、すぐ家に戻る一浩。しかし、数年前の浮気が元で出来た娘鮎子(伊東蒼)も連れています。鮎子は、母に捨てられていました。9歳の鮎子も温かく迎える双葉。プチ家出の後、誕生日を祝ってもらう宴で、「出来ればこの家に居たいです。でもママも待っていていいですか?」と、泣きながら言うのです。思い出して、書きながら又泣いてます。それぐらい、私には切ない切ないセリフでした。鮎子は、本当は一浩の子供ではないと、知っているのでしょう。自分の母と双葉では、母の素質としてどちらが上か、子供心にわかっているはず。それでも言わずにはいられない。そこには、良し悪しではない、子供にとっての母親と言う存在の大きさと、この家庭への信頼を表した、見事なセリフだと思います。

この作品では、双葉の他、色んなお母さんが出てきます。一人は育児の辛さから、一度は子供を捨てながら、遠くから子供の幸せを願い、再婚もせず一人ひっそり暮らす母。もう一人は、迎えに来ると約束しながら、再婚後、新しい家庭を築き、夫と子や孫に囲まれ暮らす母。正し過ぎて、一種ファンタジーのような双葉に対して、現実にいる人たちです。後者のお母さんに言いたい。
子供が訪ねてきたら、怖くても、家族に隠れてでいいから、是非会って欲しいのです。どうして会えなかったかも教えてあげて欲しい。それは子供に赦しを乞い、自分も赦す瞬間だと思うから。捨てた子供を、母親が忘れ切れるとは、私には思えません。

一浩は若かりし頃に両親を亡くしています。それが鮎子を押し付けられて、断れなかった要因でしょうが、一番は双葉がしっかりしていたから。その愛情を妻としてではなく、母のように受け取っていたのでしょう。「お前たちが嫌でいなくなったんじゃないんだよ」。この台詞は、本音です。それが言えるのは、双葉は何があっても、最後は自分を見捨てないと思っているから。これは妻への感情ではなく、母への感情です。妻がしっかりし過ぎると、ダメなんだなぁと、私より一回りくらい下の夫婦でもこれかと、ため息でした。

一浩は入院した双葉の見舞いに行きません。娘たちに様子は必ず聞くのに。弱っている双葉を観るのが辛いのですね。でもなぁ、これもダメなのよ。夫なんだから。一人ひっそりと「死にたくない・・・」と咽び泣く双葉が不憫で、ここも共に泣きました。死ぬ間際まで残る人のために奔走する双葉ですが、これが彼女の本音なのです。でも訴えなきゃいけないのよ、双葉も。私を抱きしめてと。あの夫じゃ頼りないけどね。子供はしっかり育てたけど、夫は育て損ないましたね。でもこれも良し悪しじゃなくて、日本的な夫婦の形としては、有りなのかも。

双葉には秘密があって、それがわかった時に、何故こんなに与える母性に恵まれたのか、腑に落ちました。周囲に愛を与え続ける事で、彼女自身が救われたのでしょう。愛を与えれば愛が返ってきて、自分に向ける相手の笑顔は、彼女の栄養となったのでしょう。松阪桃李のヒッチハイカーは、私はいらないプロットだと思いました。あそこまで、スーパー母ちゃんにすることはなかったと思います。

観る前は、下町の銭湯の女将さんなんて、合っていないと思っていた宮沢りえですが、これが絶品。全く違和感なく、下町の肝っ玉母さんでした。この役柄、変に熱演されると暑苦しく、拒絶感が生まれたかも知れません。正し過ぎる人は、しんどいのです。それを彼女が本来持つ透明感や美しさが、上手く役柄と混ざり合い、とても素敵な、取り分け女性に共感を持たれる女性像を作り出していたと思います。

オダギリジョーも飄々として、ちょいいい加減だけど、許してしまう夫を好演。鮎子役の伊東蒼ちゃんも好演でした。でも宮沢りえ以上に好演だったのは、杉咲花。母親の愛情を無条件に享受できた、おっとりした様子から、数々の、この年頃に子には壮絶な試練を乗り越え、成長するまでが、こちらにも確実に伝わる演技です。あどけない笑顔もとても可愛いのですが、泣く表情が本当に可哀想で、この子が泣く度に一緒に泣いていた気がします。花ちゃんの演技あってこそ、双葉の存在がより際立ったと思います。

安曇ちゃん、一番最後まで双葉に寄り添ってくれて、ありがとう。あなたのお蔭で、双葉の短い人生は、豊かで花やいだ人生になったと思います。全てのお母さんに捧げる作品。


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