ケイケイの映画日記
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2014年03月21日(金) |
「それでも夜は明ける」 |
本年度アカデミー賞作品賞受賞作。掛け値なしで秀作です。でも何だか私には、逃げたなぁ感が残る作品でした。監督はスティーブ・マクィーン。この作品も実話が元です。
1841年ニューヨークで暮らす音楽家のソロモン(キウェテル・イジョホー)は、自由黒人として妻子と幸せに暮らしていました。ところがサーカスでの二週間の興行を終えた時、興行主に騙され拉致されて、南部の奴隷市場に売られてしまいます。何度彼が自分は自由黒人だと訴えても無駄だと悟るのに、時間はかかりませんでした。
恥ずかしながら当時のアメリカで、これ程黒人に対しての扱いが違うとは、知りませんでした。ニューヨークでは親しい間柄の白人もいて、現代とほとんど変わりません。一転ニューオリンズでは、奴隷と言うより家畜扱い。アメリカは州により法律が違いますが、こんなところでアメリカの広大さを思い知るとは。
ソロモンの雇い主は温厚なフォード(ベネディクト・カンバーバッチ)と、非情なエップス(マイケル・ファスベンダー)。一見奴隷達に優しいフォードですが、教養があり仕事が出来るソロモンが、奴隷の見張り役のデイビッツ(ポール・ダノ)に目をつけられると、面倒な事になったと、さっさと借金のかたにエップスに売り飛ばします。この卑小さ。そして中途半端な温情は、差別と対峙するとき、返って仇となるのだと言う教訓を残します。
作品の中で一番印象深かったのは、エップス。猛烈な敵役ながら、自分の価値観を信じて疑わず、女性として心惹かれる奴隷のパッツィ(ルビタ・ニョンゴ)を虐待することを「娯楽」と言い、愛するのではなく、支配する事で自分の気持ちを収めています。ファスベンダーの好演と相まって、世にはびこる差別主義者の心のうちの一端を見た思いです。
ソロモンは当初こそ反抗していましたが、売られてからは、じっと我慢の日々。彼には知性も理性もあるので、如何に状況が四面楚歌かと言うのがわかります。罰と称して奴隷達が鞭打たれる場面は凄惨で、残虐映画の趣すらあります。実際にあった事だと思うと正視に耐えませんが、観なければいけないのでしょうね。
作りも端正で格調高く、娯楽性もほどほどに取り入れて、出演者の演技も上々。でもイマイチ私の胸は熱くなりません。頭で秀作だと理解しても心が震えない。それはソロモンが解放される鍵を握る白人バスを、ブラット・ピットが演じたからです。
彼はこの作品のプロデューサも兼ね、作品賞受賞は長年ハリウッドに貢献しながら、受賞からは見放されていた彼に取っては、喜びもひとしおだと思います。その事に何ら異議はないのですが、何故アメリカ人の彼が「良い白人」のカナダ人を演じるのか?この役得感が、疑問なのです。振り返れば監督・主演ともに黒人ですが、二人共イギリス人。オスカー受賞のニョンゴはケニア人。農場主を演じるカンバーバッチもファスベンダーもイギリスとドイツ人。主要キャストとスタッフは、ほとんど外国人で、ネイティブのアメリカ人が「外国人」の役。首を傾げませんか?
この作品は奴隷制度をテーマに、差別を無くしたい作品なはず。こういう作品が繰り返し作られるのは意義がある事で、温故知新の精神も正しいものです。しかし人種差別が悪なのは、周知の事。なのに無くならない現実があるわけです。
この作品をKKK団に属するような人が観て改心するのか?現在貧困の底で苦しんでいる黒人が観て、明日への勇気が貰えるのか?答えはNOだと思います。辛辣な表現で申し訳ないですが、この作品を観て感動するのは、黒人白人とも、差別から遠いと、自分で思っている人なんじゃないかと思います。
こんなにしっかり作りこんでいるのに、どこか教科書通り。実話だと言うのに、何故かフィクションのように感じてしまうのです。ブラピが演じるなら、エップスだと思いました。年は取りましたが、アメリカ人でハリウッド型美男子の彼が冷酷非情なエップスを演じれば、観客の恐怖や怒りは、ファスベンダー以上だったと思います。ブラピは良い役者だもの。
作り手の思い入れに、熱さや「入魂」と言う言葉が想起出来なかったのは、私だけかもわかりません。でも現在自分が感じている本心なので、書いておきます。この題材で私が一番感銘を受けたのは、アラン・パーカーの「ミシッシピ・バーニング」です。舞台の町の黒人たちもこの作品の奴隷たちのように、四面楚歌の毎日。それを救ったのは、ジーン・ハックマンやウィレム・デフォーのFBIの外部の頑張りだけではなく、猛烈な差別主義者を夫に持った、フランシス・マクドーマンドの勇気だったと思います。差別を無くすのは、外部からや被差別者の頑張りだけではなく、差別する側の内部からの勇気が必要条件だと、私は思います。
私がこの作品で一番感動したのは、再会した妻子に、「長年放ってしまい、済まなかった」です。誘拐され奴隷に売られ、心身を蹂躙される生活を送りながら、自分は夫・父親であるという事を、彼は忘れなかった事です。そのお蔭で自暴自棄にならずにすんだ。知性や誠実さは、自分の身を守ってくれるという事なのですね。
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