ケイケイの映画日記
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2016年11月05日(土) 「人間の値打ち」




久しぶりにイタリア映画でも観るかと、選んだ作品。サスペンスは好きだし、何やらイタリアでたくさん賞も取ったらしい。期待して観ました。富や名声があれば、豊かな人生なのか?と言う、使い古されているけど、普遍的なテーマを扱ったソープオペラ風の作品で、日本で言うとテレビの期首改編の時に、特別に作られる上出来の二時間ドラマくらいの出来でした。それがイタリアで高評価と言うのは、国民が抱いている感情を、上手く掬い取ったからかなぁと、今思っています。監督はパオロ・ヴィルズィ 。

小さな不動産屋を営むディーノ。高校生の娘のセレーナ(マティルデ・ジョリ)が、富豪の同級生マッシと付き合っている事を利用して、金儲け目的でマッシの父親のジョバンニに近づきます。ジョバンニの妻のカルラ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は、何不自由ない生活を送っているのに、満たされない日々。老朽化した名門劇場の再建に、自分の存在意義を見出しているところです。そしてセレーナ。世間の一般的な価値観に、疑問を持ち始めています。

思惑、葛藤、屈託を抱えた人々が、あるひき逃げ事故から、それぞれの感情が露わになります。描かれる人々のキャラは類型的ですが、それぞれが演技陣が的確な好演で、心理描写に、心に染み入る味わいがあります。なので安っぽくない。ラグジュアリーサスペンスと謳われてていますが、それは描かれる背景や美術だけではなさそうです。

ただ描かれる内容が、お金持ち男の傲慢で尊大な様子をたっぷり描きを、その金持ちにへつらって、おこぼれを肖りたい下卑た男は、これでもかと卑しく描く。お金持ちの有閑マダムの、お飾りの自分への憂鬱、金持ちのバカ息子等々、本当に既視感バリバリ。目新しいのは、お金や贅沢な暮らしぶりに疑問を持つ、若いセレーナくらい。

と、そこに視点を映すと、ディーノの後妻に収まった精神科医のロベルタ(ヴァレリア・ゴリノ)も、その不釣り合いさが奇妙に映る。イタリアだって、女性にとって医師はハイクラスの仕事のはず。おまけに美人。なのに、どうして冴えないコブ尽きの中年男と結婚したのか?考え付くには、ロベルタの中年と言う年齢しか浮かびません。

そう思うと、「キャロル」のように、お飾りの自分に嫌気がさし、そこから飛び立とうとしないカルラは歯がゆいですが、彼女の憂鬱も理解は出来ます。ジョパンニ、ディーノ、マッシ、そして重要キャラの伯父と共に、バカとゲスは、貧富の階級関係なく男ばっかりです。イタリア女性は、古い価値観に縛られ、まるで男の植民地みたい。

もしかして、そこが言いたかったのかなぁ?自宅のテニスコートの横に、囲いもなく全裸で人前でシャワーするジョバンニに、目が点になりました。対する妻のカルラは、屋外にプールがあるのに、彼女は地下のプールで泳いでいます。人妻は、肌を見せてちゃいけないの?その他高校生の癖に深酒する息子を怒りもしない親とか、いくら豪邸でも、人がたくさん出入りする自宅で、セレーナに襲い掛かる息子を目撃して、たしなめもせず「ごめんなさい」とドアを閉める母親のカルラに違和感がありました。でも外泊したセレーナには、両親は問い詰める。これも息子なら、そのままだったかも知れません。

貧富の差と階級社会を描き、それと人としての豊かさは別なんだよ、と言いたいだけだったら、イタリアで、こんなに高評価されなかったんじゃないかな?と、思えます。この作品だけ観ると、どうもイタリアの女性を取り巻く価値観は、日本より大変なようです。

富豪の妻役ヴァレリア・ブルーニ・テデスキは、やつれた看護師役の「アスファルト」とは、別人の美しさ。彼女の出自を考えれば、こちらが本来なのでしょう。アラフィフとは思えぬ脆さを含んだ色香が、素敵でした。一番の見どころは、彼女かも?

最後に「人間の値打ち」の意味が、語られます。お金だけに換算すると、一番大切な事や人を、見失ってしまうと言う、戒めかも知れません。


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