ケイケイの映画日記
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2015年08月22日(土) 「この国の空」




これも戦後70年関連の作品。戦場や兵士ではなく、この題材で「女の戦争」が描けるのかと、そこがまず新鮮でした。まるで古い邦画を観ているような錯覚を起こすほど、よく作り込まれています。少々語り口が冗長に感じますが、私は好きな作品です。監督・脚本は荒井晴彦。

第二次大戦末期の東京。19歳の役所勤めの里子(二階堂ふみ)は、8年前に父が亡くなり母(工藤夕貴)と二人暮らし。防空壕が水浸しになった時、隣家の銀行員市毛(長谷川博己)が助け船を出してくれたことから、交流が始まります。市毛は妻子を疎開させており、日常の世話を里子がする事に。段々と里子は、市毛を男性として意識し始めます。

私が古い邦画と錯覚しそうになったのは、美術などのセット、描き方ももちろんですが、一番はふみちゃん。台詞回しがとにかくクラシックで、昔の松竹の女優さんを想起させる品の良さです。当時の邦画をいっぱい観て役作りしたのじゃないかなぁ。やっぱりふみちゃん上手いんだと、序盤で感心しました。

里子に似つかわしい妙齢の男性は、皆戦争に行って、残っているのは年寄りばかり。40前の市毛に相応しいのは、本来なら里子の母です。当時未婚女性が一人暮らしの男性宅に上がり込む等、はしたない真似は許されなかったはずで、礼を尽くすなら母が世話したはず。のちの語りで感じますが、母は里子に「譲った」のでしょうね。明日の生死もわからず、未来への希望もない時代、自分の子が、恋も知らずに娘盛りを過ぎる事が、不憫だったのでしょう。それが例え「不倫」でも。

この時代に、こんなに柔軟に物事を受け止めるお母さんを描いたのが、とても新鮮でした。新鮮と言えば、母の姉、里子の叔母(富田靖子)の描き方もです。戦災で焼け出され、夫や子供が死んだと言うのに、悲しむより先にガツガツ食べ、生への執着を見せる叔母。よく自分だけ生き残った罪悪感は描かれますが、罪悪感を感じるのは、自分の生が確定した以降なんだと、これも改めて感じ入りました。

母との二人暮らしに飽き飽きしながら、自分の女としての心身の成熟を持て余す里子。そのけだるさが絶妙にエロチック。誰も見ていないからと、川辺で胸をはだけて汗を拭う母からも、太陽を浴びた健康的なシチュエーションと裏腹の、満たされない女としてのエロスを感じました。里子が嫌がったのは、みっともないからではなく、母に女を感じたからでしょう。戦争は女から、生の保証を剥ぎ取り、性を封印させるものなんだと感じます。

ストーリーらしいストーリーはあまりなく、終戦へ向かっての市井の若い女性を通して描き、観客それぞれに「戦争」を感じ取って貰う作品かと思います。
長谷川博己はダンディでインテリ風で良かったけど、本当はもっと風采の上がらない人が演じた方が、里子の心情がより浮かんで良かったかな?と、思いました。

茨木のり子の「私が一番きれいだったとき」が、ふみちゃんの朗読で流れ、とても引き締まった思いで締めくくられています。願わくは市毛との関係は泡沫と知り、里子には「戦争」を始めてもらいたくないな。戦後たくさんの里子がいたのだろうと、同性として痛ましい感情に駆られます。充分反戦を感じる作品。


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