ケイケイの映画日記
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すっかり大人の女性になったシアーシャに会いたくて、観てきました。地元から大都会へ出て行く少女が、大人の女性へと変貌を遂げる様子が、乙女チックに描かれながら、ラストは凛として締めくくられます。監督はジョン・クローリー。
1950年代のアイルランドの片田舎に住むエイリッシュ(シアーシャ・ローナン)は、姉ローズと母の三人暮らし。意地悪な老女の営む店での、週一度の仕事に甘んじている妹を慮った姉の計らいで、ブルックリンへと旅立って行きます。姉が懇意にしているブラッド神父(ジム・ブロードベンド)の紹介で、デパートへの就職が決まり、昼はデパート、夜は簿記を習う頑張り屋のエイリッシュ。配管工の誠実な青年トニー(エモリー・コーエン)と言う恋人も出来、充実の日々です。しかし、故郷からローズが急死したと連絡が入り、急遽アイルランドへ帰る事になります。
当初頼りなく泣いてばかりのエイリッシュが、可哀想で可哀想で。本当はアメリカに来たくなかったんだと思います。父亡き後、大黒柱として家計を支え、母を守る姉は、長女としての責任として納得はしていても、他に選択肢のない閉塞的な自分の人生を、嘆く部分があったと思います。妹にその轍を踏ませたくないと思ったのでしょう。手元から羽ばたかせる愛は、姉と言うより、父親のような愛情だと思いました。
キーオ母さん(ジュリー・ウォルターズ)の営む女子寮は、アイルランド出身の女の子ばかり。口煩いけど温かいキーオ母さん、洗練された指導力のあるデパートの女性上司、そしてブラッド神父に見守られ、段々とブルックリンの生活に慣れ始めるエイリッシュ。でも一番彼女の生活を彩ったのは、トニーの存在です。
恋ってこんなに毎日が華やぐんだなぁと、昔を思い出しました(笑)。時代背景もあるでしょうが、二人が将来を含めて、とても真面目に誠実に付きあっているのが、本当に微笑ましい。可愛いけど野暮ったかったエイリッシュは、公私共の充実により、どんどん垢抜け、知性とエレガンスを身にまといます。
そんな時の姉の訃報。以前は何も感じなかった故郷の平穏に、安らぎを覚えるエイリッシュ。昔からの友人だったジム(ドーナル・グリーソン)が、彼女に好意を示すと、トニーとの狭間で、彼女に葛藤が始めります。実はエイリッシュは帰郷する直前、トニーと結婚していました。この辺は最初へっ???ちょっと不実だなぁと思いましたが、エイリッシュはまだ若い。トニーとの間も、トニーは愛でしょうが、エイリッシュは恋だったのですね。その違いがわからないまま、トニーと結婚したのだと感じました。
ジムの両親が引っ越し、彼だけが残り家業の店を守る話を聞いたエイリッシュの母は、「狙い目の男ね」と言う。これには苦笑しました。こういった思考は、過去は万国共通だったのですねぇ。今でも娘が結婚しても、自立をさせない、しない母娘はいますが、息子三人の母としては、御免こうむりたい。そしてこの言葉は、母一人子一人となった、エイリッシュを追いつめるのです。
とある意地悪な人物の言葉で、我に返ったエイリッシュ。「ここはこういう街だったと、思い出した」と言うエイリッシュには、冒頭、彼女に渡米指南した女性が、重なります。
ブルックリンのアイルランド出身者のコミュニティは絆が深く、クリスマスにはアイルランド出のホームレスまで、もてなすほどです。それ程故郷とは懐かしく自分の尊厳の源のはず。しかし故郷に帰ってみれば、自分が思う程、温かくは迎えてくれないのです。年長者はそれを経験しているから、、同胞同士助け合い、慰め合うのでは、ないでしょうか?「ふるさとは、遠きにありて、思うもの」。これは名言なのだと、実感しました。この作品で私が一番心に残ったのは、この部分です。
あちこちから姉ローズを称賛する言葉を聞く度、彼女がどれ程の重荷を背負っていたか、痛ましい気持ちになりました。この街を出て行くことはないだろうと、力なく語るジムの閉塞感が、重なります。「責任」と言う重圧で、子供を殺してしまっているのです。
心優しいトニーが、あんなに結婚を急いだのは、きっと自分の学歴にコンプレックスがあったのですね。イタリア系で、家族の結束は固かったでしょうが、経済的には貧しかったのでは?8歳の末弟にスペルや文法を手直しして貰う様子から、そう感じました。しかし卑屈にならず、どんどん成長していく恋人に負けじと、自分も見合う男になろうと頑張っていたトニーが、私は好きです。
自分の愛した人と、花も嵐も踏み越えて歩むのも結婚なら、条件の見合う相手と無難な将来を見据えてするのも結婚。エイリッシュはどちらを選ぶか最後までわからず、結構ドキドキしながら観ていました。素敵なファッションや風景と共に、自分ならどちらを選ぶか、考えてながら観ても面白いかも?私はエイリッシュの決断を支持します。
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