ケイケイの映画日記
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2012年01月15日(日) |
「キャリー」(午前10時の映画祭) |
午前10時の映画祭・青の大阪の大ラス作品でございます。本当に久しぶりに観る作品でしたが、改めて青春学園物とホラーが、見事に共存した作品だなと感じました。監督はブライアン・デ・パルマ。
高校に通うキャリー・ホワイト(シシー・スペイセク)は、狂信的なキリスト教信者の母(パイパー・ローリー)とふたり暮らし。家では変わり者の母に折檻され、学校では愚図で冴えない容姿のため、虐めにあっています。ある日体育の後のシャワー室で、初潮がきたキャリーは、その意味を知らず、同級生のスー(エイミー・アーヴィング)やクリス(ナンシー・アレン)の強烈な虐めに合いました。コリンズ先生からきつい叱責を受けた同級生たちの内、スーはBFのトミー(ウィリアム・カット)にプロムの相手にキャリーを選んで欲しいと頼みます。
冒頭の少女たちのヌードシーンは、私が観たときはボカシ付きでした。無しの方が健康的ですね。まだ無名のナンシーやシシーの脱ぎっぷりの良さに感心。そして不細工だったと記憶するキャリーが、全然そう見えなくて、ソバカスも可愛いチャーミングな子でした。今なら森ガール風の雰囲気で、これはこれで男好きする儚げな風情だなぁ。これは記憶違いと言うより、私が年を取って見方が違ったんでしょう。そして当時27歳だったと言うスペイセクの、オドオドした幼い少女っぷりの完璧さに、これまた感心します。
コリンズ先生が親身になってキャリーを応援する様子は全然記憶に残っていませんでした。立派だったですよ、悪い子たちにはきちんと厳罰で、鉄拳も辞さず。まぁ少々暑苦しいですが、学校の虐め問題には、先生はこれくらいの気概で取り組んでもらいたいと感じます。
再見して痛感したのは、どこにも身の置きどころのない少女の寂しさや、虐待する親からの逃避ではない自立や成長が、とても丹念に盛り込まれていることでした。学生生活は明るい事ばかりじゃなく、疎外感に苛まれながら、それでも真面目に学校に通う子達は、今でも多いはず。この辺、今見ても共感してもらえるのでは?特に憧れのトミーに誘われてからのキャリーのいじらしさは特筆。同性として若かりし頃の大事な思い出を再見させて貰ったようで、何だか胸がキュンとします。
しかしその後の展開はご存知の通り。血まみれキャリーの念動力で体育館を破壊する演出は、目をカッと見開いたキャリーの姿と二分割で表現し、結構なスペクタクルな演出ですが、キャリーの心を考えると、切な怖いと言う感じ。奈落の底に突き落とされた苛められっ子の逆襲ですが、同級生と打ち解ける寸前の出来事なので、今回は猛烈にクリスの意地の悪さが腹立たしい。
みんなが自分を笑っていると感じたキャリーですが、あの演出だとコリンズ先生まで笑っているように見えるなぁと以前は思っていましたが、キャリーの感情がネガティブに高まると、幻視がある描写が先にありました。先生だけではなく、同級生も一部だけで、他はキャリーを笑っていなかったと思いたい。その前にトミーがドリフのコントのように気を失いシーンがあるけど、あれで笑ったのに、キャリーが誤解したと表現したいとも思いますが、これは私的にはいらないシーンの気がします。
その他、スーの真意が最後までわからないように描いていますが、シャワーのシーンで先生に怒られて、他の生徒より反省の様子が伺われます。最初で解っれてのね。でも演じるエイミー・アーヴィンングは、同性から観ると美貌に微妙に意地悪が入ってんのね。それで初見の時は私も攪乱させられました。
ただただ怖いだけだったキャリーのお母さんの辛さも、今回は同世代になったと言うことで、充分理解出来ます。確かに精神的に病んでいる人ですが、セックスへの嫌悪と欲望が入り交じり、人格が破壊してしまったんだなぁ。きっと彼女の親が、彼女以上に盲目的に信仰していたんでしょう。娘に殺される前の告白は、何十年も葛藤していたんだと哀しいくらいでした。
←私が大好きだったウィリアム・カットを始め、あのジョン・トラボルタやスペイセク、アレン、アーヴィングと、主要キャストはみんなこの後売れっ子になっていますが、やはり出色はスペイセクでした。キャリーの哀しさと怖さの共存だけではなく、こんなに乙女な恋心まで上手く演じていたなんて、当時はわかりませんでしたから。
ストーリーを知っているためか、今回は学園ものとしても上出来だったなと感じた次第。この後、話題作や秀作も作っているのに、イマイチ巨匠に成り損ねたデ・パルマですが、またヒッチコック風のサスペンスを撮って欲しいな。
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