ケイケイの映画日記
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2013年04月28日(日) |
「藁の楯 わらのたて」 |
監督の三池崇史は好きな監督ですが、当たり外れもあるので、それほど期待せずに観ました。しかし何と、三池作品で初めて泣きました。犯罪被害者の遺族の復讐に対し、「その事を死んだ人は望んでいますか?」と問うのは、同じ経験者の銘苅(大沢たかお)です。一見使い古された正義のセリフですが、この言葉の奥の真実に気付かされ、胸を打たれました。あちこち綻びのある筋ですが、それを補う勢いのある作品でした。私はとても良かったです。
元経団連会長であり、現在も政財界を牛耳っている蜷川(山崎努)。その7歳の孫娘が暴行殺害されます。容疑者は7年前にも同様の事件を起こし、服役を終えたばかりの清丸国秀(藤原竜也)。清丸はまだ逮捕されておらず、蜷川は新聞各紙に清丸を殺した者に10億円を支払うと広告を出し、サイトも作り、国中が色めき立ちます。それを知り、怯えて潜伏先の福岡県警に出頭した清丸を、東京の警視庁まで無事に送り届けるため、警部補でSPの銘苅(大沢たかお)、巡査長で同じくの白岩(松島菜々子)、警視庁警部補奥村(岸谷五朗)、巡査長神箸(永山絢斗)、そして福岡県警より捜査一課の関谷(伊武雅刀)の精鋭五人が護衛に当たることになります。
凄惨な少女暴行殺人を繰り返す小児性愛の犯人清丸。作品中でずっと「クズ」と表現されます。そのクズの命を守り警護するのに、多大な税金を使い、命を張って守る必要があるのか?と言うのが、テーマの一つ。市井の人々だけではなく、身内の警察からも清丸の命を狙う者が出ても不思議ではなく、事実そうなる展開です。
蜷川の資産は推定1000億円。その力からしたら、こんなまだるっこしい方法を取るまでもなく、殺し屋を雇ったり、合法的に死刑に追い込むのも可能なはず。そこには死ぬ直前まで壮絶な恐怖を味わったはずの孫と同様の苦しみを、清丸に味あわせたかった事。もう一つは、国中を混乱させ、経った7年でこの凶悪犯を野に放した、警察への復讐もあったと思いました。
護送の過程で、それぞれの背景が浮き彫りになります。銘苅は三年前、飲酒運転で事故を起こし、刑務所を出所直後の男によって、無免許・飲酒と同様の罪で妻を殺された過去があります。言わば蜷川と同じ立場の被害者遺族です。
お金とは魔力も魅力もあり、そして汚い。人の心を自由に操つり、尊厳も奪い取るもんだなと、痛感します。そう言う意味ではリアルな展開でした。蜷川は今回の仕掛けだけではなく、札びらで人の頬を叩いてのし上がってきた過去もあるのでしょう。病態の老人なのに、家族は亡くなった孫娘だけで、劇中妻子や兄弟などは一度も登場しません。この手の生き方の人は、家族を置いてけぼりに生きていた人が多く、蜷川もそうだったのかも。晩年家族から見放され、孫だけが唯一の血の温かさを感じる存在であったのかもと想像すると、彼の孤独や怒りが、画面で描かれる以上に感じられるのです。
護送経路も予定変更を次々余儀なくされ、その辺の処理の仕方もスピーディーでスリリング。しかしいくら裏をかいても、必ずサイトには清丸の現在地がわかってしまう。清丸の存在場所を知っているのは護衛の五人しかなく、疑心暗鬼になる警護者たち。観客もかく乱させられます。嫌疑をかけられ激昂する様子は、法を守る仕事に就いている誇りを感じます。
私が印象的だった「刺客」は、資金繰りに困った中小企業の社長で、何と演じているのは長江健次。私には同世代でとても懐かしく、憔悴しやさぐれた感を上手く出していました。その時の関屋の対応が強く心に残ります。叩き上げの年配刑事であるだろう関屋のプライドと意地も、お金の前では痛みに変わってしまうのがやるせない。
精鋭のSPであるはずが、白岩が二度も清丸にしてやられるのは疑問があるし、途中手助けしてくれるタクシー運転手の余貴美子の存在も、ご都合的です。清丸の造形も一貫して「クズ」ですが、イマイチ気持ち悪さが不足で、クズ以外に何か味付けが欲しかったところです。
しかし銘苅の怒りが沸点に達した時の慟哭に、私は意表を突かれました。「被害者は犯人への復讐を望んでいるのか?そうではないだろう」と語る彼。しかしそれは自分の想念である事。死者を想うのでななく自分が生きる為であると。一見正義めいた言葉ですが、白々しい思いを誰よりも抱いているのは、銘苅なのです。言ったはずのない言葉まで頭で捏造し、それが真実だと思い込もうとしている。復讐に苛まれる自分と対峙してして行くための、言い訳なのです。諦めるのでもなく、受け入れるのでもなく、赦す事もない。真実を感じるこの言葉も、とても重かった。形は違えど被害者遺族は、煉獄に身を置くような感情から、一生放たれる事はないのかと思うと、涙が出て仕方ありませんでした。
蜷川と対峙する銘苅は、また「被害者は復讐を望んでいるのか」と問いかけます。自分にも言い聞かせているのでしょう。「死者は何も語らない」と言う蜷川。正解は蜷川だと思いました。まだたくさんの人生の残っている銘苅、死が近い蜷川の違いがくっきり浮かぶシーンでした。たくさんの犠牲者と犯罪者を出したこの逃走劇。これが復讐の顛末なのだなと痛切な思いを抱き、銘苅の想いの貴さを感じずにはいられません。
大沢たかおは最近絶好調ですが、銘苅の誠実さ優秀さの中の強い芯を感じさせて、私は好演だったと思います。これから主演作ももっと増えそうです。松島菜々子の役は、原作では男性だとか。何故彼女が配役されたのか謎です。どうしても嘘っぽいキャスティングで、アクションの出来る人が良かったと感じました。アップ時にピンクの口紅がくっきりは如何なものか。あまり綺麗に撮られようとはしていなかったのに謎。ここは口紅なしでしょう。それなりに無難にこなしていたので、ちょっと残念でした。
藤原竜也は、イケメンと言うより美男子がぴったりの男性なので、小児性愛者の設定とのギャップを狙ったのでしょうか?彼の演技事態には文句はないのですが、上に書いたように、せっかく意表を突いたキャスティングなのですから、もう少し清丸のキャラを描き込んで欲しかったです。伊武雅刀はミスキャストと感じて観ていましたが、中小企業の社長の場面で、滋味深さを感じたので、結果的には良かったです。彼の話す福岡弁も温かさがありました。
神箸、清丸ともひとり暮らしの母を思うセリフが出ます。同じような生い立ちを感じる彼らが、何故刑事と犯罪者に別れてしまったのか。環境は大事だとも感じましたが、このセリフを出すなら、ここもひと工夫想起させるセリフがあればなと、思いました。
と、色々粗もありますが、私には銘苅の想いが全てを貫く作品でした。清丸は最後の最後までクズに描かれ、情けを見せない冷徹さは良かったと思います。原作とはだいぶ脚色しているようです。機会があれば原作も手に取りたいと思います。
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