ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
女優・監督として活躍するサラ・ポーリーが、自分の家族をテーマに撮ったドキュメンタリー。どんな平凡に思える家庭でも、一本の映画に出来るドラマチックな要素はあるもので、複雑な環境にあるポーリー家には、まぁお宝がゾロゾロ。鑑賞後の感想は、チャーミングで破天荒だった亡き母の道程を追っていたはずが、実はサラの父マイケル・ポーリーを描いた作品だったのだと、思い到ります。淡々と描いているのに、途中から滂沱の涙で、サラ及び家族のみんなが大好きになる、とても素敵な作品です。
小さい頃から、父マイケルと似ていない事を冷やかされていた末っ子のサラ。軽いジョークと思いながら、漠然とした不安を抱えていたサラは、まずは1990年に亡くなった女優の母ダイアンの生前を追う事で、自らの出自を調べようと決意します。両親、異父の兄姉、一緒に育った兄姉、両親の友人たちや母の兄など、彼女の親族縁族が「物語る」中、浮かんできた真実とは?
順番にカメラの前でダイアンについて答えるのは、全て実在の人。父からは妻として、兄姉からは母として、友人からは女性としての母ダイアンが浮かび上がります。誰とでもすぐ打ちけて、友人が多くエネルギッシュな日常を送っている。奔放な男性関係。なのにどこかしらいつも心寂しく、男性の愛を求めていたダイアン。アンバランスな魅力を持った女性だとわかります。
その寂しさはどこから来るのか?実は彼女はサラの父親とは二度目の結婚で、他の男性との不倫(マイケルではない)が原因で、最初の結婚は破綻していました。幼かった異父兄と姉は、元夫の手元に残され、ダイアンは月に一度会えるだけ。この件は泣かされました。もちろんダイアンはしてはならない事をしたのですが、この事が今生の彼女の悔恨となるのです。私はこの手の女性には手厳しいですが、不倫は裁いても、新たなパートナーや子を得ても、残してきた子が忘れられないダイアン。泣きぬれた暮らした子供たちに、とても同情しました。この辺から私も泣く羽目に。
不倫したって、母親は母親。この当たり前の感情を素通りせず、きちんと浮き彫りにした監督は、この世に生を受けた事、母の手で育てられた事に、感謝の思いがあったのでしょう。そしてダイアンがこの辛い教訓を忘れなかった事が、監督の人生を大きく左右したのだと思います。
ネタバレになってしまいますが、実はサラは、ダイアンがトロントに舞台の仕事に単身行っていた時の浮気相手の子供だったのです。異父兄姉とも交流があったためか、すんなり新たな血縁も受け入れているように見えたサラ。しかし、そうじゃなかったんですね。
父マイケルは、監督であり「娘」であるサラに「このドキュメントを通じて、お前は何を感じたんだ?」と、監督に問います。監督の答えは出てきません。しかし観ている私には、監督の答えは明白なのです。このドキュメントは、遺伝子の繋がらない父マイケルへの感謝と愛情なのです。
サラに別の父親がいた事は、当時カナダのマスコミにすっぱぬかれそうになったそう。マイケルには隠し通そしたかったサラですが、観念する代わりに作ったのが、このドキュメントだと思うのです。母ダイアンを追いながら、私の心を掴んだのは彼女ではなく、妻亡きあと、お互い支え合った生きた父と末娘の絆。真実を知っても、「私が父親でなくて良かったよ。父親だったら今のサラではないのだから。これからも私たちの関係は変わらない」と言い切ったマイケルの強靭な言葉は、とても感動的でした。彼に屈託があったのはわかり過ぎるほどなのに。この作品で一番懐が深く素敵だったのは、マイケルです。例えこれが演出だとしても、それが監督の想いなのでは?
マイケルに比べて、遺伝子上の父ハリーは、なんともはや。子を成した事で、ただの浮気じゃなくなったですって?ダイアンは自分を一番愛していたと言わんばかりですが、それってファンタジーですから(笑)。最後に父親候補だったジェフの言葉が、引導です。多分他のジェフも何人かいたと思われ。孕むと言う見地から見ると、女性の性欲はほどほどがよろしいようで。
しかし、サラはハリーを嫌っているわけではありません。この辺は長年の懸念が晴れた事、そしてアーティストとしての好奇心だと感じました。しかし一貫して彼女が「パパ」と呼び続けたのは、マイケルだけでした。
全く男性には恐ろしい話かも知れません(笑)。この作品で痛感するのは、父親の脆弱さです。乳母に虐待されたり、辛かった子供時代を送ったはずの異父兄姉は、自分の意思を持つ頃には、父親違いの兄弟と親睦を持ち、母の元に戻ってくるのです。子供は母親だけのものでありませんが、やはり父親と母親では、根本的に子供の心を占める割合が違うのですね。
最初の結婚で子供と別れた辛さを繰り返したくなくて、ダイアンがマイケルの元に留まったとして、それはマイケルへの愛を疑う事でしょうか?いつも不安に晒され、落ち着かない日々だったでしょう。そういう事に図太い女性であるとの印象はなかったです。自分の子の父親として、ダイアンはハリーよりマイケルを選んだんじゃないかなぁ。
ブラピとアンジーの結婚式がネットを賑わしていますが、6人の子がいなければ、ここまで辿り着けた二人だったかなぁと、私は思います。子を成した責任、養子を迎えた責任。二人の関係の破たんは、即6人の子を傷つけるのです。8人で撮った記念写真からは、私は「育む幸せ」を感じました。それを誰より大切に思っているのは、家庭の愛に恵まれなかったアンジーだと思うのです。
この作品でも、何度も挿入される甥や姪とはしゃぐサラの様子。家庭や家族。例えそこに複雑な血の交わりがあっても、家庭や家族の笑顔こそ、人生の基盤だと監督は言いたいんだと思いました。
しかし、一見スキャンダラスな我が家の秘密を、しっかり映像化して私を大泣きさせるなんぞ、映像作家の業と言うのも、したたかと言うか深いと言うか。この作品には仕掛けもあり、何度も挿入される過去のフィルムがそれ。私が幼い時に、家には8ミリカメラがあったので、アメリカなら当然だろうと思っていたら、目が点になる映像が終盤に。いやはや、すっかり騙されちゃった。もしかして、インタビューのセリフも演出?ちょっと疑心暗鬼にもなりましたが、煙に巻かれず私の感動は真実としよう。映像作家のサラ・ポーリーの今後に、赤丸付の期待です。
|