ケイケイの映画日記
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2014年05月06日(火) 「世界の果ての通学路」




ホントにホントに感激した作品。日本じゃ考えられない時間をかけて通学する、四カ国の子供たちが登場するドキュメント。長いだけじゃなくて、危険もいっぱいの通学路を、学ぶため一路邁進する子供達。感動して、びゃーびゃー泣きました。監督はパスカル・プリッソン。

ケニアの山岳。11歳のジャクソンは妹サロメを連れて、象やキリンの群れをかいくぐり、片道二時間の道を走り抜けます。アルゼンチンのアンデス山脈の麓、11歳のカルロスは、妹のミカを連れ、馬に乗りパタゴニアの平原を片道一時間、学校までひた走ります。モロッコの辺境。12歳の少女ザヒラは、友人のジネブやノウラと共に、月曜日の朝四時間かけて学校に通い、金曜日の夕方、また三人で家に戻ります。インドの漁村。足に障害のある13歳のサミュエルは、ボロの手作り車椅子生活。二人の弟がそれを引っ張り、賑やかに一時間15分の道のりを歩きます。

四組とも、その道のりの過酷な事。とにかく舗装したアスファルトなんてないの。文字通り山あり谷あり川あり獣あり。とにかく険しい道程です。どの家の親も、子供たちが無事学校まで辿り着けるよう、神に祈ります。祈らずにはいられない状況が、目の前で繰り広げられます。

突発的なアクシデントが各々にあり。ジャクソンは像の動向を冷静に観察し、カルロスは動かぬ馬を不審に思い、ザヒラたちはノウラが足を痛め、サミュエルたちは近道で車椅子が水没し、果てはタイヤが外れます。それをね、幼いこの子たちが知恵を絞り、次々難関を突破する逞しさが映されます。

ザヒラたちなど、解決策はヒッチハイクですよ。こんな可愛いローティーンの子たち、都会じゃ悪い大人の毒牙にかかること必死で、観ている私はもう心配で。しかしモロッコの田舎では、この子たちは単なる「子供」で、足でまといだと誰も相手にしてくれない。所変われば事情はだいぶ違うようで。

日本じゃお稽古事も送り迎えが普通ですが、親たちはみんながみんな、貧しい中必死の思いで子供たちを学校に行かせているので、送り迎えなんて悠長な事をする暇がない。そこで兄弟に託すのですね。三組とも当然のようにそれを引き受けます。その余りの自然な様子に、兄弟の事で他の子に迷惑をかけちゃいけないと思う親心は、必要ないのだと思い知ります。

ザヒラは数少ない女子生徒。多分パイオニアに近い存在なのでしょう。「しっかり勉強しなさい。お前は奨学金をもらっているのだ」と言い聞かせる父。日本も今では高校が無償の地方もあり、税金で学校に通っている事を、もっと子供に言い聞かせてもいいのだと痛感します。

家庭にいる時は、皆が皆、率先して親の手伝いをする。勉強できる事に感謝するよう教えても、手伝いはいいから勉強しろなんて言う親は、一人もいない。そして子供たちは、底抜けに明るい。もう眩しすぎて感動して涙が出る。日本も昔はこうだったんでしょう。これは子供たちが悪いの?いえいえ、そうじゃない。悪いのは大人です。

子供たちが学校に到着すると、安心して、どっと疲れました。そう、学校は子供にとって、安全地帯なのです。先進国とここが根本的に違うのでしょう。ケニアではその日当番のジャクソンが、国旗を掲揚しましたが、それは「この子達は国の宝」と、表しているように感じました。

最後に四人のインタビューが出てきます。まだ年端の行かぬ子供が、それぞれが自分の背負っているものを、しっかり自覚している事に心底感激。一生懸命勉強して自立して、パイロットになると言うジャクソン。それは家族のためにもなる事だと目を輝かせます。短絡的に働いて賃金を得るのではなく、自分の夢を叶えて、親への感謝も示せる事が目標なのです。立派な自尊心ではありませんか。彼の父は神のご加護と、勉強できる事への感謝を感じろと言ったのみ。それでも正しく親の愛を受け取っている事に、衝撃に近いものを感じました。それほど学校へ行くと言う行為は、希望に満ちたものなのです。学校とは本来そうあるべきものなのだと、改めて感じ入りました。

サミュエルの素直な吐露にも涙。「僕は障害者で、本当なら学校には行かせて貰えない。同じ年の女の子は、健常者で成績もよく、お金持ちだった。それでも学校を辞めさせられた。僕は学校に通えることに感謝している。将来は医者になりたい」。この言葉に涙しない人はいないでしょう。僻地に住む女子たちが学校へ通えるよう活動しているザヒラ。放牧を生業とする家業に役立つため、獣医になりたいカルロスなど、自分だけの事を考えている子は皆無です。
彼らの思う「立派な大人」とは、社会のため、家庭のために、役立つ大人なのです。

日本の子供達と全然違う。希望のない学校、社会にしてしまったのは、私たち大人なのだと、巡り巡って思い当たると、猛然と恥ずかしくなりました。この作品は、女性、貧困、僻地、障害など、あらゆる差別と戦いながら学ぶ子供を映しています。それは社会の差別に通じるものでもあります。平等に皆が教育を受けられる日本ですが、その平等が向学心を奪ってしまうという皮肉を感じました。

「お母ちゃんはどうでもええねん。あんたは自分の幸せだけを考えて」。これは私の母が私に言い続けた言葉です。一見自己犠牲をはらむ親心を込めた言葉に感じますが、自分の事だけを考える子供に育ったら、その子育ては間違いだったのだと、私は思います。ジャクソンが言うように、自分も周囲も幸せになる方法が、必ずあるはずだから。

劇場は子供の日と言う事もあってか、小学校高学年くらいのお子さんを連れ立っての鑑賞も多かったです。学校に通う子供達とその父兄、学校の先生に是非是非ご覧いただきたいです。心が洗われる作品。世の中の全ての子供たちに、神のご加護と祝福を願わずにはいられない作品です。




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