ケイケイの映画日記
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2013年07月05日(金) 「嘆きのピエタ」

2012年、ベネチア映画祭金獅子賞受賞作。タイトルのピエタとは、十字架から降ろされたイエス・キリストを抱く聖母マリア像の事。このポスターでは、「母」を演じるチョ・ミンスの顔が写っていません。これは誰を指すでもなく、全ての母に通じるお話であると語っているのだと、鑑賞後、気付きました。母性とはかくも業が深く、そして神よりも慈悲深いと感じる作品です。監督はキム・ギドク。

借金の取立てをしている30歳のガンド(イ・ジョンジ)。生まれたての頃、親に捨てられた彼は、母の顔も知りません。ガンドの取立ては冷酷非情で、暴利の利子を返せない客を無理矢理障害者とさせ、降りた保険金で借金を精算させるというもの。ある日ミンス(チョ・ミソン)と言う美しい中年女性が現れます。「私はあなたの母よ。私を許して」と希う彼女は、どんなにガンドに暴力的に扱われても、彼の元を離れず、無償の愛を捧げます。いつしかガンドの心は溶きほぐされ、母なしの生活は考えられなくなります。そんなある日、母は突然ガンドの前からいなくなります。

ガンドの取立て先は、大半が小さな町工場で零細企業です。不況に喘ぎ、もう少し待ってくれと懇願する人々から、容赦なく肉体を蹂躙して障害者にしてしまう彼。血も涙もないとは、この事です。でも彼の背景を知る観客は、この非道さは生い立ちと無関係ではないと感じるはず。

息子に殴られ罵られ、挙句犯されようとしても、母は息子の元を離れません。ガンドのために朝食を用意し、家を整え帰りを待つ母。一心に無償の愛を捧げる母。「母親の証拠を見せろ!」と息巻いていたガンドは、味わった事のない平凡な普通の生活に、いつしか心を許して行きます。段々と無慈悲な取立ては出来なくなるガンド。

私が印象的だったのは、子供が生まれるから、障害者になって金を得て、子供に良い暮らしをさせてやりたいと言う若い夫です。今までなら、腕の一本や二本へし折ったはずのガンドは、「その心が羨ましい」と言いながら、思い留まるように告げて去りますが、その夫は自分で事故を起こします。こんな気持ち、羨ましくも何ともない。この夫は、お金がいる度、自分の四肢を切り刻んで行くはずです。お金=幸せの拝金主義の象徴として、描いているのかと思いました。他の客も、表面上は資金繰りに困った果ての借金と描いていますが、短絡的に金を借り、短絡的に自殺する様子は、浅はかだと監督は言いたいのかと感じました。

ミンスは本当にガンドの母親なのか?それは見る者に委ねられます。ただ一人、ミンスを母親だと揺るぎなく信じる人がいる。それはガンドです。「母さんがいなくなるのが、一番怖い。もう母さんなしでは、生きていけないよ」。自分を信じ、全てを肯定し、包み込んでくれる母と言う存在。「旦那はいるのか?俺に兄弟は?」とガンドは母に問いかけますが、彼女は無言。しかし「俺の父親は?」とは、一度も聞かないガンド。観客もその事に違和感を感じないはずです。母とは、特に息子には絶対的な存在であると、父親の存在を全く描かない事で、表していると思います。

必死で母を探すガンドは、自分が非情な取立てをした者が拉致したのかもと、各々を訪ねます。そこには妻がおり、母がおり、息子がいる。今まで想像だにしなかった肉親の辛さや恨みが、ガンドの心を突き刺します。母を思う今は、彼らの苦しみが、嫌という程理解出来るから。障害者になった客のあまりの転落っぷりに、少々過剰かとも思いましたが、やりすぎ感より寓話的に感じました。ガンドの悔恨と辛さを浮き上がらせるためだと思います。

ミンスには秘密がありました。このお話はサスペンスではなく、ここからが真骨頂です。私は早い段階から、気付きましたが、お話も中盤で明かされます。凄惨な取立て現場。不穏な出会いから想像できぬ、まるで恋人同士のような母と息子。そして自分の過去を辿るようなガン度の様子を映し、常に緊張を強いられていた私は、ミンスの言葉に号泣する羽目に。

「ガンドも可哀想。何故こんなに哀しいの」。何故ならそれは、私が感じていた事だからです。今までのガンドの行状を思えば、事の成り行きは因果応報と言えるものです。それでも私はガンドが可哀想で堪らない。私が涙を流すには、ミンスの許しが必要でした。まさか彼女の口から慟哭と共に迸るなんて。衝撃でした。ミンスのこの言葉こそが母性なのだと、私は思うのです。

事の顛末を知ったガンドは、怒りよりも自分の過去を悔い改め、精算したいと思ったのでしょう。彼に取ってミンスが本当の母か否か、それはどうでも良かったのです。母と言うものを身近に感じ、愛し愛される事。それは人間らしい想いです。ミンスの手編みのセーターを着たガンドは、彼女の怒りと嘆きと共に、「ガンドも可哀想」の気持ちを受け取ったと、私は思いたい。

ラストですが、ガンドが罪を償うには、私はこれしかなかったのだと思います。哀しいはずなのに、とても美しく感じるのは、ガンドの魂が浄化されたからだと思うのです。私にはガンドとミンスの魂が救われたラストだと感じました。

私の息子は三人とも成人し、もう母親としては余生です。私が息子たちに願った事は、ただ一つ。優秀でなくてもいいから、心身ともに健康でいてくれ、です。金がなんだ、お前をあんなに大切に育てたのに、と自殺した息子の墓の前で号泣する老いたお母さんは、全ての母親の代弁者です。強烈な母と息子の愛、是非ご覧になって下さい。平凡な母と子であることを、きっと感謝出来ると思います。


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