ケイケイの映画日記
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2013年03月14日(木) 「愛、アムール」



















何を書こう、どう書こう?感想を書こうと思っただけで、涙が溢れるのです。単純に見れば、厳しい老老介護に疲弊した老夫婦の顛末に見えるでしょう。でも私は違うと思う。これは二人の老夫婦の、子供の頃から現在までの「かくも長く美しい」人生の全てを描いた、神々しいまでに崇高な作品だと思います。いつもいつも、悪意に満ちた描写の羅列で、多くの映画ファンに「この先をどう思う?」と、不敵に微笑んできたミヒャエル・ハネケから、こんなにストレートな愛に包まれた贈り物を貰えるとは。彼を追い掛けて、本当に良かったです。本年度アカデミー賞外国語映画賞作品。

パリの瀟洒なマンションに住むジョルジュ(ジャン・ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)夫妻。二人は共に音楽家同士で、一人娘のエヴァ(イザベル・ユペール)も音楽家となり、今は結婚してその息子も音楽家となり、離れて暮らしています。人生の終盤を悠々自適に楽しんでいた二人ですが、ある日アンヌの病気が発覚。成功率が高かったはずの手術は失敗。彼女の右半身は不自由になります。甲斐甲斐しく妻を介護するジョルジュ。穏やかに日々は過ぎて行きますが、やがてアンヌの病状は進行し、夫婦は追いつめられていきます。

アンヌの弟子の演奏会から帰宅する二人。広々とした空間の使い方、楽器や書物に囲まれたマンションは、しかし華美な雰囲気はなく、二人の教養や人となりを物語っています。「今日の君は綺麗だったよ」と夫。「あら、どうしたの?」と妻。顔は映らず声だけですが、穏やかな夫の表情、弾んだ妻の顔まで浮かびます。二人は80過ぎくらいのカップル。こういった会話は、例えフランス人でも、老いてなかなか出来るものではないでしょう。

娘のエヴァは父との会話の中、「子供の頃パパとママが営んでいる時の声を盗み聞きするのが好きだった。二人の絆を感じたから」と言います。意表を突かれました。語るエヴァは誇らしげです。二人は良き両親であるとともに、愛し合う夫婦だとも認識させていたのでしょう。

二人の中に常にあったのは、敬意と尊重だと思います。この気持ちは、娘に対しても同じです。浮気を繰り返している夫を持つ娘に、「愛しているのか?」と問う父。愛していると即答する娘。それだけです。気に入らぬ娘婿だと思います。しかし何も言わない父。ずっと三人は、こうやってお互いの気持ちを思いやり尊重してきたのでしょう。

半身が不随になり介護される立場になっても、夫婦の対等感は変わりません。感謝はすれど卑屈にならない妻。夫も淡々と応じます。夫婦の何気ない会話が、またこの夫婦を浮き彫りにします。「僕のイメージって?」「時々怖い時もあるけれど、優しいわ」「一杯奢るよ」。この時の少年のようにお茶目な夫の笑顔が素晴らしい。こうやって、いつもいつも会話して、親愛を深めていたのですね。

ある日妻は失禁してしまいます。硬く強ばった表情は、自分自身に対しての情けなさと怒りです。病人は自分で排泄することに拘るものです。それは人としての、最後まで残る羞恥心や尊厳だからでしょう。この頃から急速に妻の病は悪化。寝たきりとなり認知症の症状が出てきます。

変わり果てた母の姿に動揺する娘。泣いています。どうして黙っていたのかと父を詰る。「お前と同じくらいパパもママを愛している」と答える父。思いやりの嘘だと思いました。本心は「お前よりママを愛している」です。娘には仕事も家庭もあります。もし究極の選択を迫られたら、自分の家庭を取るべきだと、父は考えているのだと思いました。物言わぬ母も。何故なら人生を共に歩むのは、親ではなく夫婦だから。

妻の口が不自由になってからも、夫は妻に話しかけ歌を歌います。一生懸命「アヴィニョン橋」を歌う妻。子供の頃の記憶が蘇るのでしょうか、愛らしく童女のようです。そうかと思うと、オムツ交換や食事介助の困難、始終痛い痛いと叫ぶ妻の、痛々しい様子もありのまま映します。私が印象に残ったのは、妻が看護婦に入浴させてもらっている姿を、離れて哀しげに夫が見つめている様子です。妻は当然裸体。かつて何度も繰り返し見たはずの裸体です。老いた妻の裸には夫婦の愛の歴史も詰まっているはず。手伝うのではなく、やりきれず目をそらす夫の気持ちが、とても理解できました。

一年には四季があります。冬来りなば、春遠からじ。必ず春は巡ってきます。人生にも四季があると私は思います。春が過ぎ夏が来て。でも過ぎ去った春も夏も、もう二度と戻ってはきません。哀しいかな、その事に気付くは、人生の秋や冬です。そして冬の先に厳冬が待っている時もある。しかし今が厳冬だからと言って、美しい春や夏は、その人の人生から消え去るのでしょうか?妻の今の状態は、晩節を汚しているのか?そんな事は絶対にない。長く美しい人生の終盤のひとコマだと、私は思いたいのです。厳しい介護の様子を描きながら、何気ないながら、豊かでチャーミングな会話を随所に挟んだのは、私はその為だったと思っています。

何故厳しい介護を通じて人生の美しさを描くのか?70代で大学を卒業し、マスターズ陸上で90歳の人が記録を出し、それは称えられるべき事です。でも皆が出来ることでしょうか?あえて裕福な老人を主役にし、誰にでも平等に来る事柄を題材にして、人生を肯定して欲しいと、監督は思ったのではないでしょうか?決して皮肉で選んだ題材ではないと思います。

BGMはなく、食器のカチャカチャ鳴る音、水道の蛇口の音など、セリフ以外は、ほぼ生活音が響くだけです。日常の暮らし=生命のように感じました。CDやピアノが奏でられるのですが、それは彼らの過去を浮き彫りにしていると感じます。

一羽の鳩がマンションに飛び込みます。22年前、危篤の母の傍らに沿っていた私は、季節外れの蠅が迷い込んだのを見つけます。不衛生なのに、この蠅を殺したら、母まで亡くなってしまう気がして、私は泣きながら窓を少し開けました。母は55歳でした。夫は鳩をどうしたか?娘への手紙には「開放」と書いています。妻は母より30歳前後年上です。私も開放だと思いました。

今までのハネケなら、ここで終わるはず。しかし今作では、雪解け後の春の日差しを感じる場面が映るのです。夫の行いを肯定しているのだと感じました。「もう終わりにしたい」。初めの段階で、妻はそう語っていました。やっと私の気持ちを受け入れてくれて、ありがとう。妻の微笑みはそう感じさせます。

オスカー受賞のジェニファー・ローレンスも見た、素晴らしい演技で個人的にはジェニファーを優っていると思ったジェシカ・チャステインも見た。でも今年のオスカーの主演女優賞は、エマニュエル・リヴァに捧げるべきだと、心底思いました。与えるのでなく、捧げると。教養ある美しい老婦人の頃から、寝たきりとなり認知症となっても、魂は変わらぬと教えてくれました。その真骨頂が、無理やり口に入れられた水を吐き出すシーンです。その後、夫が思い余って妻の頬を打つ姿には号泣させられましたが、謝る夫に、無言で怒りに燃えた表情を見せる彼女の、凛とした気高さは本当に感動しました。

繊細な知性派俳優として、数々の名作で観たトランティニャンは、本当に久しぶりに観ました。彼も82歳、最初はすっかり老人になり寂しかったのですが、声を聞き、あぁ彼だと嬉しくなりました。声を荒げることもなく、静かにこの状況を受け入れるジョルジュ。しかし刻々と彼が追い詰められていく様子が、手に取るようにわかるのです。手伝ってくれる管理人の労いに、「ありがとう」と言う時の、心ここにあらずのそっけなさ。この状況に励ましなど、何の値打ちもないのだと、痛感しました。トランティニャンの演技も、本当に素晴らしかったです。

ラスト、呆けたように独りマンションに佇むエヴァ。応接間の椅子に座ると、段々と顔の表情が和らいでいきます。両親の辛さは、彼女は想像するだけです。真実まではわからない。それで良いと親は思っているはず。この家での想い出と共に、愛を受け取って欲しいと願っているはずです。ずっと夫婦だけ追い続けながら、最後は子供を思いやる親の心まで映すなんてと、また涙でした。この作品はハネケの両親がモデルとなっているとか。監督が如何に両親を敬愛していたか、悔恨と共にとても伝わってきます。

何を感じ何を思うかは、自由。とにかくたくさんの人に観て欲しい作品です。私には生涯の一本になる作品。



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